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| 3回に分けてお送りする古代オリエント講義、今回は第2回目になります。
| 前回は、シュメールの興亡についてお話ししましたね。
| 今回はバビロニア第1王朝の成立から、新アッシリアの崩壊までを見ていきましょう。
| 以前にも言った通り、この古代オリエント講義からはエジプト史を除外しております。
| 古代エジプト史は、古代オリエント史から独立してお送りする予定。
| 今回の講義にはエジプトが多く顔を出しますが、エジプト視点から見た講義はしばらくお待ち下さい。
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    | 俺を見て。
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         | 同様に、地中海方面の動向やイスラエル史も別講義で行う予定。
         | ヒッタイトも、地中海方面なんだが……それは、この古代オリエント講義でやったりする。
         | そこらへん、けっこうアバウトだな。
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| 事前に言っておきますが、今回の講義は非常に分かりにくいものになると思われます。
| メソポタミアには四方から様々な民族が入り乱れ、激しい民族移動の波の真っ直中。
| 土着民と外来の民が入り乱れ、大バトルロイヤルに陥る激動の時代。
| また、史料が非常に断片的なことも分かり難さを助長していますね。
| 各地域に残された断片的な記録から、全体の流れを再構築するしかないんですよ。
| それゆえ、部分部分は分かっても、全体が見えてこないところも大きいんです。
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    | まだまだ、研究途上な分野なんだな。
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         | 発掘はされても、解読が進んでいない粘土板が非常に数多い。
         | 話によれば、現在保管されている全ての粘土板のうち、解読できたのはほんの5%だとか。
         | これからに期待だな。
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| では、講義に入りましょう。前回の講義で、シュメール最後の王朝であるウル第3王朝が崩壊しましたね。
| こうしてシュメールは歴史の表舞台から消え、メソポタミアの地はセム系民族が築いた小国家の乱立状態に。
| これまで何度も繰り返し、そしてこれからも繰り返すことなんですが――
| 諸都市を統一する中央政権が出来ても、それが崩れれば政治主体は都市単位に戻ってきます。
| メソポタミアの動静は、統一状態と都市国家分散状態(≒戦国時代)を往復することになるんですよ。
| ところで、ツンデレ助教授というジャンルはどうでしょう。ウケると思いますか?
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    | シュメール政権の崩壊によって、また都市国家時代に舞い戻ったわけか。
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         | シュメール人が政治の表舞台から去っても、シュメール文化は驚くほど揺るがなかった。
         | 日常会話でシュメール語が話されることはなくなり、アッカド語が主流になったが……
         | 公文章や歴史記録などはシュメール語が使われ続け、宗教観などもそのまま存続。
         | メソポタミアの支配者達はめまぐるしく変わったが、多くはシュメール文化を継承し続けたんだ。
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| シュメールなき後に乱立する小国家の中で、特に目立ったのは都市国家イシンとラルサでした。
| 共にセム系民族アムル人の中心となった政権であり、もはやメソポタミアは外来のアムル人が席捲する時代。
| そんなイシン・ラルサ時代にあって、頭角を現してきた小国家が他にもいくつか。
| それが後のバビロニアやアッシリア――メソポタミアの地に、統一政権を築くことになる国々ですね。
| 都市バビロンも都市アッシュルも、もっと以前から都市勢力として存在していました。
| 中央政府の消滅で独立状態となり、都市国家として発展し――そして、独立勢力となっていったんですよ。
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    | それでも、まだまだこの時期は小さな勢力だったみたいな感じだな。
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         | なおアムル人は、ウル第3王朝時代から傭兵や労働者としてメソポタミアに来ていたようだ。
         | それが時代が下るにつれ、高官など高い地位に取り立てられるようになり――
         | ウル第3王朝崩壊時は、各地で力を振るうようになっていた。
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| バビロンという都市が記録に出てくるのは、紀元前3000年頃とされています。
| シュメール初期王朝時代から、一都市として存在していたことに注意ですね。
| バビロンの都市神はマルドゥク。バビロニア王朝成立後は、この神は最高神として君臨することになります。
| そんなバビロンはアッカド王朝やウル第3王朝時代において、アムル人の影響がかなり強い都市でした。
| ウル第3王朝が滅亡した紀元前2004年になると、いよいよメソポタミア全土は無政府状態に。
| 他の多くの都市と同様、バビロンも事実上の独立状態になってしまうんです。
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    | 時は戦国!
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         | 大都市ウルに君臨するイシン政権と、それに挑戦するラルサ政権――
         | そんな小競り合いをよそに、各地にも小政権の芽がニョキニョキ伸びる状態だった。
         | それにしても、この地図……もっと縮尺の小さいのはなかったのか?
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| そんな紀元前1894年、バビロンにてスムアブムは王朝樹立を宣言、初代バビロン王として即位しました。
| これが、バビロン第1王朝の成立なんですが――この時期は、まだまだ各地に乱立した弱小政権の一つ。
| このバビロンがメソポタミアに覇を唱える勢力になるまでには、あと100年待たなければなりません。
| ここから100年かけてバビロンは支配領域を広げていき、ハンムラビの代にメソポタミアを制覇するわけですね。
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    | しかし、それもまだ先の話か……
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         | 今はじっと我慢、雌伏の時だ。
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| さらに見逃せないのは、この時期から頭角を表してきた都市アッシュル。
| メソポタミアの北方には、シュメール全盛期よりも以前からアッシリア人が住んでいました。
| 都市神はアッシュル、そしてこの地域の名称もアッシュル――同名の都市、神、地域を持つ珍しいケースです。
| アッシリア人もやはりセム系の人々が中心、一部には非セム系人もいたようですが。
| そんな彼らが生活の糧としていたのは、都市国家同士の交易でした。
| アッシシリア人は、当初から極めて成功していた広域商業民だったんです。
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    | 北の商業民族アッシュル人か。
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         | アッシュル南方は、言うまでもなく豊かなシュメールの地。
         | そしてアッシュル北方のアナトリア半島方面(現代のトルコ)は、金属資源に恵まれていた。
         | この両地域の中継ぎ貿易が成功し、アッシュルは貿易センターとして発展するんだ。
         | なおアッシュルはメソポタミアの北部にあり、シュメール政権に服属していたわけではなかった。
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| そんなアッシュル(アッシリア)も、ウル第3王朝の崩壊により戦国時代の真っ直中へ。
| ここで登場した偉大な王、シャムシ・アダド1世がアッシリアの支配圏を一気に押し広げるわけですが――
| 実はこのシャムシ・アダド1世、アッシリアの正当王位継承者ではなく、アッシリア人でさえありませんでした。
| アッシリアの周囲にあった、とあるアムル人小国家の王子だった人物なんです。
| そんな彼が、類稀なる武勇でアッシリアに攻め込み、紀元前1813年にこの国を征服。
| 38代アッシリア王エリシュム2世から王位を奪い、39代王シャムシ・アダド1世として即位したんというわけです。
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 ・シャムシ・アダド1世(生年不詳〜紀元前1781年)
  古アッシリア時代を代表する王で、この時期の頂点を築く。
  アッシリアをオリエントにおける強国の地位にまで押し上げた。
  しかし彼の暗殺後、アッシリアはたちまち凋落していく。
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    | なんと! 自分の新王朝を築かず、あくまでアッシリアの新王として君臨したのか。
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         | この際、シャムシ・アダド1世は最初期のアッシリア王名表を編纂した。
         | 彼自身の先祖を多くアッシリア王家の記録に組み込み、父は25代アッシリア王として記録。
         | 自分の王位の正統性を確かにするため、捏造された記録とも言えるだろうな。
         | そういうわけで、シャムシ・アダド1世の作らせたアッシリア王名表はかなり胡散臭い。
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| そしてシャムシ・アダド1世の元で、アッシリアは一挙に支配領域を広げることになります。
| 周辺の小国家を次々と支配下に置き、同じく支配地を広げていたバビロンさえも服属させました。
| さらに大国マリと何度も激闘を繰り広げ、とうとうこの強国をも服属させることに成功します。
| シュメール亡き後の争乱時代、アッシリアは北メソポタミアで大勢力圏を築いたんですよ。
| この時期から紀元前1400年あたりまでの時期は、古アッシリア時代と呼ばれることになります。
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    | 古アッシリア時代ってことは……わかったぞ! 新アッシリア時代もあるんだな!?
