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| さて……前回の講義までで、人類がアフリカから世界に広がる過程を見てきました。
| その各地で、農耕という特技を身に付けて定住生活を始めた者達がいたことも。
| 今回は、人類の歴史において最も早く文明を築いたとされる古代オリエントにスポットを当てましょう。
| この地域は、現代でいうところの中東地域。イラクやイラン、シリアなどの地域ですね。
| いちおう古代エジプトもオリエントに入るのですが、この地域の歴史についてはまた別講義で扱います。
| なお古代オリエントの講義は、3回に分けてお送りする予定。今回は1回目、ずっと私を見て。
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    | 「人類の歴史において最も早く文明を築いたとされる」って……実際に早かったんじゃないのか?
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         | 前の講義でも言ったが、中国の長江流域に紀元前14000年頃まで遡る文明の遺跡が見つかってな。
         | 下手をすれば、四大文明を凌駕するほどの古さ。
         | 古代オリエントが最古の文明発祥の地とは、断言できなくなりつつあるんだ。
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| なお「オリエント」というのは、ラテン語で「日が昇る方角」という意味です。
| つまりは欧米から見た視点であり、そもそも従来の歴史学そのものが欧米中心主義で展開されてきました。
| そんな欧米において、オリエントの歴史が注目され始めたのは18世紀半ばあたり。
| 逆に言うと、それまで欧米では、この地域については非常に貧弱な知識しかなかったんですよ。
| 旧約聖書に載っている記述に加え、ヘロドトスなど古代ギリシャの歴史家が記した記録が少々。
| アッシリア、バビロニア、メディア、ペルシア――そんな古代国家が存在したという程度の認識なんです。
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 当時の欧米の認識
 ・バビロニア:かつてメソポタミアを支配していた最古の王朝
 ・アッシリア:バビロニア以前に存在したとされる、好戦的な民族
 ・ペルシア:長くオリエントに君臨し、ギリシャとも激突した大帝国
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    | 欧米中心の歴史観か……
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         | しかし最近は逆に、何でもかんでも「欧米視点」と批判するのが流行りだしたけどな。
         | 欧米の視点だから、何でもダメというわけでは決してない。
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| しかし18世紀あたりになると、あらゆるものが科学の洗礼を受け、懐疑的に検討されるようになります。
| 聖書さえ例外ではなく、その内容も実証主義的に検討されることが多くなってきたんです。
| つまり、旧約聖書に書いてある古代オリエントの物語が、どれだけ現実の歴史に即しているのか――
| それを確かめたいという知的探求心が、ヨーロッパにおいて沸き上がってきたんですよ。
| こうして18世紀以後、西アジアの地に多くの探検家や学者が訪れ、様々な発見がもたらされました。
| 聖書に記された古代帝国、バビロニアやアッシリアの遺跡が発見され、実在が明らかになったんです。
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    | こうして、オリエント発掘が進んでいくんだな。
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         | 当時はオスマン帝国の力も弱くなり、オリエントの地に行くのも簡単になっていた。
         | これも、18世紀に入ってオリエント地域の発掘が進んだ理由の一つだな。
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| さらに、大量の粘土板も発掘されたのですが――その表面には、クサビのような文字が刻まれていました。
| この文字の解読にも成功、バビロニアやアッシリアの支配者だったセム語族の言語だと分かります。
| 1872年には、この地域で発見された粘土板に「洪水伝説」が記されていたという事実が判明。
| これは旧約聖書に記された「ノアの大洪水」と一致し、しかもオリエント版洪水伝説の方が先手。
| 旧約聖書に記された「ノアの大洪水」は、異教の伝説の焼き直しに過ぎない――
| そんな事実が、当時のヨーロッパに大センセーションを巻き起こしたんですよ。
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 ・楔形文字
  メソポタミア地域において使用された文字で、多くは粘土板などに刻まれた状態で出土。
  紀元前3500年頃にシュメール人が発明し、当時を知る貴重な史料となっている。
  紀元前1000年頃になると、アラム文字に取って代わられて絶滅してしまった。
  なおアラム文字は、後にアラビア文字へと発展していく。

  
楔形文字の刻まれた粘土板
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    | セム語族ってのは、どういう連中なんだ?
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         | セム語に分類される系統の言語を話した民族――ってくらいしか言えないな。
         | 民族を定義するには、彼らの言語で区別するのが最も分かり易いんだ。
         | 民族とか人種とかに関しては、別の講義で詳しくやる予定。
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| しかし――楔形文字が順調に解読される一方で、まるで読めない粘土板も多数発見されます。
| 楔形文字に記された言語はアッカド語と呼ばれるんですが、全く違う言語で記されているものもあったんです。
| これはアッカド語とはまるで異なる系統の言語であり、アッカド語よりルーツが古いことが分かってきました。
| さらに、解読されたアッカド語部分には「シュメール」なる民族がこの地域に住んでいたことを示唆する内容が。
| 旧約聖書には、メソポタミア最古の民はバビロニア人と記されていたはず。
| それ以前に、謎の民族が存在したかもしれない――この事実に、研究家達は大きなショックを受けたんですよ。
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    | シュメール……聖書にさえ記載されていない、謎の民族か。
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         | この事実が浮上し始めたのは、19世紀の半ば。
         | 当然ながら、多くの研究者はシュメールの存在に懐疑的だった。
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| しかし、1877年に行われたギルス地区の発掘により、人物像や多数の文書が発見されました。
| これは既存のオリエント文明のものとは異なる、全く未知のものであることが明らかになります。
| この発掘により、シュメール人の存在が実証されたと言えるでしょうね。
| 20世紀に入ると、シュメール人が実在したことを疑う者はいなくなっていました。
| 多くの遺跡や造形、文書などが次々と発見され、研究が進むこととなったんですよ――
| さて、ここまでがツカミの話。今回の講義の主役は、このシュメール人達なんです。
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 1877年の発掘により発見された人物像
 ・ラガシュ王グデア(顔)
 ・ラガシュ王グデア(祈祷)
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    | なんと! ここまでプロローグだったのか!!
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         | なお、最近は様々な理由により「シュメル」という呼称も使われている。
         | アッカド語原音だと「シュメル」に近いんだが、この講義では「シュメール」に統一した。
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| さて……今さらですが、古代オリエントで芽生えた文明は、メソポタミア文明と呼ばれます。
| この「メソポタミア」というのは「川の間」という意味のギリシャ語で、現在のイラクに相当する地域。
| では、その二本の川の名はと言いますと、チグリス川とユーフラテス川ですね。
| チグリス川とユーフラテス川に挟まれた広大な平原地域が、すなわちメソポタミア平野。
| 誰しも暗記させられたこの二本の大河が、メソポタミア文明が栄える起爆剤となったんです。
| これらの珍妙で難解な言葉の響きは、学生が世界史を投げ出す第一歩としても有名ですね。
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・地図
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    | 確かに普通の学生は、サルの話が続いた後、この辺で投げてしまうな。
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         | なお提示した地図は、フリーの白地図にこちらで手を加えたもの。
         | 茶色は山脈で、黄色は砂漠……しょ、しょぼい。
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| 川の流域は非常に平坦であり、北西の地中海方面に抜けるのは容易です。
| また北東方面にはザグロス山脈が連なり、そこを越えた先にはイラン高原が。
| そして南西にはアラビア砂漠が広がり、人の住みにくい場所となっていました。
| そんなメソポタミアに人が住み始めるのは、紀元前1万年頃。
| 当時はメソポタミア北部の山地に、多くの人が居住していたようです。
| メソポタミア南部は大河こそあれど、高温の乾燥地帯で住みにくかったんですね。
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    | この連中が、シュメール人なわけだな。
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         | ところが……そうも言い切れないようなんだ。
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| そして、人々は農耕を始めたのですが――当初は、雨水を利用した天水農耕と呼ばれるもの。
| そして紀元前6000年頃から、人々は大河流域へと南下していったようです。
| 同様に農耕技術も南部へと広がっていき、チグリス・ユーフラテス側流域で盛んになりました。
| 土しかないこの地でしたが、その優れた土と農耕の組み合わせは最適だったんですね。
| 洪水などの危険はあるものの、ここに住めば食料には困らないという豊かな地域――
| これ以降、メソポタミアの大河流域は爆発的に栄えることになったんです。
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    | なんと。メソポタミア初の農耕は、大河流域じゃなく北部の山岳地帯で始まったのか。
    | 前回の講義で、紀元前9000年頃には牧畜も始まってたって言ってたっけ。
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         | メソポタミア地域には、幸いなことに家畜化しやすい動物がウロウロしていたんだ。
         | この時代の最も有名な遺跡は、イラク北部のジャルモ遺跡だな。
         | 麦作や牧畜の形跡があり、研究対象として非常に素晴らしい。
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| この時期――紀元前6000年から紀元前4000年あたりの文化を、ウバイド文化と呼んでいます。
| 彩文土器や蛇面人像など、様々な遺物を残していますね。
| しかしウバイド文化の担い手達が、後のシュメール人だったかどうかは意見の分かれるところ。
| シュメール人は短頭でしたが、最古の住民は長頭だったという記録が残っています。
| メソポタミアの古い地名には、シュメール語としては綴りなどが不自然なものもあるとか。
| ウバイド文化からシュメール文化への繋がりは、現在に至るまで不明なんですよ。
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 ・ウバイド文化の像
 ・ウバイド文化の像
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    | シュメール人以前の先住民が存在した可能性か……
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         | 後で解説するが、シュメール人とて出自が謎に包まれている民族なんだ。
         | まだまだ、分からないことだらけなんだよ……研究の進展を待て!
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| 紀元前3000年頃になると、メソポタミア南部にはとある特定の連中が目立つようになります。
| メソポタミア平野で一大勢力をなした、最初期の人々――それが、シュメール人でした。
| その民族系統は不明であり、どこからやってきたのか全く分かりません。
| メソポタミアの地に君臨した連中の中でも、最も謎に包まれている最初期の人々なんです。
| 彼らの築いた文明はシュメール文明と呼ばれ、人類最初期の文明としても名高いですね。
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 シュメール人はどこから来た?
