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| 今回の講義に関しては、明らかに不完全です。
| とりあえず公開しておきますが、まあ話半分のつもりで。
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    | 不完全なら、わざわざ公開しなきゃいいのに。
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         | いつまでも更新しないわけにもいかないだろ。
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| 最初は円満だった日米関係が悪化し始めるのは、日露戦争後の事でした。
| 日清・日露戦争の勝利で獲得した中国利権を手にする日本、そして大陸進出を狙うアメリカ……
| 両者の間に火花が散るのは、当然の成り行きと言えるでしょう。
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 1905年に終結した日露戦争の結果、日本は朝鮮半島や満州における権益を確かにする。
 勢力を増す日本に対し、太平洋を挟んで睨み合うアメリカは危機感を増大。
 またアメリカも大陸利権を狙っていることもあり、互いが互いに敵国として意識し始める。
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    | アメリカめ… 日露戦争で勝ち取った権益を横からかっさらおうってんだな。
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         | なんと。
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| ところが、一方的にアメリカがズルいとも言えないんですよ。
| 日露戦争の際、日本はアメリカやイギリスに金銭的なサポートを受けていました。
| 国家予算の6倍以上にのぼる米英の金銭サポートが無ければ、日本の勝利は到底不可能だったでしょう。
| で、その金銭的なサポートを受ける条件が、「日本とアメリカで中国権益を仲良く分け合うこと」だったんです。
| 日本はその約束を踏み倒し、中国利権を一方的に我が物にしたんですよ。
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 当時の国民は、日露戦争に関する米英のサポートについてほとんど知らされず。
 それどころかロシアに勝利した事により、「アメリカやイギリスに勝てるかも」という幻想を抱き始めた。
 以後にアメリカやイギリスに喧嘩を売るような関東軍の独走を、大半の日本国民は支持している。
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    | みんなで切り分ける約束をしていたケーキを、独り占めしたみたいなもんか。
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         | 空気が読めなかったんだな。
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| ここらへんの情報もね、マスコミが特に伝えなかっただけ。
| 別に情報統制されてた訳でもないんだから、当時の国民でも知ろうと思えば知れた訳ですよ。
| 正しい情報が、民主政治にとっていかに大切か……伺い知れる話ですね。
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    | 結果的に、偏った情報が太平洋戦争を後押しした訳か……
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         | 民主国家の国民は、常に賢くあるべきなんだな。
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| そして日本とアメリカは、この頃から互いを意識した軍備増強を開始します。
| 1914年には、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発。
| 日本はイギリスの要請で中国におけるドイツ植民地を攻め潰し、そこの統治を認められます。
| なんかどさくさにまぎれて奪ったように言われてますが、日本によるドイツ植民地委任統治は正当なものですよ。
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 しかし、これによりアメリカはますます危機感をつのらせる。
 日本とアメリカの建艦競争(相手に負けまいと、より多くの軍艦を造ろうとする)がエスカレート。
 なお第一次世界大戦により、ヨーロッパ諸国は弱体化。
 大戦に深く肩入れしなかった日本とアメリカは、ほとんどダメージを受けず。
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    | 日本とアメリカの対立は、どんどん深くなっていくんだな。
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         | 中国利権を巡っての対立……互いに引けないなぁ。
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| 1924年には、アメリカは排日移民法を制定。
| 日本国民は「国辱」としてブチ切れ、マスコミは反米キャンペーンを起こします。
| この時期に、早くも日米開戦を叫ぶ者も……
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 ・排日移民法(1924年7月1日)
  アメリカが定めた、自国への日本人移民を制限する制度。
  「排日移民法」というのは俗称で、実際のところは移民法の一部改正。
  その背景には、日系人とアメリカ人の地域摩擦を巡るいざこざがあった。
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    | こりゃ、確かに問題だなぁ…
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         | 外交のもつれも関わってるし、この問題は簡単には片付けられないんだ。
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| こんな風に、日露戦争でゲットした満州の利権を巡ってアメリカと睨み合いになり……
| なおかつ北には、ソ連という領土獲得の野心に燃えた軍事大国が存在していたんです。
| 日本は着々と大陸にて利権を拡大。いつしか満州地方は、「日本の生命線」と呼ばれるようになりました。
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    | あの地方がソ連に取られてしまえば、日本本土がヤツラの射程内に入るからな。
    | 満州地域を、他のどの国にも渡す訳には行かなかった訳か。
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         | ただし、当時の日本が実際にソ連に対して危機感を持っていたか……
         | ちょっと疑問もあるな。
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| そして満州地方で一番実権があった張作霖と、
| 満州に派遣されていた日本軍(関東軍)は仲良しこよしだったんですが……
| 張作霖は日本軍と関係を持つ一方で、徐々に中国共産党にも接近。
| 関東軍はこれに対し、彼の乗る電車をスタイリッシュに爆破して暗殺してしまいます。
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 ・張作霖爆殺事件(1928年6月4日)
  奉天近郊にて張作霖の乗った電車が爆発、即死した事件。
  関東軍による暗殺で、独断行動であった可能性が高い。
  なお、当時の中国では国民党と共産党が権力闘争を繰り広げていた。
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    | 独断って……政府の指示もなく、勝手にやった訳か。
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         | 外交をも左右する大事件を、日本陸軍は勝手に起こしてしまったんだ。
         | これ以後の日本政府は、現地で独走する陸軍の扱いに手を焼く。
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| その後に張作霖の跡を継いだ張学良は、張作霖の息子。日本軍に良い顔をする訳がありません。
| 両者の関係は悪化する一方……そんな中、とうとう関東軍は暴挙に出ます。
| 1931年、柳条湖の南満州鉄道線路上がスタイリッシュに爆発。関東軍は張学良達の仕業と宣伝。
| ……自分らでやっておいてねぇ。この柳条湖事件が、満州事変のスタートとなりました。
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 ・柳条湖事件(1931年9月18日)
  柳条湖付近の南満州鉄道線路上で爆発が起き、関東軍は張学良による破壊工作と宣伝。
  ただちに周辺地域を制圧。実際のところは、関東軍による自作自演である。
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    | 関東軍、とんでもない連中だな……
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         | これを機に、満州の支配に乗り出したんだ。
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| 日本政府の事態不拡大方針を完全に無視し、満州全域を制圧していく関東軍。
| そして、とうとう満州国という国をでっち上げるという凶行にでます。
| 無論、関東軍の傀儡(操られるがまま)国家としてね。
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 ・満州事変(1931年9月18日〜1933年)
  柳条湖事件から始まった一連の騒乱で、ほぼ全てが関東軍の独断。
  不拡大方針を維持していた政府に対し、マスコミや国民は関東軍の行動を支持。
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    | マスコミも国民も、関東軍の独断を支持してたのか。
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         | この時に関東軍によって担ぎ出されたのが、愛新覚羅溥儀。
         | 清朝のラストエンペラーであり、清の崩壊後もそれなりの身分だった。
         | そんな彼と関東軍が接近し、そして溥儀は満州国の皇帝となったんだ。
         | 皇帝の夢よもう一度、ってところだな。
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| 当然ながら、世界各国は日本の行為に猛反発。
| 国際連盟は満州国を国家として認めず、それに反発した日本は1933年に国際連盟を脱退します。
| 日本は世界から徹底的に孤立。にもかかわらず、日本国民は国際連盟脱退をバンザイして喜んでいました。
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    | マトモな情報が行き届いてなかったんだなぁ……
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         | まさに痛恨の極み、だ。
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| ここでちゃんと考えてみて下さい。なんで、国民にマトモな情報が行ってなかったんですか?