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         | 新アッシリア時代どころか、中アッシリア時代もあるぞ。
         | アッシリアは非常に栄枯盛衰が激しい国で、約1500年の歴史の中で3度も浮き沈みがあった。
         | シャムシ・アダド1世による隆盛は、アッシリアが輝く最初の1回目。
         | つまり、アッシリアは間もなく沈んでいくことになる……
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| その一方でラルサはイシンを滅ぼすことに成功、メソポタミア制覇に大きく近付いていました。
| そんな緊迫情勢の紀元前1700年代、アッシリアに服属していたバビロンにて6代王ハンムラビが即位します。
| 当時のバビロンは北の大国アッシリア、南の大国ラルサに挟まれているという悲惨な状況。
| それでもハンムラビは、アッシリアに服属している(バックにアッシリアがいる)という状況を上手く使います。
| アッシリアとの関係を上手に保ちながら、ハンムラビは支配権を広げ、経済を豊かにすることに成功。
| あとはひたすら、時期が来るのを――偉大なるアッシリア王シャムシ・アダド1世が死ぬのを待ちました。
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 ・ハンムラビ(生没年不詳)
  バビロン第1王朝6代王で、メソポタミアの地に統一国家を築くことに成功する。
  中央集権国家を確立したのをはじめ、ハンムラビ法典として知られる法を整備。
  バビロニアに繁栄をもたらすも、彼の死後の王国は長持ちしなかった。

  ハンムラビのものとされている像
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    | ハンムラビ王は俺でも知ってるぞ。
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         | 逆に言うと、ハンムラビでさえシャムシ・アダド1世が生きている間は何もできなかった。
         | それほどまでに、このシャムシ・アダド1世は偉大な覇者だったんだよ。
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| そして偉大な巨人が死ぬ時、事態は一気に動き出すことになります。
| シャムシ・アダド1世が寿命を迎え、その生をまっとうした瞬間――アッシリアの支配体制は揺らぎました。
| マリが独立して、アッシリアの支配から逃れ――そして、すかさずバビロン王ハンムラビも動き出します。
| 紀元前1763年には、南の大国ラルサのリム・シンを撃破。シュメール・アッカド地方を統一しました。
| さらに周辺小国を次々に打ち倒し、歴史ある国家マリをも服属させることに成功。
| そして紀元前1755年には、凡庸な王によって弱体化していたアッシリアを撃破!!
| こうしてバビロン王ハンムラビが、メソポタミアの地に君臨する覇者となったんです。
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 ・バビロン第1王朝
  紀元前2000年頃、バビロンを中心に築かれたセム系アムル人の王朝。
  紀元前1700年代、6代王ハンムラビの時代にメソポタミアを統一する。
  しかし100年ほどしか栄華は保てず、1600年代にはヒッタイト人の攻撃により崩壊。
  古バビロニア王国とも呼ばれ、後の新バビロニアとは区別される。
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    | なんと!
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         | なお古アッシリアの絶頂期はシャムシ・アダド1世の在世時であり、それ以降は転げ落ちるのみ。
         | 外部出身の王がわずか一代で繁栄を築き、その一代で繁栄は終わってしまったんだ。
         | 以降の数百年、アッシリアはちっぽけな地方政権の身を甘んじることになる。
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| こうしてバビロン第1王朝は、シュメール、アッカドの地に君臨しました。
| この王朝は、後の世では古バビロニア王国とも呼ばれることになりますね。
| また、その支配領域は、バビロンが統一した土地ということでバビロニアと呼ばれることになるんですが……
| 実は、バビロン第1王朝の支配地域はアッカド王朝時代やウル第三王朝時代よりも狭かったりします。
| アッシリア地域は早々に独立し、バビロニア王朝が北に進出するのを阻んでいました。
| ハンムラビの死後ともなると、バビロニア王朝の支配領域は都市バビロン周辺のみという事態になることも。
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紫:バビロニア地域(バビロニアのだいたいの支配地)
赤:アッシリア地域(ハンムラビが支配下に組む込むも、間もなく独立)
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    | 古バビロニア王国ってことは……新バビロニア王国もあるの?
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         | 古バビロニア王国が滅亡して約千年後、カルデア人の手によってバビロニア王国は復興される。
         | それを新バビロニア王国と呼び、ハンムラビ王の古バビロニア王国とは区別されるんだ。
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| 古バビロニア時代においても、文化的にはシュメール・アッカドを継承したようなもの。
| メソポタミアを支配していたアムル人特有の文化というのは、ほとんど見られません。
| なお、この時代から、公文章にもアッカド語が使われ始めます。
| または、シュメール・アッカド両方の言語で記載されるということもありました。
| 楔形文字はより使いやすく進化し、シュメールの文学だったギルガメシュ叙事詩もこの時代にまとめられます。
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    | シュメールは、文化の中で生き続けているのか。
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         | この時代の文字記録や発見物は非常に多い。
         | 1000年前のヨーロッパよりも、この時代のバビロニアの方が多くのことが分かると言われるほどだ。
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| また、シュメール時代の伝統や宗教観は、古バビロニア時代にもほとんど変わりませんでした。
| 序列化された神々の中で、バビロンの都市マルドゥクは最高神に君臨しましたが――
| 既存の宗教体系を破壊したわけではなく、神様の階級が変わった程度。
| さらにこの時代、占星術が大いに発達することとなりました――決して、非科学的と侮ってはなりません。
| 星の運行を観察することにより、惑星の運行を把握。月食を予想することもできるようになりました。
| これは、天文学と呼んでもいいレベルのものだったんですよ。
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    | あながち、非科学的とも言えないんだな。
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         | 元々の動機は、神の意志は星の運行などに現れるから、チェックする――というものだったろう。
         | こうして星の運行を観察しているうちに、多くの規則性や法則性が発見されるようになった。
         | そこから科学が生まれていくんだ。
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| そして……ハンムラビといえば、誰でも知っているのがハンムラビ法典。
| ハンムラビ王が発布した法典であり、現存する法典の中ではウル・ナンム法典に続いて二番目に古いです。
| それが発見されたのは1901年、エラムのスーサを調査している時のこと。
| 地下から、ビッシリと文字の刻まれた高さ2.25メートルの石柱が発掘されたんですよ。
| そこに記されていたのは、282条の条文からなるアッカド語の法典でした。
| そして、太陽神シャマシュから法典を受け取るハンムラビの姿が円柱頂点に刻まれていたんです。
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ハンムラビ法典
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    | エラムって……前の講義でもちょくちょく出て来た、東の山岳民族エラム人の本拠地か?
    | なんで、そんなバビロンから離れたところから出て来たんだ?
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         | 後で詳しく講義するが……バビロン崩壊後に、エラム人が戦利品として持ち帰ったんだよ。
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| ハンムラビ法典で有名なのは、「目には目を、歯には歯を」の箇所。
| これは旧約聖書の引用で、実際は「もし人が自由人の目を潰した時は、かれの目を潰す」となっています。
| これをもって野蛮な法典とみなされることも多いですが、とんでもない話ですね。
| また被害者と加害者の身分に差がある場合、刑罰が異なる身分差別的な法典という批判もありますが――
| このハンムラビ法典は野蛮でも残酷でもなく、極めて先進的な法典であることを覚えておいて下さい。
| そもそも法を体系化するという試み自体が、当時では十分に先進的だったんです。
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    | なんで? 刑罰は残虐だし、身分差別バリバリだし、最悪の法典じゃないか。
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         | 君は、あまりにも現代の感覚で捉えすぎている。
         | ある歴史的事項について考慮するには、その時代の感覚や認識を考えないのは問題外。
         | 過去の事例を、現代の感覚で評価なんてできるはずがないだろう。
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| 現在の法律――何千年もかけて洗練されきったものと比べるから、野蛮に見えてしまうんです。
| 時は古代のバビロニア、長い戦乱ですさみきった時代。
| 「お前の息子が俺の牛を盗んだ!」といって、相手の家に火を点けて一族皆殺し。
| 「貴様は俺の頭を殴ったんだぞ!」といって、相手と家族数人を撲殺――そんなことが当たり前だった時代です。
| そこでハンムラビ王は、「自分がやられたこと以上は、相手に仕返しするな!」という法を提示したんですよ。
| さて、これが本当に野蛮でしょうか?