 ・メソポタミア先住民説
 ・東(イラン高原・インド)からの移住説
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    | まさに、古代のミステリーだな。
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         | なお、彼らが用いたシュメール語も周囲の言語系統から孤立している。
         | いったい彼らは、どこから現れたのか……研究の進展を待て!
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| 以前の講義でも言った通り、大河流域で農耕を行うには、大規模な治水工事や灌漑工事が不可欠です。
| チグリス川もユーフラテス川も、増水・氾濫すると大変なことになりますからね。
| そんな集団作業を行っていく過程で、高い社会性が獲得されていったと思われます。
| 社会的な身分は徐々に細分化していき、軍人や商人、技術者や神官、奴隷などという身分が出現。
| シュメール人はメソポタミアのあちこちで共同体を築き、「都市」という形に発展させたんですよ。
| そんな各都市で、最高位の神官を兼ねた支配者が君臨するようになるんです。
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    | つまりは、王様だな。
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         | その通り。シュメールの王は、エジプト王のように最高神そのものじゃなかった。
         | 神と最も近い場所にいる、最も偉い神官だったんだ。
         | こうしたシステムの元に行われる政治を、神権政治と呼んでいるな。
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| シュメール人達は都市レベルで一つの共同体となり、統一的な行政などを実行するようになります。
| こうして、いつしかメソポタミア南部には多くの都市国家が併存するという形になっていました。
| これは「都市国家」と呼ばれるものであり、「シュメール」という一つの国家ができたわけではありません。
| 同じシュメール人が築いたものとはいえ、他の都市国家は敵であったり、味方であったりと様々。
| そんな都市国家の数は約25ほどあったらしく、都市同士の間でしばしば戦争を繰り広げていたようですね。
| つまりは、戦国時代のようなものと思っていただければいいでしょう。
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    | メソポタミアの地に、いきなりシュメール統一国家が出現したわけじゃないのか。
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         | 後にギリシャで見られるようになるポリス(都市国家)と同じものだな。
         | 都市の一つ一つが独立国のようなものであり、戦争したり同盟したりしていた。
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| そんなシュメール都市国家の中でも、特に有力だったのはウル、ウルク、ラガシュ、キシュなど。
| 先も言った通り、都市国家の支配者である王は最高位の神官でもありました。
| それゆえ、シュメール都市国家の政治には宗教というものが深く絡んでいます。
| 各都市の中心にあったのは、巨大な神殿。これは年を追うごとに、巨大、豪華絢爛になっていきました。
| そして神殿の周囲には、住民達の居住区が広がっています。
| 後で述べる初期王朝代I期には、ひたすら続く戦乱により周囲をぐるりと城壁で取り囲むようになりました。
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    | そこまで激しく、シュメール都市国家は戦乱に明け暮れたのか?
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         | 敵はシュメールの都市国家ばかりではない。
         | 北方や東方に住む異民族達も、食料や財産を奪いにシュメールの都市へと攻めてくるんだ。
         | メソポタミアは開けた平野だから、外部からの襲撃に悩まされ続けることになる。
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| そして、神殿ではどんな神が祭られていたかというと……板書のようになりますね。
| 見ての通り多神教であり、自然界の物や事象を擬人化した神々が中心です。
| また都市や時代によって崇められる神は異なり、各都市固有の神や地区神、個人神なんてのもいました。
| こうした神々は決して慈愛には満ちておらず、言葉通りの意味で人智の及ばない存在。
| シュメールの人々はこれらの神々をなだめ、儀式や供え物などで服従を表現したんです。
| そのお返しに、神々は繁栄や長寿をもたらしてくれたわけですね。
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 シュメールの神々(カッコ内はアッカド語名)
 ・アン(アヌ):神々の父親。王位はエンリルに譲り、隠居の身。それでも他の神々から尊敬されている父祖神。
 ・エンリル:大地と空気の神であり、神々の頂点に立つ王。
 ・エンキ(エア):智恵と生命の神であり、エンリルの弟。非常に賢く、エンリルの宰相的存在。
 ・イナンナ(イシュタル):愛と豊穣を司る女神。戦争の女神でもある。
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    | 王位とか、隠居とか、宰相とか……神々にも、王朝のようなものがあったんだな。
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         | 現代の宗教に馴染んだ人は、古代宗教に関してよく間違えてしまうんだが……
         | 古代の神々のほとんどは、人間に対して道徳や倫理なんてものは要求していない。
         | だから神の定めたルールを守り、儀式などをしっかり行って絶対服従すればそれでいいんだ。
         | 慈愛に満ちた神なんてのは、キリスト教などでしか見られない例外的存在なんだよ。
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| そういうわけで、シュメールの民にとっては、神々に奉仕することが人間の存在意義。
| 神々にお供え物をして、神々の楽をさせるためだけに人間は生きている――そんな宗教観でした。
| しかし人々は日々の生活に忙しく、毎日朝から晩まで神殿で神に祈っているわけにもいいません。
| そこで、自分が祈っている姿を模した像を神殿に置き、自分の替わりに祈ってもらうということも。
| このような「祈願者像」は、神殿跡から多数が発掘されています。
| 当時のシュメール人の格好が分かり、非常に興味深い史料となっていますね。
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・祈願者像(男女)
 ・祈願者像(多数)
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    | なるほど、確かにみんな祈りのポーズだな。
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         | 上の写真の左側、背の高い男の祈願者像は、長らくシュメールの神像として紹介されていた。
         | 実際は、シュメールのただのオッサン像だったわけなんだが……
         | 何千年も後の世で神様扱いされるとは、この像のモデルはどういう気分だっただろうな。
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| また、当時の代表的都市国家ウルクから発掘された「ウルクの大杯」も、非常に興味深い宝物。
| この「ウルクの大杯」は細かに修復した形跡があり、当時において非常に重要なものであることが分かりますね。
| この円筒形容器の表面には、当時の宗教儀式の様子が彫り込まれているんです。
| 神へと捧げ物をしている人々、そして裸でズラリと並んだ丸坊主の神官達の様子がうかがえますね。
| なぜ神官達は裸なのか、なぜ丸坊主なのか、宗教上の意味は不明です。
| なお、この大きな杯には、神に捧げる麦酒(ビール)が注がれたとされていますね。
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 ・ウルクの大杯
 ・杯表面の彫刻
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    | ビール? 神にビールを捧げるの?
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         | 何を言うか。ビールの発祥地はシュメールだぞ。
         | 一般人は不明ながら、上流貴族はみんなビールをたしなんでいたようだ。
         | 野蛮さを表す文章として「パンを知らず、ビールを飲めない」ってのもあるくらいだ。
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| 宗教の話はここまでにして、シュメール都市国家のその他を見ていきましょう。
| 都市があちこちで出来るようになると、対立していない都市とは貿易も始まります。
| それだけでなく、メソポタミア外――周辺異民族や古代エジプト王朝などとの交易も行われるように。
| メソポタミア地域に金属資源は産出されないので、輸出品は土器や食料生産物だったと思われます。
| 輸入品はというと、玄武岩や金、銀、胴、宝石、木材など――要は、メソポタミアでは手に入らない物ですね。
| 紀元前2000年頃には、イラン高原を越えてインダス文明とも交易していたようです。
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    | 古代世界なのに、かなり広範囲の相手と貿易していたんだな。
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         | 「古代の民は自給自足」――これ、とんでもない大間違い。
         | 遥か昔から、人間は驚くほど遠くの相手とでも貿易してきたんだ。
         | 閉鎖的な部族社会なんて、偏見の中でしか存在しない。
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| また交易が始まると、重要になってくるのが会計記録であることは言うまでもありません。
| どこの誰から、何をどれだけ受け取ったのか――そういうことを記録できなければ、商売ができませんから。
| さらに、人々が神殿に収めた捧げ物の種類や量も記録しておかねばなりません。
| 最初のうちは、そうしたデータの記録のためにトークンという小さな粘度片を使用していました。
| 円形、円錐形、牛の頭、棒、パンなどの形をしたトークンを、記録用の粘土板に押し付けるんです。
| そうすると粘土板には、トークンの形が彫り込まれる――そういうやり方ですね。
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    | それが、会計記録になったわけだな。
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         | このトークンという手法が、徐々に洗練されていく。
         | 次第にトークンを使わず、押し付けてできる型を直接粘土板に書き込むようになる。
         | さらに、このやり方は洗練化し――察しの通り、文字が生まれるんだ。
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| 楔形文字の原型である象形文字(絵文字)が生まれたのは、紀元前3200年頃のウルク。
| 最初は麦やパン、牛などを模した絵文字だったんですが――次第に、文字として洗練されていきます。
| しばらくすると、複雑な内容も書き表せる文字として発展。行政文書に活用されていくんですよ。
| 商売記録、法律、裁判記録、その他の行政文書――それらは、全て粘土板に刻まれることになりました。
| こうしてシュメール人達の支配者層は、文字を自在に用いることになったんです。
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 ・初期の絵文字
 ・洗練された楔形文字
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    | 実は俺、文字が書けるんだ……
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         | 中国で甲骨文字が見られるようになるのは、ここから1800年も後のこと。
         | まあ、それ以前の原始的な絵文字は中国でも発見されているがな。
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| また、商売記録に関する話ですが……シュメールは、人類最古のハンコ社会でもあります。
| 当初、交易に携わる人は小石に図形などを彫った印章を使っていたようですね。
| このスタンプ型の印章は、最古のものとなると紀元前7000年出土。確実に人類最古クラスです。
| 時代が進むと、多くの人が円筒式印章というものを持つようになりました。
| 粘土板の上でコロコロと転がすように押し付けると、絵が出現するというタイプですね。
| これを所持しているのが、シュメール人にとって高い身分の証明になっていたりもします。
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    | 現在のハンコとは、少しタイプが違うんだな。
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         | 彫り込む図柄も様々で、時代が進むにつれ豪華絢爛になっていった。
         | ヒモを通して首からぶら下げ、魔除けなどの意味合いもあったようだ。
         | シュメール文明崩壊後も使われ続け、中国の方にまで伝わっていった――
         | そして中国から日本に伝来し、今も我々の手許にあるわけだ。
         | 書類にハンコを押す度に、シュメール人の息づかいが聞こえないか?
