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| では、今回は日本空母の代表格、「赤城」について講義しましょう。
| 日本初の空母「鳳翔」に続き、二番目に完成した航空母艦。
| その能力は本物で、真珠湾攻撃で猛威を振るった空母機動部隊の主力でもありました。
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| 確か「鳳翔」は実験艦的な色が強くて、戦力としては微妙だったんだよな。
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| しかし「赤城」は、「鳳翔」で得た教訓を十分に生かした航空母艦だ。
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| 1922年、日本で初めての航空母艦「鳳翔」が完成します。
| しかし「鳳翔」には、幾つもの欠陥があったんですよ。
| その中でも最大の教訓は、「鳳翔」サイズは空母として小さすぎる、というものでした。
| 日本海軍は、空母は1万トンクラスでOKと考えていたんですが…… それは、大誤算だったんです。
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・航空母艦「鳳翔」
日本で初の航空母艦(事実上)であり、小型の航空母艦。
完成したのはいいものの運用に試行錯誤し、何度か改装が施されている。
最初期の空母であるため性能は低く、太平洋戦争においては訓練空母として運用。
そのおかげで全く損害はなく終戦、以後は復員船として使われ、1947年に解体されている。
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| 「鳳翔」って、イギリスから供出されたデータも用いられてるんだよな。
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| 当のイギリスでは、「空母は2万5千トンないとダメ」ってのが明らかになっていた。
| 日本は、イギリスの動向を「2万5千トン超えの巨大空母を次々と建造中」と評していたが……
| 結局のとこ、2万5千トン超レベルで普通の空母だとイギリスは認識していたんだ。
| さすが、この時点での空母先進国だな。
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| またこの時代、艦上航空機に求められていたのはひたすら偵察任務でした。
| 「飛行機による攻撃で敵艦を沈めるのは無理」ってのは、世界の海軍の共通認識でもあります。
| あくまで海戦の主役は戦艦で、空母は補助艦に過ぎなかったんですね。
| ごく一部の人間は、空母の未知の可能性に思いを馳せていましたが……
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| ほほう。
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| 日本も空母を造ってみたのはいいものの、運用方針についてははっきりしてなかった。
| 海軍先進国のイギリスが持ってるから、俺も!ってノリが強かったな。
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| さらにこの時期、日本とアメリカ間での建艦競争は過熱の一途を辿っていました。
| そして両国とも、海軍費用が国家財政を圧迫するところまで来ていたんです。
| 偉い人達は「このままじゃ軍備に金を使い果たし、大国が共倒れになってしまう!」と判断。
| また他の国々も、この競争が大戦争に繋がる事を恐れていたんです。
| そうして様々な国の思惑が一致し、1922年に結ばれたのがワシントン海軍軍縮条約でした。
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・ワシントン条約(1921年11月11日〜1922年2月6日)
アメリカのワシントンで行われた海軍軍縮条約。
この条約の存在が与えた影響は非常に大きい。
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| 軍艦史を語る上で、この条約は避けられないんだな……
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| 各国の思惑が渦巻いた軍縮会議だ。
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| この条約の結果、全ての参加国は主力であった戦艦の建造を当面のところ禁じる事で合意しました。
| また、艦艇の保有比率はアメリカ5・イギリス5・日本3の割合に決定します。
| つまり、日本はアメリカの6割しか艦艇を所持できない……これは、日本海軍にとって非常にまずい事態でした。
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ワシントン条約の決定事項
・新戦艦の建造を条約締結後の10年間は禁止(建造中の戦艦は廃棄)。
・艦艇の総排水量(重量の合計)の比率をアメリカ5・イギリス5・日本3と定める。
→戦艦:(米英)52万5000トン、(日)31万5000トンを超えない。
空母:(米英)13万5000トン、(日)8万1000トンを超えない。
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| 仮想敵国の6割か… こりゃきついな。