| 政府は当初は不拡大方針だった為、国が情報を統制していたなんて言い訳は成り立ちません。
| にもかかわらず、関東軍を支持したマスコミ……そして、無批判にそれに乗った大多数の日本人。
| 暴走していたのは、本当に軍部だけだったんですかねぇ?
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    | 言論の怖さか……
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         | 関東軍、要は日本陸軍が暴走していたのは事実。
         | しかし軍部の行動を、徹底的に後押しする地盤はあったんだ。
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| 何も私は、高見に立って「悪いのはマスコミだ」とか「当時の日本人は馬鹿だ」なんて言いたい訳じゃありません。
| もともとマスコミはそういうものですし、大衆心理もそんなもんです。
| 要は、未来において同じような状況になった時、ふとこの時の事を思い出してほしいってことですね。
| マスコミの言う事でノリノリになって良いのか。場の雰囲気に流されていいのか……
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    | 歴史を教訓とする、か……
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         | マスコミというのは、どこの国でも扇動的なものだ。別に日本が特別ってわけじゃない。
         | ただし日本人は非常に風潮や風評に流されやすく、これは特別かもしれない。
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| さらに、実際に満州は「日本の生命線」だったかというと、これにも大きな疑問符が付くんです。
| 無論、侵略云々がどうこうと道義的な事を言いたいんじゃありません。
| 世界を敵に回してまで、満州は日本にとって重要だったのかって事ですね。
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 どっちがお得?
  1.世界を敵に回してでも、満州を貰う。
  2.満州を諦め、世界と仲良くする。
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    | 満州がそんなに重要じゃなかったんなら、関東軍のやった事は何だったんだ…?
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         | 小さな利益にすがり、とてつもないリスクを冒したってことだな。
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| この辺の問題は、産業等のデータと向き合ったり、地政学的に考えたりしなきゃいけませんが……
| 結局のところ、満州獲得による利益はリスクに見合ってなかったってのが実際のところでしょうね。
| 世界を敵に回してまで、やらなきゃいけない事では決してありませんでした。
| ここら辺の優先性を、すでに関東軍は履き違えていたんです。
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    | そもそも満州は「日本の生命線」だと思い込んだのが、ケチの付け始めって事か。
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         | なんでそう一直線に思いこんでしまったか、これも興味深いところだ。
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| そして1933年、中国政府(国民党)と日本は塘沽協定を結びます。
| これは事実上の中国による満州国の承認で、大陸における騒乱はいちおうのところ沈静化。
| いったん中国問題が落ち着いたのは良いんですが、気付いてみれば日本は全世界から孤立していました。
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    | いつの間にやら、友達をすっかり失ってしっまった状態か。
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         | そして同年の1933年、ドイツではヒトラーが政権を取っていた……
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| さて、この当時の中国はどうなっていたか……
| 国内では、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が内戦状態となっていました。
| 蒋介石率いる国民党は、当時の中国における正当な政府と思ってもらって結構です。
| 毛沢東率いる共産党は、農村などで勢力を伸ばしていた反乱軍――いちおう、そう理解しておいて下さい。
| そして蒋介石は、大日本帝国の大陸進出を押し留めるよりも、共産党の撲滅を重視していました。
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    | どういう事?
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         | 徐々に、日本の食い物にされていく中国。
         | それを放ったらかしで、政府は反乱軍と内戦を繰り広げてたって事だ。
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| しかし1935年、とある事件が発生しました。
| 国民党の軍人である張学良を中心としたグループが、蒋介石を監禁してしまったんです。
| 張学良の父親は、張作霖爆殺事件で日本軍に殺された張作霖。
| そんな事もあって、張学良は共産党と手を組んで日本に立ち向かうべきと考えていたんですよ。
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・西安事件(1936年12月12日)
 西安において、蒋介石が張学良・楊虎城に監禁された事件。
 これにより、国民党と共産党は手を組む事になる。
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    | 国民党のボスである蒋介石を監禁って……張学良も国民党なんだろ?