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| もう少しだけ、シュメール人の都市生活を見てみましょうか。
| シュメールにおける女性の地位は、他の地域と比べて高かったと言われていますね。
| さすがに男女平等とは言いませんが、女は男の単なる所有物ではありませんでした。
| 女性にも財産や土地を持つ権利が認められ、法廷での証言権もあるんです。
| さらに、女性市民と男性奴隷の結婚も自由だったという記録が残っているほど。
| 厳格な階級社会では絶対に許されないことが、シュメール人社会では認められていたんですよ。
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 ・ニップル市から出土した夫婦像
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    | なんと!
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         | 厳しい男尊女卑社会なら、こんな像は作られない。
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| シュメールの男性市民の仕事は、各種肉体労働が中心でした。
| 農業、牧畜、狩猟、漁業、レンガ造り、石工作業、金属加工、木工、織物造り……
| 工業に関しては、工房で組織的に行われていたようですね。
| 女性市民の仕事は、子育てに家事や料理だったと思われます。
| 食料は穀物中心であり、パンとビールがメイン。肉類はごちそうだったでしょう。
| また彼らは、大河で採れる魚もけっこう好きだったようですね。
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    | ちなみに俺も猫だから、魚が好きなんだが……
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         | 君のことなど誰も聞いていない。
         | ともかく、シュメール人の食事は貧しかったと根拠なく考えられてたんだが……
         | 粘土板に記された35種の料理レシピが発見され、意外に色々と食べてたことも判明した。
         | もっとも、貴族もしくは上流階級だけかもしれないけど。
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| また、行政の仕事を行うエリート――書記官のための養成学校も各都市に造られました。
| ここでは、文字の他にも様々な学問が教えられたそうです。法律や伝説、地理、天文学、占い――
| 会計や測量の必要性から、数学分野も大いに発展を遂げました。
| シュメールの学生達が用いた計算用の問題集も出土していますが、けっこう難しいですよ。
| 中には、二次方程式を使わなければ解けない問題さえあるほどです。
| 学校の様子は文学作品にも残され、ムチでしばかれていたなど、ある程度の様子も分かっていますね。
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    | 意外にスパルタ教育だったのか……
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         | 語源になった都市国家スパルタの成立よりも、二千年以上は前の話だけどな。
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| では生活史はここまでにして、『シュメール王名表』という史料に沿いつつ政治史の方を見ていきましょう。
| なお『シュメール王名表』は、シュメールの歴史でも最末期――ウル第三王朝時代に作られた記録です。
| シュメールの地に君臨した王の名と、在位年数などが記載されている記録文書なんですが……
| 問題は、常に一人の王がシュメールを治めかのごとくに記載されていること。
| 三つの都市にそれぞれA、B、Cの王がいたとしても、A→B→Cと順番に政権交代がなされたように記録。
| それぞれの都市国家にそれぞれ王がいた、という事実が反映されていないんですよ。
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    | なんで、そんな変な風に仕上げたんだ?
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         | この『シュメール王名表』が出来た時代は、一世一代の王朝が完成していた。
         | その法則を、過去の都市国家乱立時代にもムリヤリ当てはめたんだよ。
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| 結局のところ、『シュメール王名表』はあくまで伝説。信頼性はかなり低い史料です。
| ここでは、そんな伝説と考古学的発見を比較検討する形で歴史を追っていきましょう。
| まず最初に……非常におおまかに言って、シュメールの歴史は三段階に分けられます。
| 初期王朝時代、アッカド王朝時代、ウル第3王朝時代の三段階ですね。
| 実際はもっと厳密に区分されており、上記は非常に簡易な目安なんですが……
| この講義では、専門的時代区分にまでは踏み込みません。
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 ・初期王朝時代(紀元前2900年−2335年頃):シュメール初期、多くの都市国家が併存していた時代。
 ・アッカド王朝時代(紀元前2334年−2154年頃):アッカド人に支配された、最初のシュメール統一時代。
 ・ウル第3王朝時代(紀元前2112年−2004年頃):シュメール人による統一時代。
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    | つまり……最初のシュメール都市国家統一は、異民族によって成し遂げられたのか?
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         | 後で解説する通り、異民族って認識もやや違和感があるが……
         | シュメール人以外の連中が、初のメソポタミア統一を成し遂げたのは事実。
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| そして初期王朝期も、初期王朝第I期、初期王朝第II期、初期王朝第III期の三段階に分かれるんですが……
| 初期王朝第I期は、『シュメール王名表』のみを見れば、まさに神話的な時代といえるでしょう。
| 初代王アルリムの在位年数は2万8千8百年、二代目のアラルガル王は3万6千年と、異常なまでの長さです。
| そしてウバル・トゥトゥ王の後、伝説の大洪水がシュメールの地を襲ったと記録されていますね。
| なおシュメールの地は何度も洪水に襲われているのですが、伝説にあるような大洪水の痕跡は未発見。
| この大洪水も、あくまで神話的な物語としてとどめておくのが良いように思えます。
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 ・エリドゥ王アルリム(在位28800年)
 ・エリドゥ王アラルガル(在位36000年)
 ・バド・ティビラ王エンメンルアンナ(在位43200年)
 ・バド・ティビラ王エンメンガルアンナ(在位28800年)
 ・バド・ティビラ王ドゥムジ(牧神)(在位36000年)
 ・ララク王エンシブジアンナ(在位28800年)
 ・シッパル王エンメンドゥルアンナ(在位21000年)
 ・シュルッパク王ウバル・トゥトゥ(在位18600年)
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             大洪水
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    | 大洪水って……色んな文明の伝説で聞く話だよな。
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         | この大洪水で、シュメールは壊滅的危機に追い込まれた――というか、もはやリセット状態。
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| ここで考古学的見地に移ると……初期王朝第I期に相当するのは、紀元前2900年から2750年あたり。
| 多くの都市国家が発達を遂げ、階級制度も確立された頃と思われます。
| すでに都市国家間の交易は始まり、文字をも使用していました。
| 青銅器も、かなり高等な質のものが造られるようになっていますね。
| なおシュメール最南端の都市エリドゥは、『シュメール王名表』によれば最古の王が現れた地。
| この都市は、かなり初期から発展を始めていたことが分かっています。
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    | ほほう。
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         | この頃、古代エジプトの方でも中央集権的な政権が生まれている。
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| さて、次に紀元前2750年から2600年頃とされる初期王朝第II期を見てみましょう。
| この時期あたりから、諸都市は城塞化され始めたようですね。
| 『シュメール王名表』によれば、キシュ第1王朝23代、ウルク第1王朝12代、ウル第1王朝4代と続くんですが……
| キシュ第1王朝の初期には、なぜだかシュメール語ではなくセム系言語(アッカド語)の王の名が続きます。
| それもカリブム(犬)とか、ズカキプ(サソリ)とか、やけに不自然な名前ばかり。
| どうも、後のアッカド王朝時代になってからデッチ上げられた架空の王達ではないかという疑いも……
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 キシュ第1王朝
 ・ジュシュル(在位1200年)
  (5代省略)
 ・カリブム(在位960年)
 ・ガルムム(在位840年)
 ・ズカキブ(在位900年)
 ・アタブ(在位600年)
 ・マシュダ(在位840年)
 ・アルリム(在位720年)
 ・エタナ(在位1500年)
  (7代省略)
 ・イルタサドゥム(在位1200年)
 ・エンメバラゲシ(在位900年)
 ・アッガ(在位625年)
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    | セム系言語……?