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    | あれ……? そう言われれば、ぜんぜん野蛮じゃないな。
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         | 復讐に上限を定めた――つまり、自分が受けた損害以上を相手に与えてはならないということだ。
         | 現代の法律と比べて、「当時は野蛮な復讐が法で認められた」なんて考えるのは見当違い。
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| ハンムラビ法典は階級身分差別!ってのは……もう、検討にも値しません。
| 奴隷が悪とされ始めたのは、ヨーロッパで啓蒙思想の芽が出始めた17世紀あたりから。
| 「バビロニアの軍隊は大砲を使おうとしなかった」などと批判するアホな人間はいません。
| なぜなら大砲が出現したのは、バビロニアの時代から約3000年後だからです。
| しかし、「バビロニアの法典は身分差別的」などと批判する人間はなぜだか存在します。
| 身分差別が悪徳とされ始めたのも、バビロニアの時代から約3000年後の話だというのに。
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    | 逆に考えると、17世紀以前は奴隷制度なんて悪徳ではなかったということか。
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         | 現代の常識や思想で過去を批判するというのは、歴史を見る上で絶対にやってはならない。
         | 当然、現代において身分差別を容認するかどうかってのは全く別の話だ。
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| 当時の感覚からいって、法律を体系化しようということ自体が非常に開明的でした。
| 民に厳罰を与えようというのが目的ではなく、何が悪いのか、そしてその刑罰をはっきりさせるのが目的。
| 今まで慣習やその日の気分で行われてきた適当な裁判を、きっちりしたものに変革したんです。
| この考え方は現在の司法制度の基本となり、現代の法律にまで生きているんですよ。
| 現代法と比較して、ハンムラビ法を野蛮だとするのは――幼い頃の自分を、幼稚だと馬鹿にするようなもの。
| まあ、私は幼少時から賢かったですが。
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    | そんなの聞いてないよ。
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         | まあ……最古の法典であるウル・ナンム法典は、罪に対する罰金も認めている。
         | それに比べたら、身体刑の多さが目立つかもしれんが。
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| あと、余談ですが……このハンムラビ法典は、実際に発布はされていない可能性があります。
| 当時やそれ以降の裁判記録を見ると、ハンムラビ法典とは異なる判決が下されているケースが多いんですよ。
| 実際のところ、ハンムラビ法典は王の所信表明のようなものと理解するのが良いでしょうね。
| いずれにしても、その内容は実に開明的。野蛮とか後進的などという批判はあたりません。
| そこらへん、間違えないように気を付けて下さい。
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    | 現代の価値基準で、過去を評価するのは禁物ってことか……
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         | そんなの、当然のことなんだがな。
         | こんな常識さえ知らない者がいるのは、困ったもんだ。
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| またハンムラビは法典を編纂しただけでなく、灌漑技術の発展なども推奨。
| 軍事的偉業のみならず、バビロニアに多大な経済的発展をももたらしたんです。
| しかし――この名君ハンムラビ王の時代が、古バビロニア王国の絶頂期でした。
| ここから先のバビロニアは、坂を転がり落ちていくように衰退していくことになるんですよ。
| ハンムラビ王亡き後、跡を継いで7代王となったのがハンムラビの息子であるサムス・イルナ。
| 彼の時代には領土各地で反乱が起き、バビロニアは多くの領土を失うことになってしまうんです。
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    | 古バビロニア王国、短い命だったんだな……
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         | その知名度とは裏腹に、古バビロニア王国は100年足らずの短命王朝だったんだ。
         | なお旧約聖書で出てくるのは、この古バビロニアではなく後の新バビロニアの方。
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| サムス・イルナは、各地で起こる反乱に対して果敢に対処。
| ラルサのリム・シン2世が起こした反乱は平定するも、イルマ・イルという人物によってニップル南部が独立。
| またバビロニアはエラムの地も支配していたんですが、ここでも大反乱が発生。
| エラム王クティル・ナフンテ1世によって、結果的にバビロンから再び独立してしまうんです。
| そして紀元前1741年には、カッシート人がバビロニアの地へと侵入してきました。
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 ・カッシート人
  紀元前18世紀あたりからバビロニアの地に移住してきた人々。
  その発祥地も言語も不明だが、どうも東の山脈の方からやって来たとされる説が有力。
  かつてはインド・ヨーロッパ語族の一派とされていたが、現在ではその線は薄いとされている。
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    | 反乱続発、そして四方から異民族侵入……もはやパターン化してるな。
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         | またフルリ人という民族系統不明の連中もメソポタミアに移住してきて、騒乱の種となる。
         | この地に君臨した支配者は、結局は外部異民族の攻撃にさらされることになるんだよ。
         | メソポタミアにはよくあること。
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| 父サムス・イルナの後を継いだ第8代王アビ・エシェフは、南に勃興した新興王朝である海の国第1王朝と激闘。
| さらに、侵入してきたカッシート人とも戦っていたのですが……この連中とは、次第に友好関係に。
| こうしてカッシート人はバビロニアの地に流入し、労働者や傭兵として活躍するようになっていきます。
| それはすなわち、バビロニアにおけるカッシート人口の増加――影響力が強まっていくことを意味しました。
| 相対的に、バビロンの支配力は弱まっていくことになります。
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    | おおお……
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         | いちおう注意しておきたいが、バビロニアとカッシートが同盟を組んだというわけではない。
         | そもそもカッシートってのは一元的な政治的共同体ではなく、集団の総称に過ぎないからな。
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| 第11代王サムスディタナの時代には、ムルシリ1世に率いられたヒッタイト人が北方からバビロンを襲撃。
| その圧倒的な力を前にして、紀元前1595年に古バビロニア王国は壊滅してしまうんです。
| しかしバビロンを破壊したヒッタイトは、戦利品や捕虜をたんまり抱えて北方へ戻ってしまいました。
| バビロニア政権は完全に崩壊し、この地は権力の空白状態となり――
| そこで徐々に権力を握っていくのが、バビロニア全土に広がっていたカッシート人なんですよ。
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    | ヒッタイト人……? また、訳の分からない奴らが出て来たな。
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         | この辺から、周辺国家や民族の多元化が極端になっていく。
         | 民族移動ってのは常に起きてるんだが、その波が激しくなっていく時期なんだ。
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| ではここで、北から攻めてきたヒッタイト人というのが、どういう連中なのか時間を遡って見てみましょう。
| 紀元前2000年頃から、オリエントの地に新入りの大集団が流入するようになりました。
| それは、インド=ヨーロッパ語族。その正確な発祥地は不明ですが、とりあえず北からやって来たんです。
| なおこの連中はその名の通り、インドやヨーロッパの方にまで広がった民族。
| 民族大移動を行い、オリエントのみならず世界各地になだれこんだんですよ。
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 ・インド=ヨーロッパ語族
  南下してメソポタミアに現れた一派:ヒッタイト人
  イラン高原の方に定住した一派:ペルシア人
  イラン高原からさらに東、インドまで行った一派:アーリア人
  西方、ギリシアに渡った一派:ギリシア人
  イタリア半島にまで流れた一派:ラテン人
  ヨーロッパの東側に住み着いた一派:ゲルマン人

 ※実際のところ、インド=ヨーロッパ人を自称する集団が存在していたわけではない。
   あくまで後世の仮設的な総称であり、同一カテゴリーの連中をいっしょくたにまとめた便宜的な呼称。
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    | なんと!
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         | 民族移動といっても、まるで征服の波が一気に押し寄せたのを想像してはいけない。
         | 何世代も掛けて、じんわりと生活域を移動させていった結果の居住地移動なんだ。
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| そんなインド=ヨーロッパ語族の一派は紀元前2000年頃、アナトリア周辺に定住し始めます。
| アナトリアというのは、現代でいうトルコのあたり。地中外沿いで、メソポタミアの北部にあたりますね。
| この連中がヒッタイト人と呼ばれることになり、彼らはその地の先住民ハッティ人を制圧したようです。
| ハッティ人は優れた製鉄技術を持っていたようで、ヒッタイト人はその技法を継承。
| 世界で最初に、鉄を扱えるようになった連中――そういうことになっていますね。
| ヒッタイト人は、製鉄技術を国家機密として他国に決して教えず、独占していたとされています。
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紫:バビロニア地域
赤:アッシリア地域
黄:ヒッタイト支配圏
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    | そういうことになっているって……どういうことだ?
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         | 異説や疑問も色々あるってことだ。
         | なお板書の地図は、非常にアバウトであることに注意。
         | あくまで、だいたいの支配圏イメージ図に過ぎないぞ。
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| 当初、10ほどのヒッタイト小国家が乱立している状態でしたが――
| 紀元前1680年には、ラバルナ2世がヒッタイト小国家を統一。ヒッタイト王国を築きました。
| 首都はハットゥシャ、その名にちなんでラバルナ2世はハットゥシリ1世と改名します。
| このヒッタイトの最大の特徴は、先進地域メソポタミアをも凌駕する軍事力にありました。
| 彼らの有する軍事技術は、極めて優れていたんですよ。
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 ・ハットゥシリ1世(生年不詳〜紀元前1540年頃)
  ハットゥシャを首都に制定し、ヒッタイト王国の基礎を固めた王。
  外征を繰り返して領土を広げ、ヒッタイトを大国の地位にまで押し上げる。
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    | そりゃ、鉄を武器として使えるんだもんな。周囲の国はまだ青銅器時代だったんだろ?
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         | 鉄器は青銅器に比べて頑丈なのに加え、原料が非常に豊富なんだ。
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| またヒッタイトのチャリオットは、独自の工夫がこらされていました。
| 車輪にスポーク(車輪の中心部と外周を繋ぐ部品)を使用し、その軽量化に成功。
| 従来の鈍重なチャリオットに比べ、機動性が抜群に高かったんです。
| しかも彼らは、馬を家畜化することに成功していたんですよ。
| メソポタミアのチャリオットに使われていたロバに比べると、そのパワーは段違い。
| ヒッタイトの有する戦車は、周辺国で用いられていたものより強力でした。
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    | 馬を家畜化って……簡単そうなんだけどなぁ。
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         | 馬はもともと大人しい動物、人にもなつきにくい。
         | そんな厄介な動物を、戦場で扱えるまでに調教するのは並大抵の苦労じゃなかった。
         | 馬の習性や体を調べ上げ、熟知し、工夫することによって成し遂げられた知の結晶だ。
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| えてして、ヒッタイトは腕にモノを言わせて暴れ回った野蛮人と考えられがちですが……それは大間違い。
| ヒッタイト王国はバビロニア文化の影響を深く受け、法律をしっかり整備するほどの法治国家なんです。
| 自分達の言語を表す文字として、メソポタミアで使われている楔形文字を使用。
| さらにハットゥシリ1世やその後に続く王は、専制君主ではありませんでした。
| 王の権力を抑えるための諮問機関である、貴族会議というものが存在していたんです。
| これにより、初期のヒッタイト王はあまり勝手なことができなかったんですよ。
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    | ヒッタイトじゃ、王でさえ法に従わなきゃならなかったんだな……
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         | なおヒッタイトの神は、周辺地域の神を次々に取り入れていったおかげで千以上。
         | 実に賑やかな多神教だった。
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| そんな軍事強国ヒッタイトは、アナトリア半島を制覇した後、シリア北部にまで触手を伸ばします。
| しかしハットゥシリ1世がシリアに遠征中、祖国の宮殿では息子や家臣達が反乱を画策していました。
| これに怒ったハットウシリ1世は、反乱に荷担しようとした馬鹿息子ではなく養子に王位を譲ると宣言。
| こうしてハットウシリ1世の死後に即位した養子が、ムルシリ1世。
| 彼こそ、古バビロニア王国に攻め込み、その息の根を止めたヒッタイト王なんです。
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    | ここで、古バビロニア崩壊話と繋がってくるわけか。
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         | ムルシリ1世の下、いよいよヒッタイトはメソポタミアにまで圧迫するようになったんだ。
         | 反乱続きで疲弊していた古バビロニア王国に、ヒッタイト軍を追い払う力はなかった。
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| こうして紀元前1595年頃、ムルシリ1世はバビロニアへ大遠征を行います。
| バビロン第一王朝はこれに抵抗できず、圧倒的な軍事力の前に滅ぼされてしまいました。
| こうして古バビロニア王国は滅亡。この地をヒッタイト人が支配する、と思いきや――
| ヒッタイトの連中は、戦利品を抱えて北方に引き返していきました。
| なぜだか分かりませんが、バビロニアの地を支配圏に収めることはしなかったんです。
| これ以後のバビロニアの話は後にして、もう少しだけヒッタイトを見ていきましょう。
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 ・ムルシリ1世(生年不詳〜紀元前1530年頃)
  ヒッタイトの王で、何度も外征を行って領土を広げる。
  またバビロニアを攻撃した際は、バビロン第1王朝を崩壊にまで追い込んだ。
  その遠征から帰国した直後、ムルシリ1世は家族の手で暗殺されてしまう。
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    | 結局、ただの略奪の旅だったの?