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         | そこまでやるほど、日本が憎かったんだろうな。
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| 国民党は、当然ながら張学良を討つべく攻撃を開始しましたが……
| 最終的に、蒋介石は張学良の要求を受諾。国民党と共産党の合意が成立します。
| こうして蒋介石は解放され、事態は収拾しました。
| 国民党と共産党は一丸となって、日本に立ち向かう事になったんです。
| 単純な仲直りというわけじゃなく、両者にも色々思惑がありますがね。
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    | 共産党の側は、国民党と手を結ぶ事に抵抗はなかったのか?
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         | 西安事件以前から、共産党は国民党に対して内戦停止と共同抗日を訴えていた。
         | こうして、共産軍は国民党所属八路軍として国民党に組み入れられたんだ。
         | この毛沢東率いる八路軍が、後に日本軍を苦しめることになるんだ……
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| 中国における本格的な抗日運動の勃興、さらに頭の痛い問題が日本を襲いました。
| それが、ソ連の対日態度硬化なんです。
| ここで状況を振り返ると、それまでのソ連は日本と決して険悪な訳ではありませんでした。
| 1932年には日ソ不可侵条約を結び、1934年にソ連は満州国を承認。
| 意外かもしれませんが、ソ連は日本に対してかなりの宥和政策を取っていたんです。
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    | なんと、ソ連が。実に意外。
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         | ソ連は、第一次世界大戦後からヨーロッパを中心にハミダシ国家扱いされてたからな。
         | 余計なところで敵を増やすのは得策じゃなかった。
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| しかし、ソ連は国際連盟に加入して孤立外交を改善。
| 国際社会に認められ、第一次五か年計画で軍備が充実してくると、対日態度に変化が現れました。
| 1936年には「ドイツと日本は帝国主義的であり、世界の敵である」と明言、さらに中国支援を発表したんです。
| これは、日本にとって中国進出における大きな脅威。
| 満州にも威嚇的な国境侵犯が増加し、いよいよ日本はソ連に対して危機感を持ち始めます。
| そこで日本がパートナーとして目を付けたのは、ヨーロッパで孤立していたドイツでした。
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 なぜドイツ?
  ・日本は外交的に孤立し、まともな国は付き合ってくれない。ドイツの境遇も日本と同様。
  ・ドイツとソ連の仲の悪さは周知。「敵の敵は味方」理論。
  ・ドイツの科学力は世界一ィィィィィィィィィィッ!!!
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    | なんと、ここでドイツが……!
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         | いよいよ、破滅的な道にさしかかってきたな。
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| 一方のドイツも、ヒトラー政権下の派手な行動でヨーロッパにおいて要注意国家とみなされていました。
| イギリスやフランスと激突する可能性も見え始め、ドイツの外交関係は悪化の一途。
| こうなりゃドイツ側も、どこかの国と同盟を組んで対抗する必要があります。
| イギリスやフランスに圧力をかけられ、自国と獲物がカチ合わず、孤立したドイツと付き合ってくれそうな国……
| そんな都合のいい国は世界でただ一つ、極東の英仏植民地にも程近い大日本帝国でした。
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    | イタリアは?
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         | この当時は、オーストリアの所有問題でちょっとだけモメていた。
         | つまりは、獲物がカチ合ってたんだな。
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| そして1936年、日本とドイツは日独防共協定を結びます。
| これは対ソ連に関する協力関係みたいなものであって、同盟関係にはちょっと遠いですね。
| ついでにドイツは、日本と対立する中国を武力支援してたんですよ。
| ドイツと中国はちょっとした貿易関係であり、ドイツは親中国路線だったんです。
| なお、「同盟」というのはちょっとした協力関係ではなく、事実上の運命共同体。
| 日本とドイツは、この時点においてはそこまで仲良くありませんでした。
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 ・日独防共協定(1936年11月25日)
  日本・ドイツの間で締結された相互防衛協定。
  翌年にはイタリアも参入し、日独伊三国防共協定に発展する。
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    | とりあえずは、対ソ連を視野に入れての協力関係ってとこだな。
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         | ドイツは中国に兵器を供給し、軍事顧問を派遣したりしていたんだ。
         | 翌年になるとドイツは親中国路線を撤回、日本との友好強化を図るがな。
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| こうして、対日抗戦運動が激化していく中国……
| そんな中、とうとう1937年に起きた盧溝橋事件が引き金となって日本と中国は戦争状態に突入。
| 最悪、ソ連までも相手にしなければならないかもしれないが……大丈夫、その時はドイツも動くさ。
| そんな日本側の思惑は、後で完全に崩れ去ってしまうんですがね。
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 ・盧溝橋事件(1937年7月7日)
  北京の盧溝橋で鳴り響いた一発の銃声をきっかけに、日中は全面戦争に突入。
  この一発の銃声が何なのかは現在も議論されている(中国軍の偶発的射撃説、共産党の陰謀説など)。
  なお「日中戦争」という名称には異議も存在するが、本講義ではこの用語を使用する。
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    | ソ連封じの頼みの綱は、やはりドイツなんだな。
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         | ソ連ばかりか、アメリカも中国を支援している。
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| 日本の近衛文麿内閣は不拡大方針を陸軍に指示していたものの、金銭面では軍部を支援。
| そして1938年、とうとう近衛内閣は「国民政府を対手(あいて)とせず」という正式声明を出します。
| こうして日本政府は、中国の国民政府との和平交渉を打ち切りました。
| 以後は、日中戦争の泥沼に足を踏み入れていくこととなります。
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    | 日本政府の不拡大方針は、完全に消滅したんだな。
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         | 日中戦争の詳しい経過は、また別の講義で。
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| 一方、満州国(実質は日本)とモンゴル(実質はソ連)の国境でも小競り合いが頻発していました。
| そして1939年5月、事実上の局地戦争に発展します。これが、有名なノモンハン事件。
| 日本軍とソ連軍の戦車部隊が大規模に激突し、戦車性能や補給力に劣る日本軍が敗北しました。
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 ・ノモンハン事件(1939年5月〜9月)
  日ソの国境紛争から起こった武力衝突で、最新鋭の九七式中戦車チハも僅かながら参加。
  しかしソ連軍の仕掛けたピアノ線に絡まり、動けなくなったところを多数撃破されている。
  さらにソ連のT-26軽戦車やBT5快速戦車に敵わず、奮戦の末に日本側が撤退。
  この後は日本では対アメリカ戦が、ソ連では対ドイツ戦が忙しくなり、両軍の摩擦は起きなくなった。
  なおソ連崩壊後の情報開示により、ソ連側は日本側より損害が多かった事が明らかになる。
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    | 事件なのに、軍隊同士が激突したのか?