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         | アラビア語とかヘブライ語とか、中東地域を中心とした言語系統。
         | 後のメソポタミアにはセム系言語を使う民族が大量流入し、この地域の主要言語になるんだ。
         | シュメール語とは全くの別系統であり、この時期の王の名に用いられるのは不自然だな。
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| そしてセム語系の名を持つ王が何代も続いた後、エタナという王が現れます。
| この王の扱いは特別で、「牧人、天に昇った者、国土を固めた者」と称されていますね。
| 前二千年紀に記された『エタナ物語』など、彼に関しては逸話や伝説も非常に豊富。
| 逆に言えば、このエタナ以前の王達には、ほとんど伝承が残っていないんです。
| もしかして、このエタナ王こそがキシュ第1王朝の初代だったのではないか――そんな説もあるほど。
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 キシュ第1王朝
 ・ジュシュル(在位1200年)
  (5代省略)
 ・カリブム(在位960年)
 ・ガルムム(在位840年)
 ・ズカキブ(在位900年)
 ・アタブ(在位600年)
 ・マシュダ(在位840年)
 ・アルリム(在位720年)
 ・エタナ(在位1500年)
  (7代省略)
 ・イルタサドゥム(在位1200年)
 ・エンメバラゲシ(在位900年)
 ・アッガ(在位625年)
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    | 当時はまだ使われていなかった言語の名を持つ、業績が全く残っていない王達……
    | 確かに、なんか怪しいな。
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         | 似たような話は、何を隠そう日本の天皇家にも存在する。
         | 詳しくは、日本史の講義だな。
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| さらに、ここに載っているエンメバラゲシ王ですが……
| 彼と息子のアッガ王は、伝説のみでなく考古学見地から見ても実在が確実視されている人物なんです。
| ディヤラ河流域の遺跡から発見された碑文に、「キシュ王アッガの父親エンメバラゲシ」という記載が。
| 『シュメール王名表』に記載されている伝説的王の中で、実在したとされる最古の王なんですね。
| 彼の実在が確かめられたことにより、もっと知名度の高い伝説的人物も、実在の可能性が一気にアップ。
| その伝説的人物は、ギルガメシュと言います。
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 キシュ第1王朝
 ・ジュシュル(在位1200年)
  (5代省略)
 ・カリブム(在位960年)
 ・ガルムム(在位840年)
 ・ズカキブ(在位900年)
 ・アタブ(在位600年)
 ・マシュダ(在位840年)
 ・アルリム(在位720年)
 ・エタナ(在位1500年)
  (7代省略)
 ・イルタサドゥム(在位1200年)
 ・エンメバラゲシ(在位900年)
 ・アッガ(在位625年)
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    | ギルガメシュ……ゲームなどでお馴染みの名前だな。
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         | シュメール人の中で、最も知名度が高いであろう王。
         | 『ギルガメシュ叙事詩』という人類最古の文学では主役を務めた、まさに伝説の英雄だ。
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| ウルク王ギルガメシュとは、『ギルガメシュ叙事詩』で有名な英雄王。
| シュメール滅亡後のメソポタミアでさえ崇拝の対象となったあたり、まさに伝説の王様です。
| ギルガメシュは様々なシュメール伝説に登場するんですが、その中の一つにエンメバラゲシ王が登場。
| 先に述べた通り、エンメバラゲシ王は実在した王。よって、ギルガメシュも実在した可能性が高いんです。
| また『ギルガメシュとアッガ』という物語では、これまた実在したアッガ王が敵役として登場。
| 完全なるフィクションではなく、ある程度の史実が反映された物語であることが明らかになったんですよ。
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 ・ギルガメシュ
  紀元前2600年頃に実在したと思われるウルク王。
  キシュの征服、ウルクの城壁構築などが業績とされているものの、その実像は不明。
  『ギルガメシュ叙事詩』など多くの文学・神話に登場し、いずれも英雄として活躍する。
  後世では冥界の王とされ、畏怖の対象ともなった。

  
ギルガメシュのものとされる像
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    | 実在した英雄王……か。
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         | ただし、ギルガメシュ自身にまつわる考古学的史料はまだ見つかっていない。
         | ウルク王であること以外、史実におけるギルガメシュの実像は不明なんだ。
         | あと板書した像だが、どうもギルガメシュのものではないという説が現在では主流。
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| ではここで、人類最古の文学作品である『ギルガメシュ叙事詩』を見ていきましょう。
| 現存している最古の『ギルガメシュ叙事詩』は、紀元前700年前後のものと思われますが……
| この物語が出来たのは、紀元前2000年前後とされています。
| 『ギルガメシュ叙事詩』とは、実在の王ギルガメシュを主役にしたストーリー。
| 物語中に出てくる大洪水のエピソードは、旧約聖書に記されたものにディテールまで酷似。
| またストーリーに展開される悲観的な運命論が、当時の人々の死生観を感じさせてくれます。
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 ・『ギルガメシュ叙事詩』の刻まれた粘土板
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    | 紀元前2000年の文学って……今から4000年前か。
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         | 特に大洪水のエピソードは非常にそっくりで、旧約聖書の元ネタとなったのは確実。
         | この『ギルガメシュ叙事詩』の発見は、当時のヨーロッパに大ショックを与えたんだ。
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| では、ざっと『ギルガメシュ叙事詩』のあらすじを追っていきましょうか。
| ウルクの王ギルガメシュは、非常に乱暴なことで有名な王様でした。
| たまりかねたウルクの人々は、ギルガメシュをこらしめてほしいと神々にお願いします。
| そこで神々は、エンキドゥという強大な野人を創り、地上へと送ります。
| それを知ったギルガメシュは、エンキドゥの元へと娼婦を送り、骨抜きにするという策略を実行。
| エンキドゥは見事に罠に掛かり、差し向けられた娼婦に夢中。みるみる弱体化してしまうんです。
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    | 娼婦に夢中になるだけで、そこまで弱るもんなのか?
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         | エンキドゥは野人であり、野山に生きることによって強大な力を振るう存在。
         | しかし娼婦(=文明)と交わってしまうことにより、神の力(=野生の力)を失ってしまうんだ。
         | 幾つか存在する別バージョンの『ギルガメシュ叙事詩』では、この娼婦の役割は違ったりする。
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| そして都に現れたエンキドゥとギルガメシュは決闘するんですが、決着はつきませんでした。
| それどころか敵同士であった二人の間には友情が芽生え、意気投合して冒険に出るんです。
| 二人はメソポタミアを出て、貴重な杉の生えている森へと赴きました。
| そこで森に住む怪獣フンババに出会ったのですが、二人は死闘の末にフンババを撃退。
| ここでギルガメシュとエンキドゥは、神の意志に背いてフンババを殺してしまうんです。
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    | 貴重な杉って……杉は貴重だったのか?
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         | 当時のメソポタミアでは、木材は貴重すぎる資源だ。
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| しかし愛の女神イシュタルは、そんなギルガメシュの雄姿に一目惚れ。
| 大量の杉を抱えて都に帰還したギルガメシュ達の前に現れ、彼に求婚するのですが――
| イシュタルは浮気性でも有名な女神、ギルガメシュはイシュタルの愛を拒絶します。
| こうして激怒したイシュタルは、「天の雄牛」をウルクに送って都を破壊させるという暴挙に。
| そこで立ち上がったギルガメシュとエンキドゥは、この「天の雄牛」をもやっつけてしまいます。
| こうして二人は、イシュタルを嘲笑したのですが――ここで、いよいよ神々が怒りました。
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    | さすがに、イシュタルの無茶苦茶なやり方には神々も怒ったのか。
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         | いや……神々が怒ったのは、ギルガメシュとエンキドゥに対してだぞ。
         | 古代の神の多くは、倫理や道徳なんて関係ない存在だって言ったじゃないか。
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| 何度となく神を冒涜したギルガメシュとエンキドゥに対し、とうとう神罰が下ることになりました。
| 神に創られた存在であるエンキドゥは、神々の怒りによって病にかかり、そのまま死んでしまったんです。
| 親友を失った哀しみにギルガメシュは悶え、人の命の儚さを思い知りました。
| そして彼は避けられない死に恐怖を感じ、永遠の生命を求めに旅立つことになります。
| こうしてギルガメシュは長い冒険の果てに、かつて文明を滅ぼした大洪水の生き残りに会うことに。
| その生き残りであるウトナピシュティムという人物は、神々から永遠の命を授かっていたんです。
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    | なんと!
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         | ギルガメシュと対面したウトナピシュティムが、大洪水について語った話――
         | これが、旧約聖書の『ノアの箱船』のモデルとなった話だ。
         | ウトナピシュティムは箱船を作って、以前の文明における唯一の生き残りとなった。
         | この逸話は『ギルガメシュ叙事詩』オリジナルではなく、メソポタミアに伝わる伝説。
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| ウトナピシュティムは、自分が永遠の命を授かったのは例外的出来事で、二度と起きることはないと説明。
| それでも諦めないギルガメシュに対し、一つの試練を与えたんです。
| それが、数日間ずっと眠らずにいること。さっそくこれに挑戦したギルガメシュなんですが――
| 睡魔には勝てず、ついウトウト。彼の試練挑戦は、失敗に終わってしまいました。
| 「眠りにさえ勝てない人間が、死に勝てるものか」――そう言い渡され、ギルガメシュは失意に沈みます。
| しかし、そんな彼の様子に同情したウトナピシュティムの妻により、「若返りの草」の情報が得られました。
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    | 不死は手に入らなくても、若さを保てるのなら……
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         | 少なくとも、延命にはなるな。
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| そのありかの情報に従ってギルガメシュは海の底に潜り、「若返りの草」を手に入れます。
| そして疲れを癒すために、水に身を浸している間に――なんと蛇が「若返りの草」を食べてしまったんですよ。
| こうして蛇は、脱皮を繰り返すことにより若返る能力を得たのですが……当然、ギルガメシュは絶望します。
| 彼は失意のまま都に帰り、人間としての死を受け入れようと決意しました。
| 結局、不死など手に入ることはない。人は死の宿命を受け入れるほかない――ここで、物語は終わります。
| ギルガメシュは最終的に、避けられぬ死を肯定的に受け入れたようにも見えますね。
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    | ううむ、なんとも教訓的だな。これがシュメール人の生死観か。
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         | 重い教訓以外にも、ギルガメシュとエンキドゥの痛快な冒険など見所はたくさん。
         | この傑作物語は、シュメール文明が崩壊した後も翻訳され続けることになるんだ。
         | アッカド語、フリ語、ヒッタイト語などに翻訳され、オリエント各地の遺跡から発掘される。
         | そして、4000年の時を経て現代にまで残っているんだよ。
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| さて……ギルガメシュに関する話はここまでにして、シュメールの政治史に戻りましょうか。
| 『シュメール王名表』によれば、キシュ第1王朝の後にウルク第1王朝が続きます。
| しかし実際には、キシュでもウルクでもそれぞれ別個の王が存在していました。
| よって『シュメール王名表』だけを見ると、エンメバラゲシとギルガメシュは時代が離れた人物に見えますが……
| 実際は、エンメバラゲシやアッガ、ギルガメシュは同時代の人物とみなされているんですよ。
| 同時に各都市で存在した王を、強引に一つの系譜へとまとめてしまった結果、変なことになったんです。
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 ウルク第1王朝
 ・メスキアッガシェル(在位324年)
 ・エンメルカル(在位420年)
 ・ルガルバンダ(在位1200年)
 ・ドゥムジ(在位100年)