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| どっちにしろ、アメリカが本気で軍艦大量建造をやり始めたら、日本には勝ち目がないんだ。
| このワシントン条約で、アメリカの軍艦保有量を日本の1.7倍に制限したという見方もできる。
| そういう意味じゃ、日本にとってもオイシイ条約だった。
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| そういうわけで、各国が現在進行形で建造している戦艦も廃棄が決定します。
| 戦艦「陸奥」が完成しているのかいないのかでモメますが、これはまた別の話ですね。
| そして建造中の戦艦は廃棄するか、もしくは別の艦船に改造することも認められていました。
| そこで日本とアメリカは、建造中の戦艦や巡洋戦艦を空母に改造する事にしたんです。
| なおイギリスは当時空母を5隻も持っていたので、その必要はありませんでした。
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日本
・「天城」(巡洋戦艦) → 「天城」(航空母艦)
・「赤城」(巡洋戦艦) → 「赤城」(航空母艦)
アメリカ
・「サラトガ」(巡洋戦艦) → 「サラトガ」(航空母艦)
・「レキシントン」(巡洋戦艦) → 「レキシントン」(航空母艦)
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| そもそも「赤城」は、巡洋戦艦として生を受けるはずだったんだな。
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| なお、各国が所有する航空母艦の数(正確には合計トン数)も制限されていた。
| この事実は、日本の「龍驤」や「蒼龍」、「飛龍」、アメリカの「レンジャー」の設計に関わってくるな。
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| しかし1923年に関東大震災が起き、空母への改造工事中だった「天城」がブッ壊れてしまいました。
| そこで日本は、ワシントン条約で廃棄予定だった戦艦「加賀」を代替の空母に改造することにします。
| これが、後に空母機動部隊の主力となる航空母艦「加賀」になる訳ですね。
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×「天城(巡洋戦艦) → 「天城」(航空母艦)
「赤城」(巡洋戦艦) → 「赤城」(航空母艦)
(New!!)「加賀」(戦艦) → 「加賀」(航空母艦)
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| この当時、日本の持ってる空母は「鳳翔」だけだったな。
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| 「赤城」と「加賀」が追加予定で、日本空母はこれで3隻だ。
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| こうして、航空母艦「赤城」が完成したのは1928年。
| 元は巡洋戦艦だけあり、その巨体には50口径20cm単装砲10基が搭載されていますね。
| 運用できる航空機数も非常に多く、戦力としては申し分無しの航空母艦です。
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・航空母艦「赤城」
1928年に完成した日本2番目の空母で、35,000トン級(改装後は40,000トン級)という巨体を誇る。
搭載機数も70機以上で、20機程度の「鳳翔」とは比較にならない戦闘力を持っていた。
真珠湾攻撃に投入されて大成功を収め、空母機動部隊の主力として君臨。
しかしミッドウェイ海戦において敵航空機の接近を許し、空母「加賀」、「蒼龍」と共に撃沈されてしまう。
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| 20cm単装砲10基……? めちゃくちゃ重武装じゃないか。
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| 今でこそ「空母が敵に接近されたら死亡確定」ってのは常識なんだが……
| 当時はまだそんな戦訓などなく、空母にも砲戦の可能性はあると思われてたんだ。
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| そして空母「赤城」の特徴は、三段飛行甲板!!
| 発艦専用の甲板や着艦専用の甲板などに分け、離発艦をスムーズにしようという試みですね。
| とにかく発艦したいのに、帰ってくる連中が邪魔で飛び立てない……
| そんな悩みを解消する、より実戦的なスタイルなのです!!
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航空母艦「赤城」(1938年、最終改装後)
・全長:260.67m ・全幅:31.32m ・吃水:8.71m ・基準排水量:36,500t ・乗員:2,000名
・最大出力:131,200hp ・最大速度:31.2kt ・航続距離:8,200浬/16kt ・搭載機:66機+補用25機
・武装:50口径20cm単装砲6基、45口径12cm連装高角砲6基、25mm連装機銃14基
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| 多段式飛行甲板、イギリス空母「フューリアス」でも採用されてなかったか?