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         | これは実質、小規模の戦争といってもいいレベルだな。
         | ノモンハン事件の詳しい経過は、また別の講義で。
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| そんなノモンハン戦も末期の8月末、日本に驚くべき報告がもたらされました。
| それが、独ソ不可侵条約――あの敵同士であったドイツとソ連が、お互い国土を攻めないと約束し合ったんです。
| これには世界が驚きましたが、特に自国の運命が関わってくる日本は大仰天でした。
| ソ連はドイツが押さえるものとしていたのに、こんな事になっちゃもうメチャクチャ。
| この時に総理大臣であった平沼騏一郎は「欧州の天地は複雑怪奇」とコメント、内閣は総辞職してしまいます。
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 ・独ソ不可侵条約(1939年8月23日)
  ドイツとソ連が結んだ不可侵条約(互いの領土に攻め込まないという約束事)。
  憎み合っていた敵同士が唐突に握手するという事態に、世界各国が驚愕した。
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    | そもそも、ドイツと日本は対ソ連の協定を結んでたんだよな。
    | それなのに、後になってドイツとソ連がこんな条約結ぶって……約束破りじゃないの?
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         | 当然ながら、掟破り以外の何でもない。
         | この時に進んでいた日本とドイツの同盟締結交渉はただちに中止。
         | ナチスドイツ許すまじ、という論調が日本国内に乱れ飛んだ。
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| 唐突に辞任した平沼騏一郎の後に総理大臣になったのは、陸軍出身の阿部信行。
| 阿部新首相は、昭和天皇から強く言われていた事がありました。
| それが、「対米英関係をこれ以上悪化させるな」。
| ここまでグダグダな状況で、さらにアメリカまで敵に回してしまえばどうしようもありませんから。
| こうして、阿部新内閣は対米英協調路線を前面に押し出していく事になりました。
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    | この頃の日本国内では、ドイツへの敵対心も強かったんだな。
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         | ドイツとソ連との不可侵条約締結なんて、裏切り行為以外の何でもないからな。
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| そして新内閣発足後まもなく、ドイツがポーランドへ侵攻。第二次世界大戦が勃発します。
| 阿部内閣はドイツへの不信感と米英協調路線から、「欧州戦争への不介入」方針を発表。
| これ以上ドイツに肩入れしていては、アメリカ・イギリスとの対立が決定的になりますからね。
| そんな日本に対し、アメリカは日米通商航海条約の破棄を通告。
| 「通商停止がイヤならば、日本は中国から全面的に手を引け」ってのがアメリカの条件。
| 日本にそんなのが呑めるはずもなく、1940年1月に日米通商航海条約は破棄されます。
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「今次欧州戦争の勃発に際しては、帝国はこれに介入せず、
 もっぱら日華事変の解決に邁進せんとす」
                     9月4日、阿部内閣の発表
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    | なんかもう、日米開戦2年前にして末期的雰囲気だなぁ……
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         | でも通商条約の期限が切れたからといって、アメリカとの貿易がなくなる事はない――
         | 日本側は、そうたかをくくってたんだ。後に、そのとんでもない思い違いを痛感するわけだが。
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| アメリカとの貿易が制限されるに及んで、阿部内閣はソ連との関係改善を模索し始めます。
| しかしソ連は、少し前までノモンハンで殴り合った敵同士。
| 手を組むなんてのは無理かもしれませんが、せめて不可侵条約は結んでおきたい――そんな意図ですね。
| ドイツとの同盟に関して、もう政府要人の頭からは完全に消え去っていました。
| あんな裏切りを仕出かした国、信用がおけるはずがありませんからね。
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    | ドイツからソ連に鞍替えか。
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         | まあ、ドイツの約束破りはとんでもなかったからな。
         | あれでは信頼を失っても仕方がない。
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| しかし阿部内閣は経済政策に大失敗、国民からの不満が爆発します。
| 結果的に1940年1月には、内閣総辞職に追い込まれてしまいました。
| その跡を継いだのが、穏健派の海軍大臣である米内光政。
| 天皇が「余の味方」と評した彼が首相になり、1940年1月16日に米内内閣が発足します。
| 米内内閣の方針は、やはり天皇の意志を実行する形での米英協調でした。
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    | 米内光政……? 賢い人なの?
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         | ドイツとの同盟には反対で、後には日米開戦にも最後まで反対。
         | 戦争末期には終戦工作で活躍する、海軍のお偉いさんだ。
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| しかし、そんな米内内閣にとって世論は逆風でした。
| 欧州戦争におけるドイツの快進撃が大々的に報道されるに及び、ドイツとの同盟論が復活。
| さらにマスコミは、アメリカやイギリスに歩み寄る日本政府の外交方針を叩いたんです。
| マスコミによって多くのスローガンが乱舞され、踊りに踊る日本国民。
| ドイツと組んでアメリカやイギリスをぶっ潰せ――そういう風潮で沸き返っていました。
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 「有田外交転換期に立つ。英米仏依存外交は失敗」
 「大転換必至の帝国外交」
                 当時の新聞の見出しより
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    | マスコミ、か……
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         | 政府が情報を統制した、マスコミに責任はない……どの口で言えるんだか。
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| そうした世論に乗っかり、陸軍は米内首相の追い落としを画策します。
| 後継陸相を出さないという手段で、米内内閣を総辞職に追い込んでしまったんですよ。
| こうして、わずか半年にして米内内閣は崩壊。
| この米内内閣の末期だった1940年6月、ドイツはフランスを屈服させます。
| フランスが制圧されるというヨーロッパ情勢により、日本はとある行動に踏み切りました。
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    | とある行動……?