 ・ギルガメシュ(在位126年)
 ・ウル・ヌンガル(在位30年)
 ・ウドゥル・カランマ(在位15年)
 ・ラバシュム(在位9年)
 ・エンヌンダランナ(在位8年)
 ・メスヘデ(在位36年)
 ・メラムアンナ(在位6年)
 ・ルガルキドゥル(在位36年)
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    | ううむ、ややこしいんだな……
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         | 先のキシュ第1王朝の王達も、次のウル第1王朝の王達も、このウルク第1王朝の王達も……
         | それぞれの都市で並立的に存在していたんだ。
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| そんなウルク第1王朝の次、ウル第1王朝の王は、板書のようになっているんですが……
| 実際にウルの王墓を発掘すると、実に奇妙な事実が浮上しました。
| 殉死者の遺骨や大量の装飾品が発見されたのですが、その中の短剣や印章に見慣れない名前が。
| 王メスカラムドゥ、王アカラムドゥ、妃ニンバンダ、妃プアビ……
| なんと、『シュメール王名表』に載っていない王の名前が装飾品に刻まれていたんです。
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 ウル第1王朝
 ・メスアンネパダ(在位80年)
 ・メスキアグナンナル(在位36年)
 ・エルル(在位25年)
 ・バルル(在位36年)
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    | 謎の王の存在が浮上したってわけか。
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         | あと、気付いただろうが……
         | このウル第1王朝あたりから、在位年数が常識的な数字になっている。
         | 初代王メスアンネパダの在位80年は、ちょっと長すぎるがな。
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| メソポタミアの都市マリ(アフリカの都市マリとは別物)でも、興味深い内容の碑文が発見されました。
| そこには、『メスカラムドゥの息子、ウル王メスアンネパダ』という一文が記されていたんです。
| また他の場所の碑文では、『メスアンネパダ王の息子、アアンネパダがウル王に』という文も。
| これらの内容を総合すると、メスアンネパダの在位年数80年は他の王の在位年数も混じっている――
| メスカラムドゥやアアンネパダなどの在位期間が、メスアンネパダのものと混ざってしまったと考えられます。
| 名前が似ていたからなのかどうか分かりませんが、そういったミスが生じてしまったようですね。
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 ウル第1王朝
 ・メスアンネパダ(在位80年)
 ・メスキアグナンナル(在位36年)
 ・エルル(在位25年)
 ・バルル(在位36年)
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    | なるほど。
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         | なお考古学的発見により、メスアンネパダとギルガメシュも同じ時代の人間だとされる。
         | この頃から碑文などが多くなり、細かな政治史も追うことができるようになっていくんだ。
         | また、少し後で解説する『ウルのスタンダード』も、この時代の前後だな。
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| そして紀元前2600年頃から、初期王朝第III期と呼ばれる時代へと突入します。
| 『シュメール王名表』では様々な人物が王として並んでおり、各都市の間では戦乱が絶えなかった模様。
| そんな時代、その繁栄にも関わらず『シュメール王名表』で全く取り上げられていない都市国家がありました。
| それがラガシュ。ラガシュ、ギルス、ニナ、グアバといった都市が連立して出来た、大規模な都市国家です。
| ここまで『シュメール王名表』の記述に沿ってきましたが、以降は省略しますね。
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    | そんなに規模の大きい都市国家なのに、なんで『シュメール王名表』で無視されているんだ?
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         | その理由は、良く分からない……
         | 後世の人間達も奇妙に思ったらしく、後に『ラガシュ王名表』が作られているんだ。
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| ラガシュでは、伝説の王二人に続いて、しっかりした記録の残っているウル・ナンシェが王となります。
| そして彼の血縁者6代が王位に就くのですが――このラガシュは、都市国家ウンマと戦争を繰り返していました。
| その原因は領土問題、グ・エディンという土地を巡って何百年も争っていたんです。
| 何度も何度もラガシュとウンマは争ったようなんですが、エアンナトゥム王の時期には一時的にラガシュが勝利。
| この戦勝を記念して造られた『エアンナトゥム王の戦勝碑』は、非常に重要な歴史史料ですね。
| 発掘時はバラバラだったのですが、元は一枚の記念碑でした。
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 ・エアンナトゥム王の戦勝碑(兵士達を率いる王)
 ・エアンナトゥム王の戦勝碑(敗者の屍をついばむハゲタカ)
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    | この戦勝によって、エアンナトゥム王は英雄となったわけだな。
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         | なおグ・エディンは、旧約聖書に出てくる『エデンの園』のモデルとなった地。
         | 奪い合いになるだけあり、かなり肥沃な土地だったようだ。
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| もう一つ、当時の軍事が見える史料があります。
| それがウルの王墓で発掘された『ウルのスタンダード』、紀元前2600年頃に造られたものですね。
| 表面に戦争の場面が記録された箱状の物体で、非常に貴重な副葬品なんですよ。
| この『ウルのスタンダード』は、今まで軍旗と言われてきたのですが……
| どうやら、竪琴の音を反射させる音響器具だったという説が現在では主流のようです。
| ともかく『エアンナトゥム王の戦勝碑』と『ウルのスタンダード』を参考に、当時の軍事を見ていきましょう。
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 ・ウルのスタンダード(饗宴の場面)
 ・ウルのスタンダード(戦争の場面)
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         | 「饗宴」の方は、宴の様子を描いているようだな。
         | これから見ていくのは、戦争の方だ。
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| 『ウルのスタンダード』の方を見ると……真っ先に、チャリオット(戦車)が目に付くでしょう。
| 四頭立てで四輪、木製なのがシュメールにおけるチャリオットの基本だと思われています。
| このチャリオットを引いていたのは、馬ではなくオナガー(ロバの一種)。
| これに乗っている兵のメインウェポンは投げ槍で、弓矢は手にしていないようですね。
| シュメールの地は平野であるため、戦車は非常に扱いやすかったでしょうが……
| いかにも脆そうなシュメールの戦車で、実際に乗車戦闘ができたのか、疑問の声もあります。
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・戦車(チャリオット)
 2〜4頭の馬に車を引かせ、槍や弓で武装した数名の人間が乗り込むという戦闘用の乗り物。
 古代戦の主力であり、ヒッタイトやアッシリア、古代エジプト、古代中国などで使われた。
 国家の戦力とは、すなわち所持している戦車の数を意味するほどの中心的存在となる。
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    | 戦闘に耐えられないのなら、何に使ったんだ?
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         | シュメールのチャリオットは、兵(将軍?)を戦場まで運ぶ用途だったという説もあるんだ。
         | 単なる戦場へのタクシーではなく、パレードカーみたいな意味合いがあったという説もあるが……
         | まだまだ史料が少なく、実際のところはよく分からない。
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| そして『エアンナトゥム王の戦勝碑』には、王の後ろで密集している歩兵の姿が目に付くでしょう。
| 実はこれ、古代ギリシア軍で有名なファランクス(密集陣形)なんですよ。
| 当時から、シュメールの歩兵はぎっちりと密集陣形を組んで交戦していたようですね。
| 密集陣形を組む兵の武器は槍や矛ですが、斧や剣を持っていた別働の軽歩兵もいたようです。
| 防具はというと、木製の盾や青銅の兜が確認できますが……鎧は、判断が難しいですね。
| ともかく当時のシュメールの戦争においては、重装歩兵が主役だったのは間違いないようです。
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・歩兵(重装歩兵)
 鎧や盾で身を固め、剣や長槍で武装した兵士達の軍団。
 基本的な兵科で、防護力も攻撃力も高く、主に密集隊形で戦う。
 同様の兵科は世界各地に存在していたが、主に古代ギリシアや古代ローマの重装歩兵が有名。
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    | 古代ギリシャの遙か前に、メソポタミアでは密集陣形が使われてたんだな。
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         | 密集陣形を組み、槍を構えて突撃する重装歩兵――それがぶつかり合うのが、基本スタイル。
         | その側面を、身軽な軽装歩兵やチャリオットが攻撃していた……のかも。
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| まだ馬に乗る技術が確立していないので、騎兵がいないのは当然のことです。
| ここで不思議なのは、弓矢を持った兵が見当たらない点。
| 当時のシュメールでは、複合弓(骨や木、ニカワで造られた弓)が存在しているのは確かなんです。
| 印章などには、弓矢を持っている者の姿が描かれていますから、弓矢はちゃんとあったはずなんですよ。
| 弓兵はまだまだ数が少なかったのか、兵士に弓矢が持たされない何らかの理由があったのか――
| それは、まだ不明です。今後の研究を待ちましょう。
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    | 結局、まだまだ史料が少ないんだな。
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         | 単に、初期のうちは弓矢があんまり普及していなかったという可能性もある。
         | 複合弓は素材調達からして大変で、大量生産は不可能。かなりの高級品なんだ。
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| 何よりも重要なことは、かつては考えられないほど大規模な軍隊を戦場に送り出せるようになった点ですね。
| それを可能にしたのは、何よりもまず食料革命による人口の大増加。
| そして、王の権力や権威が確固としたものになったこと――それらの要因により、戦争は例を見ない規模に。
| 青銅の武器が登場したことにより、その殺傷力も格段にアップ。
| 石製の兵器は、金属製の兵器によって完全に過去のものとされてしまったんですよ。
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    | 社会システムと技術の進化が、戦争をより過酷にしたのか……
    | なんかここから先、延々と繰り返されるような気がするな。
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         | 石の兵器を過去のものとした青銅兵器も、鉄製の兵器の登場によって蹴落とされる。
         | 青銅の武器は脆くて折れやすく、金属器としては原始的だからな。
         | こんな風にして、人類の同族殺しの技術は洗練の極みを尽くしていくんだ。
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| さて……ここで軍事から離れ、初期王朝第III期において頭角を表した都市国家ラガシュの話に戻りましょう。
| とりあえず宿敵ウンマを制したラガシュは、素晴らしい王を迎えていました。
| 彼の名は、ウルイニムギナ(古い資料ではウルカギナ)――史上初の政治改革を行ったことで有名な王です。
| 記録によれば、彼が王位に就く前のラガシュでは政治も行政も腐敗しきっていたようですね。
| 都市の権力者達が、神の財産である神殿の土地を横領。
| 人民には結婚税、お祈り税、埋葬税などの重い税が課せられ、強者が弱者の財産を奪う――そんな有様。
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    | 古代でも、政治は乱れるんだな。
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         | なおウルイニムギナは、先代の王と血の繋がりはなかったらしい。
         | 悪く言えば、前王から王位を奪い取った人間みたいだな。
         | とは言え、この先代王やさらに先代が政治を乱した元凶のようだから――
         | 政治を改革しようとしたウルイニムギナの立場も、色々と見えてくる。
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| そんな乱れきった政治・行政を、ウルイニムギナ王は次々と刷新していきます。
| 大規模な減税・廃税を実行したほか、債務奴隷(借金のカタに奴隷となった市民)を解放。
| さらに、未亡人や孤児を保護するべく法制を整備。
| そればかりでなく、警察力を強化して治安を非常に良くしたとのこと。
| こうしてウルイニムギナ王は、改革者として絶賛されたのですが……
| そんなラガシュが、ウルイニムギナ治世五年目にして早くも傾くとは、誰が予想したでしょうか。
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    | なんと! ウルイニムギナがこれだけ頑張ったのに!