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| ああ。しかしイギリスじゃ、逆に非効率だって事で撤去されていったが……
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| では、「赤城」の雄姿をご覧ください。艦首の方が、段々になっているでしょう。
| これが、さっき説明した三段式飛行甲板ですね。
| しかしいざ使ってみれば、飛行甲板の大きさが中途半端になってしまいました。
| これはいっそ、三段式じゃなくて全通式の方が良いんじゃないか、という意見も大きくなります。
| 日本海軍が馬鹿だった訳ではなく、航空機の発展・大型化が著しかったんですね。
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・航空母艦「赤城」改装前1
・航空母艦「赤城」改装前2
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| やっぱ、ダメだったのか……
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| なお、「赤城」の艦橋は艦の左側。
| 同様の配置は日本空母では「飛龍」だけで、他の空母は全て右側。
| パイロットにとっては、艦橋が右側にあった方が離着艦がやり易かったみたいだな。
| この左側艦橋配置は、現代空母においてもスタンダードになっている。
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| そして1928年、航空母艦「加賀」も完成します。
| 「赤城」と同じく三段飛行甲板を採用した大型航空母艦ですね。
| 元々は巡洋戦艦だった「赤城」に対し、「加賀」の前身は純正の戦艦。
| 防御力では「赤城」を上回り、速力では4ノットほど「赤城」に劣っていました。
| この速度不足が、また結構な問題点だった訳ですね。
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・航空母艦「加賀」
ワシントン条約により廃棄されるはずだった建造中の戦艦「加賀」を、航空母艦に改造したもの。
1928年に完成し、三段飛行甲板や実験的な煙突配置を採用している。
しかし、それらの運用に問題が生じ、後に大規模な改装工事がなされた。
真珠湾攻撃に投入されて大成功を収め、空母機動部隊の主力として君臨。
しかしミッドウェイ海戦において敵航空機の接近を許し、空母「赤城」、「蒼龍」と共に撃沈されてしまう。
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| なんか、新しい方式をいろいろ試してみたみたいだな。
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| それゆえに不具合が多発し、大改装がなされるんだがな。
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| やはり「加賀」も、「赤城」と同じく三段飛行甲板を採用していました。
| しかし飛行甲板は狭く、これから大型化するであろう艦上機に対応できない事は明白。
| 他にも問題が発生したため、「加賀」は大改装の必要があるとみなされます。
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航空母艦「加賀」(1935年、最終改装後のデータ)
・全長:248.6m ・全幅:32.5m ・吃水:9.48m ・基準排水量:38,200t ・乗員:2,000名
・最大出力:125,000hp ・最大速度:28.3kt ・航続距離:10,000浬/16kt ・搭載機:72機+補用18機
・武装:50口径20cm単装砲10基、45口径12.7cm連装高角砲8基、25mm連装機銃11基
航空母艦「加賀」改装前1 航空母艦「加賀」改装前2
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| 問題児だった訳か……
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| まあ、草創期の空母だからな。まだまだ試行錯誤の段階だ。
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| 1932年には上海事変が勃発、空母「鳳翔」と「加賀」は上海に向かいます。
| そこで「加賀」から飛び立った三式艦上戦闘機が、中国のP12戦闘機を撃墜。
| これは日本海軍初の空戦撃墜記録となりました。
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| おお、大活躍じゃないか。
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| ここから連なる中国との戦いで、日本空母の錬度はUPしていったんだ。
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| そして海軍は、空母「赤城」と「加賀」の不具合を何とかするため大改装を行いました。
| まずは1934年からちょうど1年間に渡って、「加賀」に徹底した大改装が実行されます。
| 三段式飛行甲板から全通式飛行甲板への完全改装に加え、煙突配置を「赤城」と同じスタイルに変更。
| 速力もUPして艦影もすっかり変わり、別の艦として生まれ変わったとも言えるでしょう。
| ついで「赤城」も1935年1938年まで改装工事を実施、こちらは「加賀」に比べて小改装にとどまりました。
| と言っても、三段式飛行甲板が撤廃されてますので見た目が完全に変わっていますが。
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・航空母艦「赤城」改装後1
・航空母艦「赤城」改装後2
・航空母艦「赤城」改装後3
・航空母艦「加賀」改装後1
・航空母艦「加賀」改装後2
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| 「赤城」の方が小改装なのに、3年もかかったのか?
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| 予算不足。
| 他の空母に比べて対空兵装がヘボかったのに、増強できなかったのも予算不足の影響。
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| その頃、「龍驤」や「蒼龍」、「飛龍」などの空母も次々に完成していきました。
| 当初は空母の運用について大した見解を持っていなかった日本海軍も、徐々に方針が定まってきます。
| それは、何度も何度も解説した漸減作戦に関するモノ。
| ワシントン条約において対米6割に定められた日本海軍が編み出した苦肉の策。
| 日本空母も、この作戦に組み入れられたんですよ。
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・漸減作戦
1.アメリカ艦隊が攻めてきた! いよいよ決戦だ!!
