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| 今回は、九七式艦上攻撃機の後継である艦上攻撃機「天山」について講義しましょう。
| この機はなかなかに堅実、かつ生産性も高い優良機なのですが……非常に影が薄い機体でもあります。
| 登場した時期にはすでに日米戦の形成は決しており、活躍する機会は皆無に近かったんですね。
| 搭乗員の技量も低下する時期に現われ、戦局には影響を及ぼせなかった艦上攻撃機が天山なんです。
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| 太平洋戦争の後半に登場した艦上攻撃機なんだな。
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| さらにこの天山の次である流星というのは、艦上攻撃機と艦上爆撃機を兼ねた機体。
| その派手さの影に隠れてしまい、天山はどうにも存在感が薄いんだよな。
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| 後の天山である一四試艦上攻撃機の開発は 開戦と同時期の1939年12月から始まりました。
| 九七艦攻の後継となる次世代の艦上攻撃機開発において、特に重要視されたのはアウトレンジ性能。
| 長大な航続力をもって、敵の攻撃圏外から長距離攻撃を加えるという新戦術が想定されたんです。
| そんなアウトレンジ戦術を繰り出すため、一四試艦攻は多大な航続距離が求められました。
| 他にも中島に提示された海軍の要求は非常に水準が高く、例によって開発陣を苦しめます。
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| 敵の攻撃が届かず、こちらの攻撃が届く距離から攻撃を仕掛けるわけか……うまくいくのか?
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| うまくいったかどうかは、歴史が証明している。
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| 九七艦攻を産み出した中島によって試作1号機が完成したのは、1942年2月のこと。
| しかしエンジン不調などの問題が頻発し、大改修を余儀なくされます。
| そして改良を終えた1943年8月、天山という名前で制式に採用されました。
| この機体は例を見ない大型艦上機であり、九七艦攻を上回る速力に、抜群の航続距離。
| なおかつ日本機の特徴だった信頼性の低さや生産性の悪さも見られない、なかなかの傑作機でした。
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・艦上攻撃機「天山」(B6N)
九七式艦上攻撃機の後継として登場した機体で、非常に優秀な機体性能を誇る。
また稼働率も同時期の航空機と比較して優れ、生産性も優良。
しかし日本側の劣勢が確定した時期の登場であり、活躍は少なかった。
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| おお、意外な高性能機だったのか!
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| 生産性に優れ、稼働率も高いという機体は、この時期の日本機では極めて珍しい。
| 兵器として、非常に優れていると言えるんだが……問題は、それを活かせる状態になかったことだ。
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| 天山はまず陸上基地へと配備され、1943年11月にはブーゲンビル島沖海戦で実戦デビュー。
| しかし初期生産された天山(一一型)は空中分解事故を頻発し、大改修の必要性に迫られました。
| エンジンを『護』から『火星』二五型に換装し、その他改良を施した天山一二型が1944年3月に登場。
| この一二型は信頼性も非常に高く、高性能を実現することになるんです。
| さらに地上基地ばかりでなく空母への配備も進み、1944年6月にはいよいよマリアナ沖海戦に赴きました。
| この戦いは、空母搭載機としての本格デビューだったんですよ。
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艦上攻撃機「天山」(一二型)
・全長:10.89m ・全幅:14.89m ・全高:3.80m ・全備自重:5,200kg
・最大速度:482km/h ・航続距離:1,750km ・乗員:3名
・エンジン:三菱『火星』二五型 空冷星型14気筒(1,850hp)×1
・武装:7.92mm機銃×1、7.7mm機銃×1、800kg魚雷×1 or 800kg爆弾×1など
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| うわぁ、イヤな予感……
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| ミッドウェイの敗戦、ガダルカナルの激戦で、日本の劣勢ははっきりしていた。
| 熟練パイロットも多くは戦死し、天山に乗る者の多くは新米パイロットという状態。
| マリアナ沖海戦の前にも、天山は着艦事故を起こしているんだ。
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| マリアナ沖海戦ではアウトレンジ戦法を振るう機会に恵まれたのですが……その結果は、散々たるものでした。
| 敵の攻撃がこちらの母艦に届かない距離から、天山を含んだ日本側の攻撃部隊が飛び立ちます。
| しかしレーダー警戒網を駆使したアメリカ艦隊の迎撃は凄まじく、攻撃隊は壊滅的打撃を受けてしまいました。
| ほとんどの機は帰還せず、挙げ句の果てに空母「翔鶴」と「大鳳」が潜水艦に殺られてしまいます。
| こうして所属する航空母艦自体が消滅し、以後の天山は陸上基地配備が中心となりました。
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| 優秀機だったのに、なんで壊滅的被害を出したんだ……?
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| この時期になると、アメリカ艦隊の防空能力は凄まじい域に達していた。
| 機体自体の優秀さなどほとんど関係ないぐらい、迎撃能力が高かったんだ。
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| 陸上基地配備となった天山ですが、昼間に飛ぶのは危ないので夜間雷撃限定に用いられます。
| それでも台湾沖航空戦などで多数の機体が未帰還となるなど、こちらの損害は凄まじいものでした。
| 1944年10月のレイテ沖海戦では、小沢中将率いる囮空母部隊で用いられていますが……
| これは攻撃任務よりもむしろ、偵察や味方部隊の誘導が中心でした。
| そして沖縄戦では少数ながら特攻にも用いられ、散っていくこととなります。
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| 悲しい話だ。
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| そんな天山の総生産数は1,274機、意外にも九七艦攻とほぼ同数だったりします。
| これに続く艦上攻撃機は、艦上爆撃機も兼ねた流星なんですが――
| 結果的に流星は開発が遅れ、終戦までになんとか完成した機体も特攻に使われました。
| まともな作戦に従事した艦上攻撃機は、天山で最後といってもいいでしょうね。
| しかしその高性能が活かせるような局面でもなく、天山は戦史の影へと消えていきました。
| ……そういうわけで、天山の講義を終わりましょう。
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| 優秀な兵器だって、ただあればいいわけじゃないんだな……
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| 当然の話だ。戦力として機能させられなければ、何にもならない。
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