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         | 多大な戦利品に満足したのか、さすがに首都から離れすぎなので統治できないと思ったのか……
         | この一件に関する史料は非常に少なく、その意図は今も不明のまま。
         | とにかくヒッタイト軍はバビロニア政権を完全に破壊し、嵐のように去っていったんだ。
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| ムルシリ1世の遠征軍は、その帰途でフルリ人を撃破。さらに戦利品を増やします。
| フルリ人に関しては後で解説しますが、メソポタミアとヒッタイトの間らへんに住んでいた連中。
| こうして大量の戦利品を携えてヒッタイトに帰国したムルシリ1世でしたが――
| 王の不在中、義弟のハンティリ1世は陰謀を練っていたんです。
| 帰国した王は、間もなくハンティリ1世によって暗殺。王位はハンティリ1世の手に渡りました。
| 以後のヒッタイトでは同様の謀反が頻発することになり、みるみる弱小化していきます。
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    | 二代続けて陰謀があったと思ったら、以後も続くわけか……
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         | この時代のヒッタイトを、ヒッタイト古王朝と呼ぶ。
         | いったんは政権が混乱し弱小化したが、後にまた勢力を盛り返すんだ。
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| さてさて、ここで視点を南に移動させ……ヒッタイト人に破壊された後のバビロニアを見てみましょう。
| この地に君臨していたバビロン第1王朝は崩壊し、バビロニアは権力の空白地帯に。
| そこでメキメキ芽を伸ばしたのがカッシート人。彼らはアグムカクリネ王に率いられ、新王朝を築いたんです。
| それがカッシート王朝(バビロン第3王朝)であり、知名度は薄いながら400年に渡ってバビロニアの地を支配。
| 後に出現する新バビロニア王国とはまた別物なので、注意が必要ですよ。
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 ・カッシート王朝
  紀元前1595年頃にバビロン第1王朝はヒッタイトの攻撃によって崩壊、その後に勃興した国家。
  当時のバビロニアで勢力を誇っていたカッシート人が中心になった王朝である。
  バビロニア文化を継承し、アッシリアの支配期間を挟みつつ400年もの命脈を保つことに成功。
  紀元前1100年代、エラムの攻撃により壊滅する。
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    | カッシート人やらアムル人やらヒッタイト人やらフルリ人やら……わけ分かんなくなってきたぜ。
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         | さらにアラム人やらフェニキア人やらカルデア人やらペルシア人やらが出てくるんだ。
         | こりゃ、世界史なんて投げたくもなるぞ……
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| このカッシート時代について支配者が残した史料は非常に少なく、かなり謎に満ちた時代です。
| とりあえず確かなことは、支配者のカッシート人達はバビロニア文化を非常に好んだということ。
| その風習や宗教、言語、法制などを尊重。ハンムラビ法典は、カッシート人政権の下でも用いられたんですよ。
| カッシート政権はバビロニアの各都市に散らばっている記録を集め、歴史記録や文学作品を整理して編纂。
| このおかげでシュメール時代の記録などは後世に残りましたが、カッシート人自身の記録は全然残ってません。
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    | 結局、シュメール人が築いた土台が脈々と受け継がれていったんだな。
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         | カッシート人が扱う言語もアッカド語が中心となり、彼ら自身の言語はほとんど残らなかった。
         | 未だに彼らは、謎多き連中なんだ。
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| さて……そういうわけで、バビロニアの地に君臨していたのはカッシート人のバビロニア第3王朝。
| そして遥か北――アナトリア半島周辺には、弱小化していくヒッタイト王朝。
| その中間に属するメソポタミア北部にも、ミタンニという新興国がメキメキ発展していました。
| この国も、インド=ヨーロッパ語族の流入により誕生した国だと言われてきたんですが――
| どうも実際は、この地に暮らしていたフルリ人が指導者層のほとんどを占めていたようです。
| 当然、フルリ人ってのはどういう連中なの?って話になってきますね。
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紫:カッシート朝バビロニア支配圏
赤:アッシリア(ミタンニの支配下)
水:ミタンニ支配圏
黄:ヒッタイト支配圏
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    | ○○人ってのが増えすぎて、もう訳が分からないぜ。
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         | 訳が分からなくなるくらい、メソポタミアには色んな民族が流入してきたんだ。
         | そのほとんどがシュメール文化にかぶれていくあたり、流石に都会の文化は凄い。
         | シュメール文化には、地方から訪れる田舎者達をトリコにしていく魅力があったんだよ。
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| 新興国ミタンニの中で大勢を占めていたフルリ人ですが、その詳細はまだ不明です。
| どこから現れたのか、どういう民族系統に属する連中だったのかも謎。
| 最近になって、ようやくフルリ語の解読が進んできた段階に過ぎないんですよ。
| インド=ヨーロッパ語族の一派がフルリ人を支配してミタンニを建国したというのがかつての学説でしたが……
| 近年では、ミタンニ建国はフルリ人自身の関与が非常に大きかったらしいことが判明しています。
| 最近の本になると、「ミタンニはフルリ人が建国した」とはっきり書かれているものもありますね。
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・フルリ人
 ウル第3王朝時代あたりからメソポタミアに確認される、民族系統不明の民族。
 フルリ語の解読が進んだことにより、ウル第3王朝の将軍クラスにもフルリ人が多くいたことが判明。
 まだまだ、不明な点は非常に多い。
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    | インド=ヨーロッパ語族の影響は、そう大きくなかったってことか?
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         | これには、西洋中心主義的な史観が大きく関わっているんだ。
         | インド=ヨーロッパ語族ってのは、現在の西欧人の祖先となった連中ということになっている。
         | だから今までの学説では、彼らを過剰なまでに重視し、その影響力を多めに見積もってきた。
         | 最近はそれが改まり、インド=ヨーロッパ語族流入の影響力は下方修正されてきている。
         | それでも、決して彼らの影響力は弱かったというわけではないけどな。
         | 今まで語られてきたのがオーバーだっただけで、この集団が及ぼした影響力は非常に強い。
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| そういうわけで、フルリ人のみならずミタンニ王国に関しても謎は多いです。
| 他国の記録から存在が確認できるのみで、ミタンニ自身が残した記録は非常に少ないんですよ。
| ともかく確かなことは、ミタンニ王国は紀元前1500年頃に大国の地位までのし上がったということ。
| すっかり斜陽な隣国ヒッタイトを尻目に、シリア一帯に広がる大国として君臨していたんです。
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紫:カッシート朝バビロニア支配圏
赤:アッシリア(ミタンニの支配下)
水:ミタンニ支配圏
黄:ヒッタイト支配圏
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    | 古き伝統を持つバビロニア、傾いているヒッタイト、発展著しいミタンニ……この時代の御三家か。
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         | あと、いちおうアッシリアほか小国家もいっぱい存続している。
         | 目を引くほどの大国は、その三国だがな。
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| ミタンニは国境を接するヒッタイトを圧迫し、その支配力は周辺の小国にも及んでいました。
| 小国は次々とミタンニに服属していき、すっかり衰えていたアッシリアもミタンニに屈します。
| 少しだけ、アッシリアに関するこれまでの講義を思い出して下さい。
| アッシリアはシャムシ・アダド1世の時代に隆盛を極め、その1代のみの繁栄で衰退していきました。
| その後はハンムラビのバビロニア王国に屈し、バビロニアが傾くと独立に成功。
| しかし今度は、ミタンニに服属しなければいけないという、小国の悲哀をモロに辿ってきたんですよ。
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紫:カッシート朝バビロニア支配圏
赤:アッシリア(ミタンニの支配下)
水:ミタンニ支配圏
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    | アッ尻アッー!
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         | ミタンニの下でアッシリアは屈辱に耐え、元々の商業主義的伝統を軍国主義的に変質させていく。
         | いつか見てろ!という感じだな……しかしアッシリアが逆襲を始めるのは、もう少し後。
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| こんな風に、成長一番株のミタンニ、押されがちのヒッタイト、伝統あるバビロニアの三国に加え……
| 西から、とある大帝国がこの地域にまで支配力を伸ばそうと行動を開始しました。
| それが、エジプト――トトメス3世やアメンヘテプ2世といったファラオが、アジア進出に乗り出したんです。
| エジプトの矛先は、まずシリア――当然ながら、そこに大勢力を築いていたミタンニは黙っていません。
| エジプトとミタンニは対立し、何度も軍事衝突を繰り返しました。
| ミタンニの脅威にさらされていたヒッタイトはというと、エジプトと同盟を結んだようですね。
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紫:カッシート朝バビロニア支配圏
赤:アッシリア(ミタンニの支配下)
水:ミタンニ支配圏
黄:ヒッタイト支配圏
緑:エジプト支配圏
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    | 色々な国が、様々な思惑で動いているんだな。
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         | 一方でバビロニアも、エジプトと友好関係を結んでいた。
         | 火薬庫となっていたシリアから距離を置いていたということもあり、バビロニアの地は安定状態。
         | あくまで、ミタンニやヒッタイトと比較しての話だがな。
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| こうしてミタンニとエジプトが抗争を繰り広げる中、周辺の小国との争いもあってヒッタイトは壊滅寸前に。
| 一時期は、周辺国の外交文書で「ヒッタイトは滅びた」とまで言われるほどボロボロになりました。
| しかし――そんなヒッタイトに現れた英雄が、紀元前1380年頃に即位した大王シュッピルリウマ1世。
| 彼の元でヒッタイトは奇蹟の大復活を遂げ、かつての強国ヒッタイトが再来するんです。
| シュッピルリウマ1世は混乱状態のヒッタイトを、専制君主的な国家として組み直しました。
| こうして生まれ変わったヒッタイトは、通例的にヒッタイト新王国と呼ばれています。
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 ・シュッピルリウマ1世(生年不詳〜紀元前1320年頃)
  崩壊寸前のヒッタイトを立て直した王で、政治的混乱を収めることに成功。
  周辺に遠征を繰り返し、大国ミタンニを屈服させることに成功。
  ヒッタイトの支配地域を大幅に広げ、専制君主体制を確立した偉大なる王である。
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    | ヒッタイトが蘇った!