2.潜水艦や航空機などの補助的手段で、アメリカの艦を減らせるだけ減らす(漸減)。
3.敵艦隊が弱ってきたところに、日本の主力部隊(戦艦)が突撃!
日本の戦艦は少数だが非常に強力なので、2の時点で弱っているアメリカ艦隊を一網打尽!
4.大日本帝国万歳!!
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| いかにして、戦艦の量的な差を埋めるかだな。
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| その為には、戦艦以外の手段であらかじめ敵戦艦を減らせばいい。
| その後に、艦隊決戦!ってのが骨子だな。
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| そして航空母艦に求められたのは、当初は漸減作戦における索敵の役割でした。
| この作戦、とにかく敵の接近を察知しない事には話になりません。
| いきなり日本の戦艦部隊がアメリカ艦隊に襲われた日には、それだけで作戦崩壊ですからね。
| なんとしてもこちらが先に敵を発見するには、大量の飛行機を運用可能な空母が不可欠って訳です。
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・漸減作戦
1.アメリカ艦隊が攻めてきた! いよいよ決戦だ!!
2.潜水艦や航空機などの補助的手段で、アメリカの艦を減らせるだけ減らす(漸減)。
3.敵艦隊が弱ってきたところに、日本の主力部隊(戦艦)が突撃!
日本の戦艦は少数だが非常に強力なので、2の時点で弱っているアメリカ艦隊を一網打尽!
4.大日本帝国万歳!!
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| なんと、策敵能力が重視されていたのか。
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| 細かいところは各軍人の見解によって差異があるが、基本的にはそうだな。
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| しかし1930年代も後半になると、空母にもアメリカ戦艦への攻撃任務が期待され始めます。
| 「赤城」と「加賀」は第一航空戦隊としてペアを組み、艦上攻撃機を多く搭載していますね。
| 第二航空戦隊の「蒼龍」と「飛龍」がアメリカ空母と刺し違えて制空権を奪取。
| その隙に第一航空戦隊の「赤城」と「加賀」が敵戦艦へ攻撃、1隻撃沈に3隻大破で御の字。
| これが、決戦時における日本海軍の想定でした。
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航空部隊の編成(1941年12月、開戦時)
第一航空戦隊:「赤城」(艦上戦闘機×18、艦上爆撃機×18、艦上攻撃機×27)
「加賀」(艦上戦闘機×18、艦上爆撃機×18、艦上攻撃機×27)
第二航空戦隊:「蒼龍」(艦上戦闘機×18、艦上爆撃機×18、艦上攻撃機×18)
「飛龍」(艦上戦闘機×18、艦上爆撃機×18、艦上攻撃機×18)
第三航空戦隊:「鳳翔」(艦上戦闘機×11、攻撃機×8)
「瑞鳳」(艦上戦闘機×16、艦上攻撃機×12)
第四航空戦隊:「龍驤」(艦上戦闘機×12)
「祥鳳」(なし)
「春日丸(後の大鷹)」(なし)
第五航空戦隊:「翔鶴」(艦上戦闘機×18、艦上爆撃機×27、艦上攻撃機×27)
「瑞鶴」(艦上戦闘機×18、艦上爆撃機×27、艦上攻撃機×27)
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| 戦艦1隻撃沈に3隻大破で御の字か。ずいぶん低く見積もったんだな。
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| まだまだ、航空母艦の優勢が明らかになってなかった時代の話だ。
| 他国は基本的に戦艦絶対優勢主義なんだから、日本はそれでも先進的だったと思うぞ。
| 窮余の一策に近かったとは言えな……
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| そして日米の関係は着々と悪化、いよいよ対米開戦の可能性も強くなっていきました。
| 1937年には日中戦争が勃発し、「鳳翔」、「加賀」、「龍驤」の空母三隻が中国軍飛行場の爆撃任務につきます。
| アメリカでもイギリスでも、基本的に艦隊に一隻のみ空母が補助戦力として随伴するという運用方針。
| 日本海軍も例外ではなく、日中戦争においては各空母を分散運用していました。
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| あれ、「赤城」は?