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         | なお東南アジアには、フランスの植民地が存在していた。フランス領インドシナだな。
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| 後ろギコ君の言った通り、フランス領インドシナが、権力の空白に近い状態になったんですよ。
| 日本は、そこに目を付けました。
| この周囲から出る資源が欲しかったってのはメインの理由ではなく、もっと別の目的があったんです。
| それが、援蒋ルートの遮断でした。
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    | 援蒋ルート?
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         | アメリカ・イギリスは蒋介石率いる国民党に援助物資を送っている。
         | その運搬ルートは4本あったんだが、最大のルートはこのインドシナ・ルートだった。
         | 日中戦争はもうグダグダで、日本としてはとにかく収拾をはかりたかったんだよ。
         | これは国民党を衰弱させる最大のチャンスだとみなされた。
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| 当然ながら、いきなりここに兵を進めては国際問題になります。
| そこで、日本はフランスのヴィシー政府からの許可を取り付けました。
| 当時のフランスはドイツによって潰され、親ドイツ政権である「ヴィシー政府」が樹立していたんです。
| ドイツによる支配をよしとしないグループは、亡命して「自由フランス」を名乗ってたんですがね。
| こうして1940年9月、日本はヴィシー政府の許可を取ってからフランス領インドシナに軍を進めたんです。
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    | ヴィシー政府って、ナチスドイツの傀儡?
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         | そこまで腐った政府じゃないが、かなり親ドイツ的だったのは確かだな。
         | 決してドイツべったりじゃなく、いろいろ意地張る局面も多かったけど。
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| この時の南方派兵は北部仏印進駐と呼ばれ、援蒋ルートの遮断が目的でした。
| 南方資源の獲得という目的を兼ねていないとは言えませんが、メインではありません。
| しかし米英は、他の3本の援蒋ルート……特にビルマのルートを通じて国民党への援助を継続。
| 結果的に北部仏印進駐という政策は、アメリカ・イギリスの心証を悪くしただけに終わります。
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    | 北部仏印進駐……? じゃあ、南部仏印進駐もあるの?
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         | ああ、翌年にな。
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| さて、国内情勢はというと……陸軍の陰謀で崩壊した米内内閣。
| そして1940年7月22日に総理大臣となったのは国民人気の高い近衛文麿、外相は松岡洋右でした。
| この松岡洋右が、徹底的にクセモノだったんです。
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    | 近衛文麿って、前も一度総理大臣になったんだっけ。国民に人気があったんだな。
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         | マスコミによって作り上げられた、実態のない人気に近いけどな。
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| そして同じ頃の1940年7月、アメリカはガソリンを許可が必要な輸出品目に指定。
| ここに及んで初めて、日本はシャレにならない事態になっていることに気付きます。
| 日本は、アメリカとの貿易に頼りながら中国と戦争してたんですよ。
| これで石油輸出ストップなんてされたら、日中戦争どころか国家の存亡もヤバいです。
| こうして日本は、新たな石油の供給口を探す事にしました。
| それが――インドネシア。オランダの植民地であった地域でした。
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    | やっぱ、石油が生命線なんだな。
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         | 陸軍はともかく、海軍は石油がないと全くの無力。民間のダメージも壊滅的。
         | 石油禁輸処置なんてもらったら、死ねって言われるみたいなもんだな。
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| ここで日本が目を付けたのが、オランダ領インドネシア。
| さっそく日本から石油貿易の交渉に行ったんですが、にべもなくはねつけられます。
| アメリカ・イギリスにこの地域の石油は独占され、「あんたにゃ売らん」の一点張り。
| 平和な交渉では、もはや石油獲得はどうしようもないありさま。
| アメリカが「石油を輸出しない」と一言言えば、それが死亡宣告になるのは避けられない状況でした。
| こうして、アメリカの胸先一つで国家の命運が決定するという事態に陥ってしまうんです。
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    | 平和な交渉では、もはや石油獲得はどうしようもない……か。
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         | 正直、自分で首を絞めまくったあげくにひどい状況になっていた感が漂っているな。
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| ここで松岡洋右は、日独伊にドイツを仲介としたソ連を巻き込んで同盟を組むという構想を持っていました。
| そしてユーラシア大陸を股にかけた四カ国同盟でアメリカと交渉、日中戦争も上手に終結させる――
| それが、松岡洋右の最終目的だったんです。
| そして重要な点ですが、ドイツと手を結んでもアメリカとの戦争はない――これが松岡の見解でした。
| いや、松岡だけではありません。陸軍も、ほぼ同様の見解を持っていました。
| むしろ、アメリカを参戦させないためにドイツ・イタリアと手を組むという目論見だったんです。
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    | ソ連も含めるのか……!?