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         | 弱者は守られ、町から悪人が追い出されたと記録されている。
         | しかし、この安定も長くは続かなかったんだ。
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| ウルイニムギナ治世五年目、またもや宿敵ウンマとの戦争が始まってしまったんですよ。
| しかも今度のウンマを率いた支配者は、これまでのウンマ王とはスケールの異なる人物。
| 強大な武力を行使したウンマ王ルガルザゲシの前に、ラガシュは完膚無き敗北を喫します。
| 都市の神殿は破壊され、金銀財宝は奪われ、市民は虐殺され――ラガシュは凄まじい蹂躙を受けました。
| そしてルガルザゲシの猛攻は、ラガシュのみにとどまりません。
| ウルクやウルといった代表的都市国家を陥落させ、全シュメール統一の直前にまで近付いたんです。
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    | なんと、シュメールにとうとう覇王が!
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         | このルガルザゲシは元々ウンマ王だったが、多くの都市に君臨した。
         | 『シュメール王名表』には、ウルクの王として記載されているんだ。
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| そして、いよいよ全シュメールがルガルザゲシの支配下に屈すると思われた紀元前2334年――
| ここで、誰しも予想していなかった展開がシュメールを襲います。
| なんとシュメールの地に、セム系民族アッカド人を率いたサルゴン王の軍隊が襲来。
| サルゴン王の軍は、圧倒的武力でシュメール全土を制圧してしまったんですよ。
| ルガルザゲシもサルゴン王の急襲の前に敗北、シュメール全土の支配権はサルゴン王の手に。
| シュメールにとっては異民族であるアッカド人の王によって、シュメールの地は統一されたんですよ。
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    | なんと!
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         | しかしこのサルゴン王、唐突に山奥から現れた男ではない。
         | 実は、ルガルザゲシの配下だった人物なんだよ。
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| ここで唐突に現れたように見えたアッカド人ですが、昔からシュメールの地に馴染んでいた人々でした。
| ではここで、少し時を遡って、アッカド人というのはどういう連中なのか見ていきましょう。
| さて、ここで再度地図を見てみましょうか。先にも行った通り、両大河の流域がメソポタミア平野なんですが……
| その北半分はアッシリア、南半分はバビロニア(後世の呼び名)と呼ばれます。
| さらに南半分のバビロニアを、さらに南北で分割。北側がアッカド、南側がシュメールと呼ばれているんです。
| 言うまでもなく、アッカド地域に住む人達がアッカド人、シュメール地域に住む人達がシュメール人ですね。
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・地図
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    | ふぅむ……今まで舞台になっていたシュメールは、南側の狭い地域だったんだな。
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         | 注意しておきたいところだが、この時代は明確な国境線など存在しない。
         | 「国境」と言うよりはむしろ、「勢力範囲」といったアバウトな感覚だったんだ。
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| そんなアッカド人とは、いったいどこから現れたのか……
| そもそもアッカド人の大元であるセム系語族は、何万年も前はアラビア半島の方に住んでいたらしいです。
| しかし氷河期が終わり、アラビア半島が砂漠化していくにつれ、周囲は住みにくい環境になっていきます。
| こうしてセム系語族は、追い散らされるように周辺地域へと移住していきました。
| そのうちの一団が、メソポタミア北部にも移住し始め――彼らが、アッカド人と呼ばれることになるんですよ。
| さらにアッカド人達はメソポタミアを南下、原始的な都市を築き始めていたシュメール人と顔を合わせました。
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    | なんと! 一触即発の危機か!?
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         | ところが、そうはならなかった。
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| しかしシュメール人とアッカド人は、平和的共生の道を歩んだようですね。
| アッカド人はシュメール文化の影響を受け、都市スタイルも真似るようになっていきました。
| さっきも言った通り、国境などない時代。
| シュメール人とアッカド人の生息領域が、はっきり分かれていたわけではありません。
| 北部の都市ほどアッカド色が強く、南部の都市ほどシュメール色が強いといった感じでした。
| 彼らが互いをどう思っていたかは分かりませんが、記録を見る限り民族的敵対はなかったようですね。
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    | こうして、メソポタミアの地ではシュメール人とアッカド人が共存するようになったのか。
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         | 当然ながら、シュメール人とアッカド人の混血もあっただろう。
         | 長い時を経て、初期王朝時代には両者は切り離せない存在になっていたんだ。
         | 民族混交がかなり進んでいたと言うべきだろうか。
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| そして、時は流れ……紀元前2300年代、アッカドに偉大な王が誕生しました。
| 彼の名は、サルゴン――ウルク王ルガルザゲシを破り、シュメールを統一する覇王ですね。
| このサルゴン1世には、ちょっとした出生の逸話が残っているので紹介しておきましょう。
| とある女神官が身ごもってしまったのですが、当時の風習として女神官は子供を産むことが許されません。
| よって産まれてしまった赤ん坊のサルゴンは、カゴに乗せたままユーフラテス河に流されてしまうんですよ。
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    | むぅ、なんてひどいことを……
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         | 神の意に反した出生の赤子だからな。
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| ここで神の意に反して生まれた赤子の裁判が、河の神によって行わることになります。
| その結果は「吉」とされ、赤子は神の意志によって救われるばかりか、強い力を授かることに。
| 偶然にも(神の意志通り)、河に流される赤子を発見して助けたのは、果樹園で働く農民アッキ。
| 彼は幼きサルゴンを息子同然に養い、立派な成人に育て上げます。
| その後サルゴンは、その才を認められてキシュ王ウルザババの酒杯官に。
| そこからさらに出世し、サルゴンはウルク王ルガルザゲシの将軍となるんですよ。
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    | ルガルザゲシは、シュメールを統一する直前までいった王だったな。
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         | 「捨て子伝説」と呼ばれる英雄出生伝説は、全世界に存在するんだ。
         | 預言者モーセ、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世、ローマの始祖ロムルスとレムス……
         | 出生に祝福されない事情を持った赤子が捨てられ、他の場所で成長する。
         | そして素晴らしい能力を携えて支配者となる――ある種のテンプレだな。
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| サルゴンは、当初から野心たっぷりの人物だったようですね。
| 以前の主君だったウルザババは、サルゴン反逆の可能性を警告した手紙をルガルザゲシに送りました。
| しかしその手紙は逆効果で、逆にウルザババが命を落とすことになったようです。
| その後、サルゴンはルガルザゲシに牙を剥き、アッカド人を率いてルガルザゲシに勝利。
| こうしてサルゴンはシュメール諸都市を占領し、王権を簒奪。アッカド王朝を築いたんです。
| シュメール全土は統一され、全てアッカド人の勢力下となってしまったんですよ。
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 ・アッカド王朝
  軍事的かつ商業的に、かってない規模でメソポタミアの地へと君臨した大帝国。
  サルゴン王によって築かれ、4代王ナラム・シンの時代に絶頂期を迎える。
  それ以降は凋落を極め、グティ人の侵入と共に崩壊していった。
  なお、首都であるアッカド市の位置は現在も判明していない。
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    | アッカド市の位置は今も不明なのか……
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         | 今のところ、キシュがかなり怪しいとされている。
         | サルゴン王がキシュの酒杯官だったこと、キシュはアッカド人の多い都市だったことなどが根拠。
         | こうしてキシュ発掘が1988年に始まったんだが、1991年に勃発した湾岸戦争により中止。
         | 混迷するイラク情勢によって、2008年現在も再開のメドはたっていない。
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| あくまで異民族とはいえ、アッカド人はシュメール文化の影響を深く受けています。
| この一連の政権交代も、民族対立とは全く関係ないところで行われた王権奪取のようですね。
| 記録に残る限り、アッカド王朝はシュメール人達の宗教伝統などを尊重したとのことですが……
| 支配される側のシュメール人にしてみれば、面白いはずがなかったでしょう。
| ともかく、ここからシュメール統一王朝であるアッカド王朝が続いていくんですよ。
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 ・サルゴン1世
  シュメールを統一し、アッカド王朝を創設した王。
  34回の戦闘で勝利したと言われるほどの軍事的業績を誇り、大帝国の礎を打ち立てた。
  王としての在位年数は56年と記録されているが、この数字は事実ではない。
  その偉大な業績とゆえ、(信憑性に問題のある)数々の伝説が残っている。
  実際の人物像について、判明していることは極めて少ない。

  
サルゴン1世のものとされる像
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    | いかにも覇王って感じの威厳だな。
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         | しかしこの像、どうも第4代ナラム・シンのものだった可能性が高いとされている。
         | このナラム・シンも、後に述べるように偉大な覇王なんだ。
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| シュメールを統一した後のサルゴン王は、東方へと遠征軍を差し向けます。
| 「東の山々」という意味のエラム地域に侵攻し、この地の民であるエラム人をも支配。
| 百年ほど後に、このエラム人達はアッカドと条約を結んで独立するんですが――
| ここでは、東方に山の民であるエラム人がいたということだけ覚えておいて下さい。
| ともかく、サルゴン王は支配地域を広げ、ひたすら征服事業に邁進。
| そんな日々の中でサルゴンの寿命は尽きるのですが、征服事業は次世代も続きます。
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    | メソポタミア全土を支配しただけじゃなく、他の地域も制圧にかかったのか。