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| ドッグにて改装中だ。
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| いよいよ日米開戦も迫ってくる時期、日本海軍では空母を次代の主力とする見方も現れてきました。
| そんな空母主力派の中でも、意見が真っ二つになった議論があったんです。
| それは、空母を各艦隊に配置して分散運用するか、それとも一つの艦隊に集中的に配置するか。
| この空母分散論者と空母集中論者の両意見は、それぞれ非常に妥当なものでした。
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空母分散論者の主張
・空母が同じ場所に集まっていたら、敵の奇襲を受けたとき一網打尽にされる恐れがある。
空母集中論者の主張
・空母部隊を編成する事で、強力な攻撃力が期待できる。
・空母分散だと、数隻の空母から発進した航空機を空中で集結させるのが難しい。
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| 確かに、どっちももっともだな。
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| 「空母部隊を編成する事で、強力な攻撃力が……」というのは、後の真珠湾攻撃を見れば明らか。
| 「空母が同じ場所に集まっていたら、敵の奇襲を受けたとき」というのは、
| ミッドウェイ海戦における痛恨の四空母喪失という結果で現れている。
| 両方の結果が、空母集中運用という戦術の長所と短所をそれぞれ証明したんだ。
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| そして1940年8月、ハワイ基地にアメリカ太平洋艦隊が日本に睨みを利かせるかのように集結します。
| そこで連合艦隊長官の山本五十六は、こう考えました。
| 「赤城」、「加賀」、「龍驤」、「蒼龍」、「飛龍」の5空母を集中運用し、ハワイに奇襲を掛けられないものか……
| 彼のこの発案は徐々に形を伴っていき、そして宣戦布告と同時の奇襲攻撃という形で完成します。
| 1941年12月8日、真珠湾攻撃―― 世界の海軍戦略を塗り替える出来事はこうして発生しました。
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| そして、世界を震撼させるほどの大戦果を叩き出す訳だな。
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| 真珠湾攻撃に出向いたのは、「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」、「翔鶴」、「瑞鶴」の6空母。
| 「翔鶴」、「瑞鶴」という新鋭空母が加わり、「龍驤」は南方作戦サポートのために外された。
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| 6空母から出撃した、それまでの戦史で類を見ない360機という大航空部隊の攻撃力は凄まじいものでした。
| 真珠湾にいたアメリカ戦艦部隊を完膚無きにまで叩きのめし、空母機動部隊の恐ろしさを世界に知らしめます。
| この作戦の戦略的な評価はさておき、空母集中という戦術は紛れもなく強力なものでした。
| アメリカが立ち直るまでの期間、日本の空母機動部隊は世界最強の海戦部隊だったと言えるでしょう。
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| まさに、敵無しの状況だったんだな。
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| そして、世界に勇名を轟かせたロイヤルネイビーが誇る最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」。
| これは、日本の空母機動部隊と刃を交える前に陸上航空隊によって沈められちまった。
| もはや世界中のどこにも日本海軍を止められる者はいない……
| そんな無敵海軍のイメージが、世界中で膨れ上がっていたんだ。
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| 「プリンス・オブ・ウェールズ」を沈められたイギリス東洋艦隊は、増援を受けて大艦隊となっていました。
| そういう訳で、「赤城」と「加賀」の所属する空母機動部隊は年が明けてすぐに南方へ向かいます。
| その途中、空母「加賀」は岩礁に接触して負傷。修理のために内地へ戻りました。
| こうして「加賀」の抜けた空母機動部隊は、インド洋セイロン沖においてイギリス東洋艦隊と激突。
| 空母「ハーミズ」や駆逐艦数隻を撃沈し、以後のイギリス東洋艦隊の活動を封じてしまいます。
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イギリス東洋艦隊(Ver.1942)
戦艦「ウォースパイト」、「レゾリューション」、「ラミリーズ」、「ロイヤル・サブリン」、「リベンジ」
空母「インドミダブル」、「フォーミダブル」、「ハーミズ」
重巡洋艦2、軽巡洋艦5、駆逐艦15
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| ほほう。