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         | この時代の国家は、偉大な指導者に恵まれるかどうかで運命が様変わりするんだ。
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| ヒッタイトはシュッピルリウマ1世の元で、領土が3倍に膨張するほどの大躍進を遂げました。
| その支配力はすっかりミタンニを圧倒してしまうに及んで、追い詰められたミタンニは外交方針を転換。
| これまで敵対していたエジプトと手を組み、ヒッタイトに対向することにしたんです。
| こうして対立構図はすっかり変わり、ヒッタイトVSミタンニ&エジプトという情勢になったのですが――
| エジプトではアメンホテプ4世の改革が起き、かつてのアジア進出計画が重視されないことに。
| こうして一時的にエジプトが抜け、ヒッタイトとミタンニが直に激突するという形になりました。
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    | オリエントの情勢は複雑怪奇だな。
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         | エジプトでは異端の王アメンホテプ4世により宗教改革が進められ、国外政策はいったん棚上げに。
         | この改革が破綻した後、アジア進出政策も復活するがな。
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| そしてニュー・ヒッタイトの猛攻が始まり、ミタンニになすすべはありませんでした。
| ミタンニに服属状態だったアッシリアは、ここですかさずヒッタイトに協力。同盟を組みます。
| ヒッタイト王スッピルリウマ1世とアッシリアのアッシュール・ウバリト1世により、ミタンニの首都は陥落。
| こうして隆盛を誇ったミタンニは、紀元前1365年に事実上の崩壊へと追い込まれました。
| いちおうミタンニ政権は生き延びて小国家として存在するんですが――それも、アッシリアに滅ぼされています。
| 以後、ミタンニは歴史の表舞台から消え去るといってもよいでしょう。
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紫:カッシート朝バビロニア支配圏
赤:アッシリア(復活!)
黄:ヒッタイト支配圏
緑:エジプト支配圏
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    | こうして、またひとつ大国が消えた……そして、アッシリア復活!
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         | 復活!といっても、ようやくミタンニの支配から逃れて独立した状態。
         | オリエントにアッシリア旋風が吹き荒れるまでには、もうしばらく待たなければいけない。
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ミタンニは滅び、その広大な支配地域はヒッタイトが受け継ぎました。
| そして、再びアジアに進出しようとするエジプト――この両雄が、シリアで激突することになります。
| 紀元前1315年、ヒッタイトのシュッピルリウマ1世はエジプトのセティ1世との戦争で敗北。
| しかしこれは前哨戦に過ぎず、歴史に残る大激突はその30年後に行われます。
| 紀元前1286年、ヒッタイトとエジプトの指導者は共に代替わりしていました。
| この両者が、シリアの支配権を巡って繰り広げた戦い――これが、歴史に名高いカデシュの戦いです。
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紫:カッシート朝バビロニア支配圏
赤:アッシリア(復活!)
黄:ヒッタイト支配圏
緑:エジプト支配圏
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    | 古代の二大国家が、覇権を巡って大激突か! 萌ゑるな!
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         | ……………………
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| ヒッタイトを率いるのは、シュッピルリウマ1世の孫である王ムワタリ2世。
| 相対するのは、エジプト新王国のファラオであるラメセス2世。
| 当時でも指折りの二大国が、数千両のチャリオットを繰り出してお送りする大スペクタクル。
| 古代最高規模の戦車戦とも言われるカデシュの戦い――その結果は、なんだかよく分かりません。
| 両者とも自国の勝利を言い張り、結局は平和条約が結ばれることになったんです。
| 詳しくは、
ギコ教授の戦史講義「カデシュの戦い」を参照ですね。
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 ・ギコ教授の戦史講義「カデシュの戦い」
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    | なんだそりゃ? いったい、何があったんだ?
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         | 両国の支配圏に変化がなかったことから、引き分けとするのが妥当かな?
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| この戦いを経て17年後の紀元前1269年、ムワタリ2世の後を継いだハットゥシリ3世はエジプトと和解。
| この際の条約は、現在にまで文章(原本ではない写し)が残っている最古の条約とされていますね。
| その内容は相互不可侵条約であり、後にヒッタイト王は2人の娘をラメセス2世の嫁に出します。
| 先代までの遺恨はさらりと忘れて、エジプトと友好関係を深めるヒッタイト――
| その裏には、やはり国際情勢の激変がありました。
| 取るに足りない弱小国であったはずのアッシリアが、オリエントにて新たな脅威となっていたんです。
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    | アッ尻アッー!
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         | アッシリアには、その1500年の歴史で絶好調期が3度ある。
         | その2度目が、ついに訪れようとしていたんだ。
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| さて――例によって少しだけ時を遡って、アッシリアを見てみましょうか。
| かつてはバビロニア、次にミタンニに服属するという数奇な運命に関しては講義しました。
| しかしアッシリア王アッシュル・ウバリト1世はヒッタイトと組み、宗主国であったミタンニを打倒します。
| 晴れてアッシリアは独立の身となり、メソポタミア北部に君臨することになりました。
| ここからの時期を、中アッシリア時代と呼んでいます。
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  ヒッタイト王
スッピルリウマ1世
   ↓
  ,......,___                       ___     アッシリア王
  {  r-}"'';      ミタンニ王        (,- ,_'',; アッシュル・ウバリト1世
__ノYv"-ァ'=;}      トゥシュラッタ     ,_、 Y' リ''ー
  ヽー-ハ '、       ↓         / キ}、 {"ー {⌒
  ト ハ  }      ,. -ー─-- 、___ /   ハノ`{  {
 ! ! !__! ,-、_    ,,( ,        ̄`ー、 /"''ー;ー'"
 |___|! !ー-ニー、;、;'""ノ';{  iー       ヽ=ニ=),..- '"
 K \ヽ !`ーニ'-、{  (e 人  |' ̄ ̄/`ー!  | /   /⌒
  \ヽ !、ヽ, "")ー-'"| !  |   |  /!  |___{,、  /  /
    \"'ヽ'ー-"  _! ||  }   ー─|  | / ヽ/  /
ニ=ー- `!!!'     ''''ー'"{  |     |  /  /`ー|\/
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    | アッ尻アッー!
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         | 汚い板書だなぁ。
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| そしてアッシュル・ウバリト1世の死後も、アッシリアは大いに隆盛。
| バビロニア、ヒッタイト、エジプトと肩を並べるほどの強国となります。
| さらに紀元前1300年代には、アッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ1世の遠征軍がバビロニアを攻撃。
| カッシート人支配下のバビロニア王朝を支配し、自国に服属させてしまうんです。
| この際のトゥクルティ・ニヌルタ1世の武勲は、叙事詩として後世に残るほどのものでした。
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   アッ  )     __      r(    ,、_
 あ尻 (_ , ‐''" ̄    ̄ `''‐、 ゞ, rr〜ヅ´ ミ
 あ ぁ  /            ヽ フハ    _ ミ
 っ ぁ  (     i j ///j } ト、} ミ|_.. -'_"-'´\  r'⌒ヽ
   !!   )  ノ}. j/ノノ〃 jノ jハリ ゙i`'''Tjフ   } ミトー } l
     (   }ノノ _.’- 'ノノ 冫=}  ,' ,.‐'"    { {い) / ノ_
Vヽハj⌒    i〃ー_''ニ ,、:: {ニ'”{ ,'        ゞ゙ f クァ ―`‐- 、
   l.  f⌒ヽ.{ ”´-'' "    `、 ',〈.、,..        ,.‐'´      `' 、
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    i \((    lj  , ‐--.ィ  !   Y´_   ./   \    \\
     `、  こ、.       {   j  i j   ゙i゙   {     \    \\
      ヽ リ \    `_'二. ,' /ノ   丶、,、イ       \    \\
       V     ヽ      /         {        \    \\
      ↑バビロン第3王朝           ↑アッシリア王
      カシュ・ティリアシュ4世       トゥクルティ・ニヌルタ1世
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    | アッ尻アッー!
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         | バビロニアを統治下に含めたことで、アッシリアにおいてバビロニア文学がブームになる。
         | 叙事詩が書かれたこと自体、バビロニア文化の影響が濃いと言えるな。
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| さらにトゥクルティ・ニヌルタ1世は北方にも遠征し、ヒッタイトと激突。
| ヒッタイト王トゥドハリヤ4世を打ち破り、その支配圏をシリアの方にまで伸ばします。
| このまま、アッシリアの快進撃が続くと思われましたが――
| アッシリア名物である王家にまつわる陰謀が、やはり再燃してきました。
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        ↑ヒッタイト王           ↑アッシリア王
        トゥドハリヤ4世       トゥクルティ・ニヌルタ1世
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    | アッ尻アッー!