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         | サルゴンは、王に忠誠を誓う戦士の集団5400人を擁していたと伝えられている。
         | これだけの常備軍を抱え、サルゴンはひたすら征服事業に邁進したんだ。
         | そして次の代も、その次の代も、さらに次の代も……
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| サルゴンの次世代……息子リムシュの在位期間は9年、リムシュの兄マニシュトゥシュの在位期間は15年。
| この期間にも、アッカドはひたすら遠征と反乱鎮圧に明け暮れることとなります。
| 2代王リムシュの時代には、かつての都市国家ウルのカクという人物がシュメール人を率いて反乱。
| 「8742人の兵士を殺し、城壁を破壊した」と記録されているほど凄絶な鎮圧を行ったとか。
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    | なんと。
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         | マニシュトゥシュの業績を記念する石碑には、なんとラガシュ最後の王ウルイニムギナの名前も。
         | どうやらルガルザゲシにラガシュを陥落された後も生き延び、アッカドの支配下に入ったようだな。
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| そして初代アッカド王サルゴンの孫にあたる、第4代ナラム・シンの時代にアッカド王朝は隆盛を極めます。
| 膨大な数の常備軍を備え、主要都市や貿易ルートはアッカド守備兵ががっちりガード。
| キシュとウルクが中心になり、シュメール諸都市が呼応して大反乱した際も、鎮圧に成功。
| 外部に対しても拡張戦争を行い、様々な地域を自らの領地にしてしまいます。
| その支配地域はペルシャ湾から地中海にまで及び、ナラム・シンは自身を「四方世界の王」と称したほど。
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 ・ナラム・シン
  アッカド王朝の4代王で、初代サルゴン王に匹敵する軍事的業績を誇る。
  周辺に遠征を繰り返し、彼の時代にアッカド王朝の領土は最大となった。
  「四方世界の王」を名乗り、メソポタミアで初めて自身を神格化した王でもある。
  しかし強引な領土拡張により、反乱が頻発する原因を作ったとする評価も存在する。
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    | 初代サルゴン王を彷彿とさせる覇王だったんだな。
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         | サルゴンとナラム・シンは、後世の文学で主人公にもなったほどの英雄なんだよ。
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| ナラム・シンの征服事業の中でも、特に有名なのは東の山岳民族に対する遠征。
| この軍事的成功を記念し、『ナラム・シンの戦勝記念碑』というのが造られたんです。
| これまで、シュメールに君臨した王というのは、あくまで神官であり神の代理者でした。
| しかしナラム・シンは、自身を神格化。自分も神の一員であると称したんですよ。
| あくまでシュメールは多神教なので、最高神と王が一体化していたエジプトとは意味合いが違います。
| それでも自身を神そのものと称した王は、この地域ではナラム・シンが最初なんですよ。
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ナラム・シンの戦勝記念碑
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    | メソポタミアで初めて、神と同一視された王なんだな。
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         | そういうわけで、ナラム・シンは英雄として後世に残っているが……
         | その一方で、神を冒涜した不届き者とする評価も存在する。
         | ナラム・シン亡き後にアッカド王朝は一気に衰退するんだが、それは神罰だと言われたんだ。
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| しかし……ナラム・シンの息子シャル・カリ・シャリが王位に就いた頃になると、王朝は一気に傾いていきました。
| 徐々に領土は分裂を始め、さらに東方からグティ人、西方から遊牧民のアムル人の攻撃を受けます。
| こうして紀元前2200頃、メソポタミア統一政権であるアッカド王朝は滅亡してしまうんです。
| 完全に消滅したわけではありませんが、以後のアッカドはメソポタミアの地方政権レベルにまで縮小。
| アムル人は暴れるだけ暴れ、略奪するだけ略奪して故郷へと帰っていきました。
| グティ人はメソポタミアに居座り、シュメールの民は彼らの支配を受けることになるんです。
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 ・グティ人
  メソポタミア東方のザグロス山脈に住む民族だが、その詳細は不明。
  幾つかの周辺異民族をまとめた総称として、「グティ人」という名称が使われていた可能性が高い。
  紀元前2200頃からメソポタミアに侵入、アッカド王朝を崩壊させる。
  以後、メソポタミアの地で100年もの間、支配者として君臨したと記録されている。
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    | 周囲の異民族って、しょっちゅうメソポタミアに攻め入ってくるよな。
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         | メソポタミアの地は繁栄してただけあり、財がいっぱいあったからな。
         | 周辺の異民族にとって、格好の略奪対象だった。
         | 古代メソポタミアの歴史は、異民族襲来と支配者交代の連鎖とも言える。
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| 「夫から妻を奪い、親から子を奪う」とか「山岳の毒蛇」とか、シュメール人から散々に言われたグティ人。
| 彼らの支配が、具体的にどのようなものだったかは不明なんですが……
| 確かなことは、王朝を造って支配者として君臨したりはしなかったということ。
| この時期はシュメールの政治も混乱し、「だれが王であり、だれが王でなかったか」と言われるほどの有様。
| あちこちに政権が乱立し、覇を競う戦国時代になったわけですね。
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    | またもや戦国時代に逆戻りしてしまったわけか。
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         | シュメール人の記録によれば、悪魔のようなグティ人がメソポタミア全土を埋めたらしいが……
         | 実際には、言われているほどグティ人の支配は圧倒的じゃなかったらしい。
         | グティ人はそう数が多くないし、北部の都市を幾つか占拠していたって程度だろうか?
         | この時代が荒れた原因として、グティ人の侵入はそう大きくないという説さえあるんだ。
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| こうしてアッカドの統制力がなくなると、かつてのシュメール都市国家は次々と独立を開始。
| 中でも紀元前2100年代の半ば、派手に栄えたのが都市国家ラガシュでした。
| 特にグデア王という優れた人物が王位に就いた時代、ラガシュは経済や美術分野で大発展。
| この時代の美術はまさに百花繚乱で、特にグデア王の像などは代表的ですね。
| さらに商業的発展も凄まじく、かつてのアッカド王朝時代に匹敵するほどの交易範囲を築き上げました。
| ラガシュに限らず、数々のシュメール都市国家が再び勢力を盛り返したんですよ。
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 ・グデア
  紀元前2100年代にラガシュの王となった人物。
  経済や芸術の発展に大いに貢献し、ラガシュの最盛期をもたらした。
  自身の像を数多く造らせ、うち26体(偽造も多いようだが)が発見されている。

  
グデア像(顔) グデア像(祈祷)
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    | この像は……見覚えがあるぞ。
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         | 1877年にギルス地区から発掘され、シュメール文明の存在を確固たるものにした像だ。
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| その一方、都市国家ウルクでは――ウトゥ・ヘガルという勇壮な王が大活躍していました。
| メソポタミアに君臨していたグティ人を武力で追い払い、その支配からシュメールを解放。
| その後、都市国家ウルを任されていたウルクの将軍ウル・ナンムが、紀元前2112年にウルの王となりました。
| このウル王ウル・ナンムによって、メソポタミアの地は再統一。ウル第三王朝がスタートしたのです。
| 彼の偉業には、様々なものがあるんですが……各都市のジグラトを修復・再建したのもその一つ。
| ジグラトとは、神殿のパワーアップ版とも言える聖塔のことですね。その跡は
こちら
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 ・ウル第3王朝
  ウル・ナンムが創設したシュメールの統一王朝。
  これまでにない規模での経済・行政体制を確立し、シュメールの黄金期を築く。
  しかしその繁栄は長くなく、アムル人などの侵入を受けて崩壊。
  事実上、シュメール人最後の王朝となる。
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    | 跡でもかなりデカい建物だな。
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         | ジグラトは聖なる塔であり、天に続く階段。神に近付くための建築物だ。
         | 後に旧約聖書の「バベルの塔」のモデルとなり、人類の奢りの象徴にされてしまったが。
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| またウル・ナンムは、ウル・ナンム法典と呼ばれる法典を作ったことでも知られています。
| これは、ハンムラビ法典に先行する現存する最古の法典ですね。
| そんな彼の打ち立てたウル第3王朝は、ラガシュが築いた交易路を継承。
| 四十に分けられた領地には王が命じた総督が置かれ、官僚制も完備。
| ウル第3王朝は、メソポタミアの地にかつてない中央集権システムを樹立したんですよ。
| ……とはいえ、あくまで古代の話。中央集権国家にはまだまだほど遠いですが。
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 ・ウル・ナンム
  ウル第3王朝を創設した王で、ウルク王ウトゥ・ヘガルの息子または弟。
  当初はウルクの将軍・ウル知事だったが、独立してウルの王を名乗る。
  さらにウトゥ・ヘガルの後継者となり、シュメールに統一王朝をもたらした。
  またウル・ナンム法典を制定し、「正義の牧人」とも讃えられる。
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    | まさに、シュメール黄金時代だな。
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         | なおウル・ナンム法典は、2代王シュルギが作ったという説もある。
         | 傷害に対しては賠償金で償わせる、かなり先進的な法だったようだ。
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| そして2代王シュルギは、前代のウル・ナンムが築き上げた政権をさらに確固たるものにしました。
| 優れた政治・経済政策を行い、大規模な検地を行うなど厳格な行政がなされます。
| この時代から、文書記録も大量に出土するようになるんですね。
| そして、各都市の伝承をまとめて『シュメール王名表』が作られたのもこの時期です。
| まさにウル第3王朝は、シュメールの地に君臨する大帝国と言えるでしょう。
| そんな帝国が、100年ほどで崩壊してしまうと誰が予想したでしょうか……
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    | えっ!?