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| このセイロン沖海戦で、イギリス爆撃機が機動部隊に攻撃を仕掛けてくるという一幕があった。
| 日本側の策敵の甘さで接近を許してしまったんだが、敵の攻撃は全てハズレ。
| この時は大過なく済んだものの、後の海戦で起こした同様のミスは痛恨の結果に……
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| そして1942年6月、ミッドウェイ基地を叩いてアメリカ空母部隊を吊るというMI作戦がスタートします。
| 意気揚々とミッドウェイに向かう、常勝無敗の南雲機動部隊。
| しかしアメリカ軍はこの作戦を事前にキャッチ、罠を張って待ち受けていました。
| 南雲機動部隊がミッドウェイ基地を攻撃している間に、アメリカ空母部隊は日本側の位置を把握。
| そしてアメリカ空母から攻撃隊が次々に発進、策敵を怠って油断していた機動部隊に襲い掛かります。
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第1機動部隊(南雲忠一中将)
空母「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」
戦艦「榛名」、「霧島」
重巡洋艦「利根」、「筑摩」
軽巡洋艦「長良」
駆逐艦「嵐」、「野分」、「萩風」、「舞風」、「風雲」、「夕雲」、「巻雲」、「秋雲」、
「磯風」、「浦風」、「浜風」、「谷風」
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| ミッドウェイの悲劇か……
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| アメリカ空母の存在に気付いた時、日本側は大混乱に陥っていた。
| 敵空母を攻撃するのに、現在の対地攻撃用兵装で向かうのかどうなのか。
| さらに基地攻撃に行った攻撃部隊が帰還して、空母上には魚雷や爆弾がゴロゴロ……
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| アメリカ機の襲撃に対し、ただちに零戦が上がって迎撃開始。
| 魚雷を投下しようと高度を下げてくる敵雷撃機の群れを、凄まじい奮戦で次々に落としていきます。
| 零戦はたちまちにして敵雷撃機を大多数を叩き落し…… その結果、ほとんどの零戦が低空に降りる事に。
| そして完全にガラ空きになった頭上から、最悪のタイミングでSBDドーントレス急降下爆撃機が襲来!!
| これが「運命の5分間」と呼ばれる悪夢、「飛龍」だけは難を逃れましたが、その後の戦いで沈没しています。
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10時23分:25機のSBDが「赤城」、5機のSBDが「加賀」、17機のSBDが「蒼龍」に攻撃開始。
10時25分:「蒼龍」に爆弾が3発命中、甲板上の魚雷や爆弾に誘爆。
10時26分:「赤城」に爆弾が2発命中、甲板上の魚雷や爆弾に誘爆。
10時30分:「加賀」に爆弾が4発命中、甲板上の魚雷や爆弾に誘爆。
艦橋に爆弾が直撃、艦長を初めとした指揮を執る者全てが即死。
10時40分:「蒼龍」、機関停止。5分後、艦長より総員退艦命令。「赤城」、機関停止。
10時43分:「赤城」、艦橋で火災発生。指示不能状態に。
10時46分:南雲中将、駆逐艦「野分」に移乗(後に軽巡洋艦「長良」に再移乗)。
10時50分:指揮を継承した阿部弘毅少将より、司令部に「空母3隻大破」と電信。
17時00分:「加賀」において総員対艦命令。指揮を執る者は全て即死した為、命令を出したのは天谷孝久飛行長。
19時15分:「蒼龍」沈没。艦長の柳本柳作大佐は艦と運命を共にする。
19時20分:「赤城」において青木艦長より総員退艦命令。
19時26分:「加賀」沈没。
22時30分:「赤城」において、艦と運命を共にしようとした青木艦長を、増田正吾飛行長が無理やりに退艦。
4時50分:山本長官より、「赤城」処分の命令。
5時00分:4隻の駆逐艦が「赤城」を魚雷攻撃、「赤城」沈没。
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| 運命の5分間、か……
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| ただ、この「運命の5分間」という呼び方にも異論は多いけどな。
| 詳しくは、ミッドウェイ海戦の講義で。
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| こうして空母「赤城」と「加賀」はまさに一瞬で命を絶たれ、空母機動部隊は壊滅しました。
| このミッドウェイ海戦は太平洋戦争におけるターニングポイントとなり、以後はアメリカに押し返されていく事に。
| 空母機動部隊を支えた「赤城」と「加賀」の、余りにあっけない最期でした。
| 戦場の無情を噛み締めながら、この講義を終わります。
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| ああ、「赤城」…… 「加賀」……
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| 追悼。
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