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         | ドイツ外相リッベントロップも、ソ連を含めた四カ国同盟を構想していた。
         | 松岡洋右のみの暴走とは言い難いが……結局は、松岡&リッベントロップの暴走なんだけどな。
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| そしてイギリスを敵に回して戦っているドイツは、アメリカが参戦してくる可能性を予期していました。
| ここは日本を仲間に引き入れ、アメリカを牽制すべし――
| 日本は、同盟相手であるドイツの思惑すら読みきれていなかったんですよ。
| こうして1940年9月、とうとう日独伊三国軍事同盟が締結されてしまいます。
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・日独伊三国軍事同盟(1940年9月27日)
 日本、ドイツ、イタリアの間で結ばれた軍事同盟。
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    | まさに、破滅の第一歩……
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         | 米内光政、山本五十六、井上成美は条約反対三羽鴉と呼ばれるほど猛反対したな。
         | 親米英派の多い海軍からは反対意見が強く、陸軍でも反対派は存在していた。
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| これによって日本はアメリカを牽制しようとするも、全くの裏目に。
| 「侵略者の肩を持つのか!」とアメリカは凄まじいまでに反発。
| アメリカやイギリスの対日感情は、こうして極端に悪化してしまいます。
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    | 本当に、裏目以外の何者でもないな……
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         | なお、この頃からアメリカは日本の外交暗号の解読に成功。
         | 暗号機「九七式印字機」は破られ、日本側の外向的思惑は筒抜けに。
         | こちらのハッタリとか意図、どこまで譲歩する気かとか全部バレている状態に。
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| 三国軍事同盟が成立し、北部仏印進駐が行われた翌月――1940年10月、大政翼賛会が発足します。
| それにしたがって各政党は消滅、大政翼賛会に一本化された……と教科書あたりには書いてありますね。
| このあたりの事情は間違ってはいませんが、実像とイメージがかなり異なっています。
| そもそもの発端は、以前の内閣での失敗を反省した近衛文麿のとある声明でした。
| 彼は「既存の政党の枠を超えた、全国に展開する政治組織を作るべきだ」という構想を発表したんです。
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    | 以前の内閣での失敗……そうか、近衛文麿が内閣を組織するのは2回目だったっけ。
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         | そう発表したはいいものの、近衛自身はその新組織に関するヴィジョンが整っていなかった。
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| しかし、近衛自身の予想以上に各政党、軍部、財界は彼の発表に飛びつきました。
| 「それは素晴らしい構想だ! 俺達も参加するぞ!!」
| 政友会や民政会といった政党が、先を争うかのごとく率先的に解党。
| 社会大衆党までが、「マルクス主義は今の情勢に馴染まない」として自主解党。
| 自分のちょっとした発言がとんでもない事態を引き起こしてしまい、近衛は大困惑。
| しかし、「あれはナシ!」と言う訳にもいかず、話は進んでいきました。
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    | 自主的に解党したのか……
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         | 非常に熱しやすく、とにかく右へならえ!という風潮。
         | 今も昔も変わってないな。
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| 当然ながら、国内からも批判意見が噴出。
| 「これではナチスと変わらない!」という、同盟相手には聞かせられない批判も出ました。
| そんな1940年10月、近衛自身の意図を大きく踏み越えたカタチで大政翼賛会が発足します。
| 革新的な新体制運動だったはずが一国一党の独裁体制に進展し、国家総動員の風潮が席捲。
| しかも、言い出した本人のまるで意図しないカタチで――この辺、いかにも日本って感じですね。
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 「本運動の綱領は大政翼賛の臣道実践、これ以外には綱領も宣言もない」
                           近衛文麿、発会式での発表全文
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    | うわっ! 近衛、まるでやる気ねぇ!!
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         | なんか良く分からないうちに大組織は出来上がるし、
         | こんな組織を目指してたわけじゃないのに独裁だの何だのと非難食らうし――
         | 近衛は、この一件に関して完全にやる気を失っていた。
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| とは言えこの大政翼賛会、決して一枚岩でもありませんでした。
| 内部では様々な会派が入り乱れ、意見はバラバラ。
| おまけに大日本帝国の頂点はあくまで天皇であり、こういう一国一党組織は「幕府的」であるとする非難も存在。
| そもそも、政党であるかどうかも良く分からないまま。後には、政府の方針に協力していくだけの組織に。
| 結局のところ、大政翼賛会一党による体制一本化などこれっぽっちもありませんでした。
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    | 結局、何なの?
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         | なんかノリで作ってみたものの、組織の性質は良く分からないモノになった。
         | そのまま存続させるものの、実態の良く分からない政府の補助団体に。
         | 結局、太平洋戦争末期に登場した国民義勇隊に吸収され消滅している。
         | 構想を抱いた本人も、参加した連中も実態は良く分からない、哀しいまでに日本的な組織だ。
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| そして1940年の暮れには、アメリカ大統領ルーズベルトが驚くべき演説をしました。
| それは参戦していないアメリカによる、ヒトラー率いるドイツへの徹底的な敵対宣言。
| アメリカ議会はルーズベルトの宣言に従い、「武器賃与法」が成立。
| ドイツと戦っているイギリスに、兵器を譲って支援できるようになりました。
| すなわち、アメリカは「民主主義の兵器庫」。ほぼ、参戦に準ずるほどの支援ですね。
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    | なんと……!
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         | アメリカは「ファシズムとは、民主主義と決して相容れない敵」と宣言したんだ。
         | ドイツのヒトラー、そして彼に追随する枢軸国への敵対宣言だな。
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| さらにこの時期、ドイツは日本にシンガポールを攻撃させたがっていました。
| シンガポールは、イギリスにおける極東の最重要基地。
| ここを潰せばイギリスの政治・経済は大ダメージ、インドなどの英国植民地でも反乱が増加するだろう。
| 日本の実力でシンガポールを潰すのは実際のところ不可能だろうが、それでもイギリス軍を極東に割ける……
| それがドイツの思惑であり、日本にシンガポール攻略の要請を何度も行います。
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    | 実際のところ不可能だろうが……って、ひどい話だな。
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         | 後の話だが、同盟国ですら無理と思っていたシンガポール攻略は驚くべき迅速さで実現する。
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| さて、1941年に入ると、いよいよ日米の関係は破滅的になってきました。
| 駐米大使の野村吉三郎は何度も国務長官ハルやルーズベルトの交渉が続いていたんですが、進展はなし。
| 向こうは、「ドイツ・イタリアと手を切れ」、「中国から完全に兵を退け」の一点張り。
| これを呑まなければ、交渉のテーブルにすら着いてもらえない状況でした。
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    | ファシズムは、民主主義の敵だもんな……
    | ドイツと同盟を結んでいる限り、日本はファシズムを支援してるって論法か。
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         | そして日本側の行いも、到底褒められたもんじゃないし。
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| しかし日本は、いまさら中国からの撤退なんて出来やしません。
| この時点で、日中戦争での日本人死者数は18万人。ここで撤退しては、彼らの死に対して申し訳が立たん!!