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         | お前初めてかアッシリアは、力抜けよ。
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| 例によってトゥクルティ・ニヌルタ1世は息子の手で暗殺され、王位の行方は混乱。
| 短命の王が続き、せっかく獲得した新領土は次々に失われていくことになります。
| 服属していたカッシート朝バビロニアも、再び独立状態となりました。
| アッシリアは、またも混乱状態に陥ってしまったんですよ。
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紫:再独立したカッシート朝バビロニア支配圏
赤:力を失ったアッシリア支配圏
黄:力を失ったヒッタイト支配圏
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    | なんか、どこもパッとしなくなったなぁ……
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         | あくまで地図は概念図であって、正確な支配地域ではないぞ。
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| そして同じ頃、オリエントでは驚天動地の出来事が起きていました。
| 『海の民』なる民族系統不明の連中が各国に襲い掛かり、嵐が吹き荒れていたんです。
| 紀元前1200年頃には、ヒッタイトがその猛攻の前に壊滅してしまいました。
| なおエジプトは崩壊にまでは至りませんでしたが、衰退に追い込まれています。
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 ・海の民
  紀元前1200年頃に地中海沿岸各国を襲い、多くの国を崩壊や混乱に導いた連中。
  単一民族の集団ではなく、複数の民族をひとまとめにした総称であることに注意。
  新興の集団ではなく、これまでにも既知であったいくつかの民族集団が海賊化したものと思われる。
  彼らの活動は、ミケーネ文化やヒッタイト王国の崩壊、エジプト新王朝の衰退を引き起こしたとされる。
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    | 「思われる」とか「引き起こしたとされる」とか、なんか歯切れが悪いな……
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         | 混乱期で史料が少ないだけに、分かっていることは少ないんだよ。
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| 実際のところ、このヒッタイト崩壊に関してはまだまだ謎が多いです。
| 『海の民』の襲撃が始まる前から、ヒッタイトは弱っていたことは確かなようですね。
| ヒッタイトの記録は、スッピルリウマ2世のところで唐突に途切れる形となっています。
| いったい何があったのか、誰が首都ハットウシャを破壊したのか、確かなことは分からないんですよ。
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    | 色々、分からないことは多いんだな。
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         | 「ヒッタイト崩壊に『海の民』は関係なかった」説も根強いし、異説もたくさんある。
         | 史料がないことには、結局はどうにもならないんだよな……
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| またヒッタイトの崩壊により、彼らが独占していた製鉄技術がオリエントに広まったとされていますが――
| この定説も、どうにも怪しいようですね。
| 実際は、この時期の混乱で青銅器に必要なスズが不足。青銅器の代用として鉄の需要が高まったようです。
| ヒッタイトが崩壊した紀元前1200年頃から、オリエントでは鉄器が主流になっていくんですが――
| 興味深いのは、青銅器から鉄器に移行していったのは先進地域ではなく、周辺地域からだったということ。
| バビロニアでは紀元前900年頃、エジプトでは紀元前700年頃まで鉄器は現れなかったんですよ。
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    | なんと。
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         | 鉄の普及は、農耕の効率化をもたらす。
         | 鉄を用いた丈夫な農具で、これまでよりも硬い土を耕すことが可能になるんだ。
         | これは、耕作可能面積が飛躍的に上昇することを意味している。
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| 『海の民』旋風が各地で吹き荒れ、各国の支配力がみるみるに減衰していき――
| そんな混乱状態で、シリアやメソポタミアにおいてアラム人の勢力が拡大。各国は圧倒されることになります。
| 混乱状態から脱したアッシリアは、ティグラト・ピレセル1世の元でなんとか勢力を盛り返していましたが――
| アラム人の侵入に手を焼き、ティグラト・ピレセル1世が死んだ紀元前1077年以後はほとんど抵抗できない状態。
| これにてアッシリア中王国時代は縮小期に陥り、100年ほど苦渋の日々を送ることになります。
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  アラム人
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__ノYv"-ァ'=;}      アッシリア       ,_、 Y' リ''ー
  ヽー-ハ '、       ↓         / キ}、 {"ー {⌒
  ト ハ  }      ,. -ー─-- 、___ /   ハノ`{  {
 ! ! !__! ,-、_    ,,( ,        ̄`ー、 /"''ー;ー'"
 |___|! !ー-ニー、;、;'""ノ';{  iー       ヽ=ニ=),..- '"
 K \ヽ !`ーニ'-、{  (e 人  |' ̄ ̄/`ー!  | /   /⌒
  \ヽ !、ヽ, "")ー-'"| !  |   |  /!  |___{,、  /  /
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    | アッ尻アッー!
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         | アラム人ってのは、シリアの砂漠を住処としていた商業民だ。
         | この時期はオリエント各地で勢力を広げ、特にアッシリアを圧迫していた。
         | 古代地中海史講義で、少し詳しくやる予定だ。
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| そんなアッシリアから南――メソポタミア南部のカッシート朝バビロニアも、危機を迎えていました。
| いったんはアッシリアに屈したものの、宗主国の混乱により独立状態に返り咲いたのですが――
| シュメール時代から悩まされていた東の山岳国エラムが、本格的に攻撃を仕掛けてきました。
| バビロニアはこの攻撃に抗えず、紀元前1155年にバビロンは陥落。カッシート朝は断絶してしまいます。
| この際、ハンムラビ法典を記した石柱やマルドゥク神の像がエラムの首都スーサに持ち帰られてしまいました。
| 二十世紀になってハンムラビ法典がエラムの地から発見されたのには、こういういきさつがあったんです。
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    | あっちもこっちもグダグダだな。
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         | 紀元前1000年前後は、既存の大国が次々とひどい目に合っていく混乱期。
         | 各地に並び立っていた覇権国家は、次々に没落していくんだ。
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| カッシート朝が崩壊した後のバビロニアでは、都市国家ラルサの勢力がラルサ第二王朝を築いていました。
| 紀元前1125年、ラルサ第二王朝の王であるネブガドネザル1世はエラムへのリベンジを成功させます。
| マルドゥク神の像を奪還し、エラムを短期間ながら支配していたのですが――
| ネブガドネザル1世の死後は、バビロニアの地にもアラム人が席捲。その勢力の前にラルサ第二王朝は崩壊。
| 以後、バビロニアの地には、海の国第二王朝、バジ王朝、エラム王朝が相次いで築かれました。
| 要するに、グダグダの状態に陥ったということですね。
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    | もはやメソポタミアの地は、アラム人の天下か。
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         | アラム人はオリエント各地で暴れ回ったが、統一された大帝国を築くことはなかった。
         | 本拠地であるダマスカスを中心に、商業植民地を展開してネットワークを築くことに終始したんだ。
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| こうして各地に権力の空白地帯が生まれ、アラム人やフェニキア人などの商業民が活躍します。
| さらにパレスチナの地では、イスラエル王国が栄えるのですが――
| 地中海を中心とした世界やパレスチナにおいては、また別の講義でやっていきましょう。
| 古代オリエント史の後に続く、古代地中海史を参照のこと。
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    | そんな講義が……
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         | なお、古代イスラエルの講義(旧約聖書講義)も独立して行う予定。
         | 正直なところ、それ自体は当時の小国の悲哀に過ぎないんだが――
         | それが後世に与えた影響は、とんでもなく大きいからな。
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| しかし紀元前900頃、アッシリアのアッシュル・ダン2世がアラム人勢力をはねのけ始めました。
| さらにアッシュルナシルパル2世はシリアに遠征。この地を徹底破壊し、近隣諸国を支配下におきます。
| また彼は首都をニネヴェからカルフに遷都し、豪華な宮殿を築き上げました。
| そして数代後のアッシリア王ティグラト・ピレセル3世によって、いよいよアッシリアは黄金期に突入します。
| 紀元前732年、ティグラト・ピレセル3世の遠征によってアラム人の総本山ダマスカスを攻略。
| こうしてアラム人打倒に成功し、アッシリアは軍事大国としてオリエントに君臨したんですよ。
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  な そ     |,、_,.、_           _rvヘ-''"´..:::::::::::.. ̄`ヽjヽ ,'  い  と  国
  い り     l::::::::::::`〜-、      >...:.:.:.::::::::::::::::::::::::::::.:.:... ノ |   う  ん  土
  だ ゃ   〈::::::::::::::::::::::::ヾ、    (rソ:::::::::::::::::::::::,ィ:::,、:::::::::.ヽ. |   の  ず.  を
  ろ あ   L_::::::::::::::::::::}}      (/::(:r'ハ::f(/ノィノイ(::::::::::! |   か.  ら  蹂
.   う      厂ト、:::::::;;::::;;:rシ     ゝ(.ン=≧-、`lニニ二r |r-、! |   い.  す  躙
  ?     /::::}} `'´_,、!       ハ!'´li゙}゙f|  '´lリ` |l}、l| .〉  ?.  る.  し
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   `ー 、_'   _,,⊥-ヽl'' { j= r′   `ヽ、 l           ' 、       .::|

     ↑アラム人                 ↑アッシリア
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    | アッ尻アッー!