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         | しかもウル第3王朝は、シュメール最後の輝きだったんだ……
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| 2代王シュルギの次の代から、早くもウル第3王朝に不穏な影が。
| 息子のアマル・スエンが王位を継いだのですが、彼の兄弟(親子説あり)であるシュ・シンも王と名乗りました。
| この二重王権状態に政府が混乱しないわけがなく、深刻な政変が発生したようですね。
| シュメール各地で官僚が次々と交代させられる異常事態となり、政治は荒れに荒れました。
| アマル・スエンの治世は9年と『シュメール王名表』にありますが、8年目にはすでに死亡していたようです。
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    | 細かい経過は良く分からないが、グダグダになったのは良く分かるな。
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         | ここから先は、坂道を転げ落ちる一方だ。
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| シュ・シンが正式に王となった頃には、各地での反乱が深刻化していました。
| そして防衛力が低下しているとなると、喜んで攻め入ってくるのが周辺異民族。
| 以前に紹介した山岳民エラム人が東から襲来。西の砂漠からは、遊牧民族アムル人が襲ってきます。
| シュ・シンは死力を振り絞り、なんとか国内の大反乱を鎮圧することに成功。
| 異民族の撃退も頑張るのですが、国内はもはやボロボロの状態にありました。
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 ・アムル人(アモリ人)
  シリア砂漠を中心に活動していた、セム系の遊牧民族。
  その一部は労働者、傭兵としてウル第3王朝時代初期からシュメールにも住んでいたようだ。
  ウル第3王朝崩壊後は、メソポタミアに移住したアムル人達によって王朝が乱立する。
  似た名前のアラム人とは別物なので、混同しないよう注意。
  なお、旧約聖書でのアムル人は「アモリ人」と記載されている。
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    | 例によって、四方から異民族が攻めてきたのか。
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         | さらにこの時代になると、メソポタミアの食料生産力は激減していた。
         | かつては、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスもびっくりの土地生産力を誇ったんだが……
         | 高温地で灌漑農耕をやる場合、畑の排水をしっかりやらないと土に塩分が発生するんだ。
         | これが何千年も掛けて蓄積され、まるで毒のように土地を蝕んでいく。
         | こうした塩害によって穀物生産量は減衰、シュメールを弱らせていたんだ。
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| シュ・シンの息子であるイビ・シンが王位を継いだ時、ウルで大飢饉が発生してしまいます。
| そこで配下のアムル人将軍イシュビ・エラに軍を与え、ウル北部の都市イシンで穀物の買い付けを命令。
| こうしてイシュビ・エラはイシンに向かい、穀物を買い付けたのですが……
| イシュビ・エラは中央政府に過剰な代金を請求したことが発覚し、イビ・シンは激怒。
| 王と臣の間でいさかいが発生し、イシュビ・エラはウルに帰ってこなくなりました。
| それどころかイシュビ・エラはイシン周辺を支配し、ウル第3王朝から独立してしまったんです。
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    | こうもあっさりと独立されるようじゃ、ウル第3王朝ももうダメだな……
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         | イシン政権のイシュビ・エラ、西方のアムル人、東方のエラム人……
         | ウル第3王朝は、三方向から敵に囲まれることになってしまった。
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| ここから、シュメールの地は異民族も交えたバトルロイヤルに陥ります。
| 時にウル第3王朝はイシン政権と手を結び、共同でエラム人と戦ったこともあったらしいですね。
| しかイビ・シンの治世である紀元前2004年、とうとうエラム人の猛攻を抑えられなくなります。
| こうしてエラム人はウルを征服し、イビ・シン王をエラムの首都アンシャンに連行。そのまま彼は消息不明に。
| これはすなわちウル第3王朝の滅亡であり、シュメール人の政権はこうして幕を下ろします。
| 以後、シュメール人が表舞台に現れることはありませんでした……
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    | シュメール人は、滅亡してしまったのか?
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         | ここから先、メソポタミアはアムル人を中心としたセム系民族達の天下となる。
         | シュメールは政治的独立性を失うことで、文化の自立性を失ってしまったのだろうな。
         | 滅亡というより、民族としてのアイデンティティを保てずセム系民族の中に埋没していった。
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| 一方、イシンに独立政権を築いていたイシュビ・エラはというと――エラム人の猛攻に耐えることができました。
| そればかりか、イシュビ・エラは軍を率いて南化。ウルからエラム人を追い出すことに成功、中央に君臨します。
| これ以後、メソポタミア全域はまたも戦国時代に陥ることとなりました。
| その中でも有力だったのが、ウルを首都にしていたイシンと、大都市ラルサ。
| この二大国が何度も激突し、世代交代しながらもメソポタミアの覇権を奪い合います。
| そんな混乱期を、イシン・ラルサ時代と呼んでいますね。
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    | イシンのイシュビ・エラは、確かアムル人だったっけ。
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         | イシンはアムル人国家だし、ラルサも同様にアムル人が築いた国家。
         | メソポタミアの地は、すっかりセム系の民族達に占拠されるんだが……
         | 彼らがこの地を支配していたシュメール文化を破壊したかというと、むしろ全く違うんだ。
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| 遊牧民族である彼らは、シュメール文明に同化していく形で地域に溶け込んでいったとも言えます。
| それどころか、シュメール文化をアムル人達が継いでいったといっても過言ではありません。
| ここら辺は、異民族を呑み込んでいく中国文化にも似ているんですが――
| 新支配者となったセム系民族達も、結局はシュメール文化の深い影響を受けていくんですよ。
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    | 遊牧民族が、支配した地で定住生活を送るにあたって……
    | やっぱり参考にするのは、その地の文化だからなぁ。
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         | また、この混乱期、後にメソポタミアの支配者となる国家も勢力を伸ばし始めた。
         | バビロンやアッシリアが、メキメキ国力を付けてきたんだよ。
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| そしてイシンは5代王リピト・イシュタルの時代、ラルサ5代王グングヌムにウルを奪われてしまいます。
| こうして首都を失ったイシンは、もはや衰える一方。
| ラルサ14代王リム・シンは、とうとうイシンを滅亡させることに成功したんですが――
| とある偉大な王の下、力を付けてきたアムル人の新興国家――バビロンの前に敗れ去ってしまうんです。
| この偉大なるバビロン王こそが、かの有名なハンムラビ。
| こうして、バビロニア時代が到来するのです……ってことで、ここから先は次の講義としましょう。
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    | 次の時代をちょろっと匂わせたところで、次回に続くわけだな。
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         | いいところで終わらせようってわけじゃなく、ただの区切りだ。
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| さて……こうしてメソポタミア地域の支配権は、セム系民族の手に渡ることとなりました。
| シュメール人はその中に埋もれていき、歴史の荒波に消えていったのですが――
| 彼らが残した遺産は、以後のメソポタミアでも尊重され続けました。
| シュメール語は日常語として使われなくなった後も、公用語として残り続けます。
| 後の王朝でも、碑文や法典など、公文書は全てシュメール語で記されたんですよ。
| ウル第3王朝が崩壊して1000年近く、シュメール語はずっと公用語であったんです。
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 ・シュメール簡易年表
  BC9000頃 農耕・牧畜開始
  BC6000-4000頃 ウバイド文化期
  BC2900頃 初期王朝時代に入る
  BC2600頃 ギルガメシュがウルク王に
  BC2344 アッカド王朝成立
  BC2200頃 グティ人がメソポタミアに侵入開始
  BC2112 ウル第3王朝成立
  BC2004 ウル第3王朝滅亡
  BC1760 バビロン王ハンムラビ、メソポタミアを統一
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    | シュメール人は滅びても、彼らの文化は滅びなかったんだな!
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         | いや、シュメール人とて別に滅ぼされたわけじゃないし。
         | 数を増やしていくセム系民族と混血していくうち、自分達がシュメール人だと思わなくなっていった。
         | 別に、絶滅させられたわけじゃないんだから。
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| そしてシュメール文化は、シルクロードを通じて日本まで来ているんです。
| 例えば、日本の正倉院に眠る宝物にも、シュメール文化の影響が見られるほど。
| そればかりかシュメール文化は、現在のアジアにも、ヨーロッパにだって生きているんですよ。
| ハンコはシュメール発祥ですし、他にもシュメールの影響を受けている物はいくらでもあるでしょう。
| われわれ日本人とて、シュメール文明の末裔といって良いのかもしれませんね。
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    | これがシュメールの遺産であるということを、知る人がいなくなってもなお……
    | シュメール文化は、現代人の中にまで生き続けているんだな。
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         | あと、シュメール人は日本人の祖先っていうトンデモ説があるが……
         | いえばいうだけおまえの恥になる……
         | オレはバカだと宣伝してまわるのと一緒だ……
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| そういうわけで、今回の講義は終わりです。
| ここまで古代オリエント史の前半、シュメール人の時代を中心に講義しました。
| 次回は古代オリエント史の中盤、バビロニア時代からアッシリア時代について講義しましょう。
| しかし、最後に恐ろしい事実を明かすのですが……
| 世界史の教科書などを見ると、今回講義した範囲はわずか2ページ程度。
| それが、こんな容量になってしまうなんて……世界史、恐るべし……
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    | この世界史講義の容量、全部完成した時点でどれだけ凄まじいことになるんだ……?
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         | まあ、教科書は短くまとめているのがウリだからな。
         | カエサルなんて、登場した次のページでもう死んでるんだぞ。
         | グスタフ・アドルフなんて、名前が出た4行あとにはもう戦死してるんだぞ。
         | 世界史に萌えるなんて無理だよ、これじゃあ!
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