| ……そういう考えが、日本陸軍を支配していました。
| さらにここで軍を引けば、日本国民が間違いなくブチ切れ、内乱が起きる可能性すらあるでしょう。
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 日本海軍内には親米英派が多く、「対日経済封鎖を破る為の対米開戦」には反対派が多かった。
 そんな彼等でも、日本国内で内乱が起きるのは最悪の状況と考えていたようだ。
 また海軍は、陸軍によるクーデターも恐れていた。
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    | その頃の日本国民、マスコミに炊きつけられて戦争ノリノリ状態だったんだよな……
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         | なんか、もう心がバラバラだよな。政府も、国民も、陸軍も、海軍も。
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| 巷で言われてるように、「軍部の独走」なんかが太平洋戦争の原因だったんじゃありません。
| 最大の問題点は、「権力の過度の分散化」だったんですよ。
| 国内の色んなところで権力は牽制し合い、理性的に事態を収める事が出来なかったんです。
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    | そして国民も、当時から立派な権力だった訳か。
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         | 民主国家なら、絶対に忘れちゃいけない事だな。
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| そんな1941年3月、外相の松岡洋右は欧州への訪問(主にドイツ)に旅立ちます。
| 野村吉三郎は「この時期に行くと、アメリカがキレるのでやめてください」と通告したのですが……
| 松岡洋右は「任せておけ、はっはっは」と取り合いませんでした。
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    | とんでもない自信過剰振りだな。
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         | 日独伊+ソ連の四カ国軍事同盟で、アメリカを牽制する――
         | そうなれば、アメリカも安易にケンカ売ってはこない。
         | それが松岡洋右の目論見であり、悲しいまでに状況を読み違えていた。
         | ドイツと結んだ事によるアメリカの感情悪化に、まるで気付いてなかったんだ。
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| こうして野村吉三郎とハル、ルーズベルトとの会談が何度も行われている一方、松岡はヨーロッパへ。
| 彼はヒトラーやムッソリーニと会って四カ国同盟の骨子を伝え、さらにソ連へ寄るというスタンドプレイを見せます。
| しかし、松岡の同盟案に対するソ連側の態度は冷たいもの――と思いきや、4月になって態度が一変。
| 「お前等の同盟には入らんけど、日本とソ連は戦争しない、って約束なら結んでもいいのら」と言い出します。
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    | なんと! 松岡が頑張ったのか?
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         | いいや。その裏には、ソ連が掴んだとある情報の影があった。
         | それは、松岡の目論見を完全に打ち砕くものだったんだ。
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| そのソ連が掴んだ情報とは、「バルバロッサ」――ドイツによるソ連侵攻計画でした。
| ソ連にしても、ドイツと日本を同時に相手にするのはホネだったんです。
| なので日本とは懐柔を図り、来たるべきドイツとの戦いのみに専念する事に。
| こうして結ばれたのが、日ソ中立条約。
| これによりソ連は、極東に貼り付けていた部隊を欧州方面に移動させる事ができたんですよ。
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 ・日ソ中立条約(1941年4月13日)
  日本とソ連が結んだ相互不可侵条約。1946年4月まで有効。
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    | でも、松岡の本来の狙いはこっぱみじんだな。
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         | 日本、ドイツ、イタリア、ソ連の四カ国同盟どころじゃないな。
         | ドイツはソ連への侵攻を意図し、ソ連は立ち向かう気マンマンだったんだから。
         | 当然ながら、この時の松岡にはそれを知るよしがなかったが……
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| しかしここに至り、なんと日米関係を好転させる流れが見え始めました。
| 日米間の関係悪化に頭を痛めたアメリカの神父に日本の民間人が協力、なんと民間ルートで和解案が。
| これは日米両政府に手渡され、アメリカは「このままでは通せないけど、交渉の踏み台にできる」とコメント。
| 日本側も、小躍りせんばかりに喜びの声が聞かれました。
| 満州からの撤兵は求められておらず、三国同盟の解消もアメリカとの対決が避けられるなら文句なし――
| これが、日米諒解案と呼ばれる案なんです。
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    | おお、なんと。
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         | 本当にこれが、最後のチャンスだったのかもしれない……
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| しかし、そこへヨーロッパから松岡洋右が戻ってきたんです。
| 自分の知らないところでアメリカとの交渉が動いていた事に対し、松岡は激怒。
| これは、自分が積極的に結んだ日独伊三国軍事同盟の破棄が前提ですからね。
| 「オレを抜きにして、何を勝手なことしてんだ!」とばかりに自宅へ引きこもってしまいます。
| なんかもう、どうしようもない状態ですね。
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    | 松岡……
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         | 松岡……
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| 日独同盟を軸にアメリカと交渉する、という目論見の松岡。
| ドイツを切り捨てなければアメリカとの交渉は成立しないという考えを持った野村――
| 二人の考え方は、まるで正反対でした。
| ここで第二次近衛内閣は、松岡を外務大臣の地位から落とす事を画策します。
| 内閣をいったん解散させ、7月16日に第三次近衛内閣を組閣。
| 閣僚の多くは留任だったんですが、外相は豊田貞次郎。松岡はとうとうクビにされたんです。
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    | とうとう、松岡が切られてしまったのか……
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         | これは、アメリカとの関係改善を賭けた人事でもあった。
         | ここまでの経過を見れば分かるが、日本だってアメリカとのバトルなんざ望んじゃいなかったんだ。
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| しかし……やはり、中国からの全面撤兵など軍部にできるはずがありませんでした。
| 陸軍を中心とした軍部は南部仏印への進駐策を進め、大本営政府連絡会議において南部仏印進駐が決定。