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         | このあたりから、新アッシリア王国時代の栄光が始まる。
         | アッシリア1500年の歴史の中で3度あった黄金期……その3度目だ。
         | それは最高潮にして、最後の栄華だった。
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| ティグラト・ピレセル3世に関する記録に父の名は記されておらず、王位の簒奪者とも言われています。
| この王はアッシリアの地方行政や軍制を改革し、国王常備軍を創設して支配権を拡大しました。
| 「アッシリアの狼」と呼ばれたティグラト・ピレセル3世によって、バビロニアもアッシリアの支配下に。
| 非常に強力な軍隊を擁したアッシリアが、史上空前の大帝国として君臨することになるんです。
| 広大な領土を州単位に分け、各地に総督を置くというやり方で各地域を統治。
| アッシリア征服下の地域でかねてより行われていた強制移住政策を、より頻繁に行うようにもなりました。
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   アッ  )     __      r(    ,、_
 あ尻 (_ , ‐''" ̄    ̄ `''‐、 ゞ, rr〜ヅ´ ミ
 あ ぁ  /            ヽ フハ    _ ミ
 っ ぁ  (     i j ///j } ト、} ミ|_.. -'_"-'´\  r'⌒ヽ
   !!   )  ノ}. j/ノノ〃 jノ jハリ ゙i`'''Tjフ   } ミトー } l
     (   }ノノ _.'- 'ノノ 冫=}  ,' ,.‐'"    { {い) / ノ_
Vヽハj⌒    i〃ー_''ニ ,、:: {ニ'"{ ,'        ゞ゙ f クァ ―`‐- 、
   l.  f⌒ヽ.{ "´-'' "    `、 ',〈.、,..        ,.‐'´      `' 、
    i、 i ⌒>    l!   r, ノ  l  )__.. -ァ   /
    i \((    lj  , ‐--.ィ  !   Y´_   ./   \    \\
     `、  こ、.       {   j  i j   ゙i゙   {     \    \\
      ヽ リ \    `_'二. ,' /ノ   丶、,、イ       \    \\
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         ↑バビロニア           ↑アッシリア
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    | アッ尻アッー! ところで、強制移住政策ってなに?
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         | (反抗的な)支配地域の住民を、ごっそり別の場所に移し替えるんだ。
         | 当然ながら住民は新たな地に放り込まれて生活基盤が崩れ、反抗する余裕もなくなってしまう。
         | また、労働者の適正配置という意図もあったようだな。
         | ともかくアッシリアが民衆から恨まれる一因となった、非常に過酷な政策だ。
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| この強制移住政策の他にも、アッシリア帝国は過酷な占領政策を行ったことで知られています。
| 抵抗した都市の住民は、徹底弾圧。非常に過酷な処置がなされていたということですね。
| 串刺し、生皮剥ぎ、みせしめの処罰は残虐を極めたようです。
| 各都市には、反抗した者がどれだけ惨たらしく殺されたかを誇る王の石碑が建てられました。
| これら過酷な支配政策も、後に訪れるアッシリア崩壊の一因になったとされています。
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解説とはあんまり関係ないアッシリア時代の人面獅子身像
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    | 民衆に反感を買いまくったんだな。
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         | アッシリアは野蛮な帝国というイメージが後世に残っているのも、この支配政策が主な原因。
         | ただし、その野蛮さが過剰に宣伝されているということも否定できないがな。
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| ではここで、ティグラト・ピレセル3世の改革した軍制を少し詳しく見てみましょう。
| 彼は大量生産された鉄器を自軍に取り入れたほか、騎兵部隊を採用したんです。
| 何度も言った通り、馬への騎乗というのは非常に特別なテクでした。
| 単に馬に乗るだけならなんとか可能でも、馬に乗ったまま戦うのは至難の業。
| 馬上で刃を振るうなんて問題外。弓矢を使おうと思っても、馬から両手を離す必要があります。
| そうなると、疾走する馬の上で体を安定させるには、両脚で馬の腹を挟むというやり方しかできなかったんです。
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 ・ティグラト・ピレセル3世(生年不詳〜紀元前727年)
  アッシリアの王権を強化し、軍制を改革した王。
  アラム人の本拠ダマスカスを攻略するなど、アッシリアの支配地域を広げる。
  彼の偉業は、後のアッシリア覇権の礎となった。
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    | 脚力かよ……こりゃきつそうだな。
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         | この時代より前でも、伝令などは馬に乗って走ることはあった。
         | それでもあくまで走るだけで、騎乗したまま戦ったりはできなかったんだ。
         | そういうことが可能なのは、生まれた頃から馬と親しんでいる騎馬民族くらいだった。
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| そこで当初のアッシリアは、一頭の馬に二人乗り(射手と騎手)したり、色々と模索していました。
| 馬具が発展して、我々の想像できるような騎兵の形になっていったのはまだ先の話です。
| そういうわけで、まだまだこの時代は騎兵など補助戦力に過ぎません。
| やはり主役はチャリオットであり、この戦闘器具にも改革の手が及んでいました。
| これまでの2頭立て2人乗りチャリオットを、3頭立て3人乗りチャリオットに変えたんです。
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    | これで、攻撃力がアップしたんだな。
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         | しかし騎兵が戦力化していくにつれ、チャリオットは廃れていくことになる。
         | このアッシリアの時代が、その変遷期だと言えるだろうな。
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| さらに、鉄器の最大の強み――多量生産できるという点も、アッシリアは存分に生かしました。
| 円錐形の兜に鎖帷子、小さな盾などの鉄製兵器をアッシリア兵は装備していたようです。
| また、兵をガンガン大量動員できる国家体制となっていたのもアッシリアの強さの秘密。
| 例えば紀元前845年に行われたシリアへの遠征では、総勢12万人の兵員を送り込んでいます。
| アッシリア軍の動員力は、これまでの諸国軍隊とはもはや別の次元にまで達していました。
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    | あのカデシュの戦いですら、2万人規模の戦いだったのに……
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         | しかし、少し後の世代ではそれがスタンダードになるんだけどな。
         | ペルシア帝国なんかになると、10万や20万の兵なんて当たり前になってくる。
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| また、アッシリア軍は攻城戦をも得意としていました。
| アッシリア軍には専門職として工兵が存在し、高度な技術で敵の城壁や城門を破壊。
| さらに攻城はしごや攻城塔、破壊槌などの攻城兵器も完備。
| 中世ヨーロッパと比べても、投石機や大砲が存在しないのを除いて、ほぼ同じ水準だったとか。
| 反抗する連中が城にこもってしまっても、これらの卓越した攻城技術で叩き潰すことが可能。
| 会戦でも攻城戦でも強い、まさに万能の軍隊だったんですよ。
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    | アッシリアすげぇ……
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         | 工兵を専門兵として独立させたのは、アッシリアが史上初と言われている。
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| さて……そういうわけで、メソポタミア全域を支配下に収めたアッシリア帝国。
| しかしその過酷な支配に、各地で反乱が頻発することになります。
| アッシリアが邪魔なエジプトなどは、アッシリア内の反抗勢力にこっそり支援していたようですね。
| 大反乱の危機に対処し、大帝国を確立した功績者はアッシリア王サルゴン2世。
| 彼は各地の反乱を鎮圧しましたが、歴史あるバビロニアの地を鎮圧するのは流石に手こずりました。
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 ・サルゴン2世(生年不詳〜紀元前705年)
  アッシリアを絶頂期に導くことになる王の一人。
  反乱鎮圧、幾度の遠征など軍事的偉業は数多い。
  数々の遠征で勝利を収めた後、キンメリア族との戦いの途中で陣没する。
  なお、アッカド王朝のサルゴン1世とは全く関係がない。
  アッシリア朝に、サルゴン1世は別に存在することに注意。
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    | そりゃ、バビロンは歴史ある古都だもんなぁ。
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         | 反逆軍を打ち倒し、バビロンの民をアッシリアへと強制移住。
         | 他の地の民をバビロンへ穴埋め……それでも、バビロニアでの反乱は収まらなかった。
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| 次代の王は、サルゴン2世の息子であるセンナケリブ。
| 彼の治世は、ひたすらバビロニアにおける反乱との戦いだったといってもいいでしょう。
| いったんは鎮圧して長男アッシュル・ナディン・シュミに、平定したバビロニアの統治を任せたのですが――
| またもバビロニアは離反してアッシュル・ナディン・シュミは消息不明に(おそらくバビロニア人により殺害)。
| センナケリブはバビロニアを徹底的に破壊し、ようやく反乱の平定に成功しました。
| この際にバビロンのマルドゥク神像をアッシュルに持ち帰り、アッシュル神に裁かせるということも行っています。
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  ろ あ   L_::::::::::::::::::::}}      (/::(:r'ハ::f(/ノィノイ(::::::::::! |   か.  ら  て
.   う      厂ト、:::::::;;::::;;:rシ     ゝ(.ン=≧-、`lニニ二r |r-、! |   い.  す  お
  ?     /::::}} `'´_,、!       ハ!'´li゙}゙f|  '´lリ` |l}、l| .〉  ?.  る  い
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   `ー 、_'   _,,⊥-ヽl'' { j= r′   `ヽ、 l           ' 、       .::|

     ↑バビロニア                 ↑アッシリア
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    | アッ尻アッー!
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         | しかし過酷な処置は、結局はアッシリアへの恨みに結びついていく……
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| またセンナケリブは、諸地域に遠征を実行。アッシリアの領域をさらに広大なものにしました。
| 遷都を行ってニネヴェをアッシリアの首都とするなど、内政でも様々な業績を残しています。
| そんなセンナケリブでしたが、その晩年はアッシリア王の例に漏れず不幸でした。
| バビロニアで長男を失っていたため、センナケリブは末子のエサルハドンを王位継承者に定めます。
| その決定に反発した次男や三男やらは、父王のセンナケリブを暗殺。
| 偉大なアッシリア王は、またも身内の裏切りで命を落としてしまったんです。
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 ・センナケリブ(生年不詳〜紀元前681年)
  サルゴン2世の後を継ぎ、アッシリアに栄光をもたらした王。
  反乱の絶えなかったバビロニアを破壊し、なんとか平定に成功する。
  軍事遠征によって支配地を広げるも、家族によって暗殺。
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    | なんか、宮廷内の陰謀が多いなぁ……
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         | とは言え、別にアッシリア特有の現象ってわけじゃない。
         | 世界中のあらゆる王朝において、古代から中世まで、王家の暗殺なんてのは日常茶飯事だ。
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| 末子エサルハドンはいったん亡命したものの、すぐに帰国して反対勢力を一掃しました。
| 晴れてアッシリア王として即位した彼は、バビロニアの征服方針を宥和政策に転換。
| バビロニアにやさしい支配を目指し、マルドゥク神像の返還をも約束します(実際に戻ったのは次代)。
| こうしてようやく、バビロニア支配は安定。さらにパレスチナでの反乱も平定させます。
| その次にエサルハドンが敵視したのは、アッシリア国内の反乱を支援してきたエジプト。
| 紀元前671年、エジプトの首都メンフィスを制圧します――タハルカ王には逃げられてしまいましたが。
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   アッ  )     __      r(    ,、_
 あ尻 (_ , ‐''" ̄    ̄ `''‐、 ゞ, rr〜ヅ´ ミ
 あ ぁ  /            ヽ フハ    _ ミ
 っ ぁ  (     i j ///j } ト、} ミ|_.. -'_"-'´\  r'⌒ヽ
   !!   )  ノ}. j/ノノ〃 jノ jハリ ゙i`'''Tjフ   } ミトー } l
     (   }ノノ _.'- 'ノノ 冫=}  ,' ,.‐'"    { {い) / ノ_
Vヽハj⌒    i〃ー_''ニ ,、:: {ニ'"{ ,'        ゞ゙ f クァ ―`‐- 、
   l.  f⌒ヽ.{ "´-'' "    `、 ',〈.、,..        ,.‐'´      `' 、
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     `、  こ、.       {   j  i j   ゙i゙   {     \    \\
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       V     ヽ      /         {        \    \\
          ↑エジプト王           ↑アッシリア王
            タハルカ             エサルハドン
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         | 汚い板書だなぁ。
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| メンフィス陥落後もエジプトの抵抗は止まず、エサルハドンはさらなる遠征を実行したんですが――
| その遠征の途中で、彼は死去してしまうんです。
| 先王の王位継承でひどい目に合った経験のあるエサルハドンは、生前に色々と手を打っていました。
| 二人の異母兄弟、アッシュルバニパルをアッシリア王、シャマシュ・シュム・ウキンをバビロニア王と宣言。
| 家臣や貴族に対して、アッシュルバニパルに忠誠を誓わせていたんです。
| 問題は、シャマシュ・シュム・ウキンの方がアッシュルバニパルよりも年上であることでした。
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 ・エサルハドン(生年不詳〜紀元前669年)
  アッシリア全盛期を統治した王で、自身も数々の軍事遠征を実行する。
  バビロニアに対しては宥和政策を行い、支配を安定化。
  エジプトとの戦争を始めるも、その途中で陣没する。
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    | アッシリアは、バビロニアのご主人様なんだよな。
    | 主人アッシリアの王が弟で、服属国バビロニアの王が兄――こりゃ荒れそうだ。
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         | 実質的にバビロニア王ってのは、アッシリア副王のようなものだったらしい。
         | それでも、当初のうち兄弟の仲は円満だったんだけどな。
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| 父の後を継いだアッシュルバニパルは、対エジプト戦争を続行。
| 紀元前668年にテーベを攻略し、下エジプトを支配下に収めたんです。
| さらにエラムをも打ち倒し、支配地域に組み入れることに成功。
| このアッシュルバニパルこそ、間違いなくアッシリアを代表する偉大な君主でしょう。
| その軍事的活躍は数知れず、ミネヴェに大図書館を築くなどの内政的貢献も見逃せません。
| アッシュルバニパル王によって、アッシリアはまさに繁栄の頂点を極めるんです。
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 ・アッシュルバニパル(生年不詳〜紀元前627年頃)
  アッシリア全盛期を統治した王で、歴代アッシリア王の中で最も教養のある王とされる。
  軍事的業績も数多いが、それ以上に文化的功績が多い。
  ニネヴェに大図書館を築き、そこに収められた粘土板の多くは現代まで残存。
  アッシリアやそれ以前の記録を現代にまで残している。

  アッシュルバニパル アッシュルバニパル
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    | でも、頂点を極めた後ってのは……
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         | こうして、現地の反抗は激しかったものの、アッシリアはエジプトもいちおう支配下に収める。
         | これまでに存在したこともない空前の大帝国が、とうとうオリエントの地に出現したんだ。
         | エジプトを支配下に留めておけたのは、ほんの短い期間だったがな。
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| しかし紀元前656年頃には、エジプトが分離独立。
| 制圧しただけでも大変だったのに、支配体制を維持することなんて不可能に近かったんですよ。
| そしてバビロニアの地でも、カルディア人(アラム人の一派?)の反アッシリア運動は激しくなっていきました。
| そんな紀元前652年、アッシュルバニパルの兄であるシャマシュ・シュム・ウキンがとうとう反乱を起こします!
| これは、エラムやエジプト、フェニキア人、アラム人など外部勢力も巻き込んだ大反乱に発展。
| それでも流石はアッシュルバニパル、兄が率いる反乱軍に対してすかさず反撃に移ります。
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    | 兄弟対決か! 萌ゑるな!
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         | イラン高原の広がる地域もアッシリアから独立し、メディアという王国を築いていた。
         | また、小アジア――かつてヒッタイトがあった付近にも、リディアという王国が勃興している。
         | このリディアは、アッシリアの領土外に出来た国であることに注意な。
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| アッシュルバニパルの軍は、バビロニアを3年に渡って包囲しました。
| 炎上する宮殿で、シャマシュ・シュム・ウキンも死んでしまいます。
| その後、アッシュルバニパルは反乱に荷担したエラムを攻撃。見事に屈服させます。
| この大事件をなんとか円満に終わらせたアッシュルバニパルでしたが――
| その晩年は記録が異常に少なく、詳細は分かりません。
| そしてこの偉大な巨人の死後は――もはや、アッシリア帝国は広大な領土を維持できなくなっていたんです。
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   `ー 、_'   _,,⊥-ヽl'' { j= r′   `ヽ、 l           ' 、       .::|

  ↑シャマシュ・シュム・ウキン         ↑アッシュルバニパル
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    | アッ尻アッー!
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         | 度重なる反乱への対処で、国力が疲弊していたのかもな。
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| 次代以降の王は交代が相次ぎ、さらには宦官が王になる始末。アッシリア政権はひたすら混乱しました。
| さらにアッシュバニパルの死後2年後である紀元前625年には、またしてもバビロニアで異変が。
| カルディア(バビロニア南部)総督のナボポラッサルなる人物が、バビロニア王を名乗ったんです。
| 彼はアッシリアからの独立を宣言、バビロンを首都に新バビロニア王国(カルディア王国)を築きました。
| 反乱が続発していたバビロニアの地は、とうとうアッシリアから独立してしまったんですよ。
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    | さすがに、こりゃもうダメか。
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         | アッシリア崩壊の原因を、安易に彼らの野蛮さに起因すると断じるべきではないが……
         | それでも、あまりに過酷な支配政策が崩壊の一因だった可能性は否定できないな。
         | だからといって優しく支配しても、結果はそう変わらない気もするが。
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| さて……ここで動き出したのは、ちょっと前にアッシリアから独立したメディア王国でした。
| アッシリアの弱体化を見たメディア王キュアクサレス2世は、紀元前614年にアッシュル市を占領。
| そしてメディアと新バビロニアは同盟を組み、アッシリアと戦うことになったんです。
| 弱体化していたアッシリアは必死で抵抗したものの、紀元前612年には首都ニネヴェが陥落。
| 一部のアッシリア人は、ハランという都市にたてこもり抵抗したんですが――
| それも紀元前609年には潰え、とうとうアッシリア大帝国は滅亡してしまったんです。
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  メディア王
キュアクサレス2世
   ↓
  ,......,___                       ___
  {  r-}"'';    アッシリア王         (,- ,_'',;  新バビロニア王
__ノYv"-ァ'=;}  シン・シャル・イシュクン  ,_、 Y' リ''ー ナボポラッサル
  ヽー-ハ '、       ↓         / キ}、 {"ー {⌒
  ト ハ  }      ,. -ー─-- 、___ /   ハノ`{  {
 ! ! !__! ,-、_    ,,( ,        ̄`ー、 /"''ー;ー'"
 |___|! !ー-ニー、;、;'""ノ';{  iー       ヽ=ニ=),..- '"
 K \ヽ !`ーニ'-、{  (e 人  |' ̄ ̄/`ー!  | /   /⌒
  \ヽ !、ヽ, "")ー-'"| !  |   |  /!  |___{,、  /  /
    \"'ヽ'ー-"  _! ||  }   ー─|  | / ヽ/  /
ニ=ー- `!!!'     ''''ー'"{  |     |  /  /`ー|\/
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    | いよいよ、このAAの主役がアッシリアになる時が来たか……アッ尻アッー!
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         | 1500年もの長寿を誇り、3度も盛衰を繰り返した極めて特異な王朝だったが……
         | これ以降、歴史の表舞台にアッシリアは出て来ない。
         | ただ旧約聖書に、限りなく野蛮な連中として名を残すのみ。
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| こうしてアッシリアは滅び――後に残ったのは四つの王国。
| アッシリアから独立した新バビロニア、エジプト、メディアの三国と、小アジアのリディアです。
| これを一般に、四国分立時代(紀元前612年〜紀元前525年)と呼びますね。
| さて、アッシリアの崩壊をもって今回の講義を終わるとしましょう。
| 次回の第3回講義では、この四王国の成立から遡って見ていくことになります。
| また次回をもって、古代オリエント史は終わり。その次は、古代地中海史に入る予定です。
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    | アッ尻アッー!
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         | なんなんだ、今回の講義は……たまげたなあ。
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