| 7月2日には、御前会議において南部仏印進駐が正確に決定します。
| 近衛内閣はそれでもなおアメリカとの和解を望み、交渉を続行させていたのですが――
| 結果的に、内閣と軍部の行動は完全に相反していました。
| こうして、アメリカからは平和を説きながら裏で軍を動かす二枚舌な行動と受け取られたんです。
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 情勢の推移に伴う国策綱領(1941年7月2日)
  ・南部仏印に兵を進める。
  ・対ソ連に関しては、しばらく様子を見る。
  ・中国は、今まで通り武力で屈服させる。
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    | もはや、やる事なす事裏目だな……
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         | 意思の疎通は、もはや絶望的だった。
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| そしてアメリカは、日本の南部仏印進駐の情報を事前に掴んでいました。
| ルーズベルトは野村に対し、「南部仏印進駐を実行すれば石油の全面輸出禁止を実行する」と通告。
| しかし日本は南部仏印進駐の準備を進め、7月28日にとうとう実行します。
| その3日前の7月25日、日本側に退く意思はないと確認したアメリカは対日資産凍結令を発布。
| 当時のアメリカにあった日本人や日本企業の資産は、米国政府の管理下に置かれてしまったんです。
| これは、完全な経済制裁の発動でした。
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    | や、やっちゃったのか……
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         | 日本には、ヴィシー政府の許可があるから大丈夫じゃないか、という致命的に甘い見通しがあった。
         | やってしまってから、アメリカの本気の態度に気付いたんだ。真っ青になってからでは遅かった。
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| さらに26日から27日にかけて、イギリスとオランダが同様の経済制裁を実行。
| 28日に南部仏印に兵を進めた時点で、もう日本外交はボロボロ。
| 仰天した日本は「南部仏印以外に兵を進めるつもりはない」と弁明しましたが、アメリカの制裁は本物。
| さらにアメリカは、石油の全面輸出禁止を示唆するような言動をします。
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    | それでもほのめかすだけで、石油全面輸出禁止の実行はしなかったんだな。
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         | 本当にやってしまったら、日本もオランダ領インドネシアに兵を進めるしかなくなる。
         | すなわち日米英蘭戦争であって、まだ時期が早い――そう、アメリカは判断した。
         | まだ、アメリカの対日戦争体勢も整ってなかったんだ。
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| 石油禁輸の示唆に引っくり返ったのは、今まで米英寄りだった海軍でした。
| 陸軍と違い、海軍は石油がなければ本当に何もできません。
| 今の備蓄量だと、平時でも2年。戦時だとそれ以下しか持ちませんでした。
| 海軍としては、当然ながら米英との開戦を避けたい。
| しかし状況を打破できないなら、石油の備蓄のあるうちに開戦すべき。
| 時期を誤れば手遅れ――そう、海軍は主張するようになったんです。
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    | 石油の備蓄が切れてしまえば、アメリカに屈服するより他に選択肢がなくなるな。
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         | 開戦するなら、そうなる前――判断が遅れれば、取り返しがつかなくなる。
         | まさに、絶体絶命の大ピンチだな。
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| こんな海軍の変節に、近衛内閣はいよいよ困惑しました。
| 近衛内閣はそれでも、外交による状況打破を画策していたんですよ。
| しかし軍部は、外交に期限を設け、それを過ぎても状況が改善されなかったら開戦――そう主張しました。
| こうして9月6日、御前会議にて「10月上旬に日米関係が改善されなかったら開戦」と期限が切られます。
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    | 関係改善のリミットは、残り一ヶ月か……
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         | こんな短い時間で、どうにかなるわけがなかった。
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| そして10月16日――やはり状況は打開されず、第三次近衛内閣は解散します。
| それでも天皇は、日米開戦回避の意志を捨ててはいませんでした。
| そこで天皇の側近である木戸内大臣は、とある男を首相にするという案を天皇に告げます。
| 陸軍内部でかなりの影響力があった男――彼の名は、東条英機。
| 彼は強硬な対米英開戦論者でありながら、「忠狂」と呼ばれたほど天皇を敬愛していたんです。
| もはや軍部を抑えられるのは、東条以外にいない――!
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    | 強硬な対米英開戦論者で、陸軍でもかなりの力を持っていた人物……
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         | しかし彼は、天皇の言葉ならばいかに自身の考えと異なろうとも従うのみ。
         | 戦争にひた走ろうとする陸軍を抑えるには、彼以上の適任はいなかったんだ。
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| 東条英機には、天皇から「9月6日の決定は無視してよいから、米国との交渉を続けよ」との言葉が。
| こうして東条英機は首相任命前とは打って変わり、対米政策を慎重に行うようになりました。
| 東条内閣の下で外相となった東郷茂徳も、平和主義者と異名を取る人物だったんです。
| これは、米英との関係修復を賭けた最後の人事でした。
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    | なんと。
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         | それでも、結局はどうにもならなかった。
         | どんな天才であろうとも、ここまで破滅的な情勢を改善することは不可能だっただろうけど。
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| しかし1941年11月5日、御前会議(天皇の前で行う会議)で、
| 「12月1日までに日米外交交渉が纏まらなかった場合、対米英開戦する」という事が決定します。
| その際に決定された「対米英蘭戦争指導要綱」の内容は板書しておきましょう。
| この決定に関し、東条首相はこうコメントしました。
| 「政府としては対米交渉の望みを捨て切っていない。
|  こちらが戦争を決意したと知れば、アメリカの態度も変わるかもしれない。それが一縷の望みだ」
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 1.戦争の目的は、日本の自衛。
 2.戦争は長期戦になるだろうが、なんとしても短期戦に持ち込む。
 3.戦争は奇襲で開始し、自給自足の体制を早急に整える。
 4.攻撃範囲は香港、ビルマ、マレー、蘭印、フィリピン、グァム、ニューギリア、ビスマルク諸島に限定。
 5.米国世論を刺激して、向こうの厭戦感を呼び起こす。
 6.アジア諸国に対しては、「白人からのアジア開放」を呼びかける。
 7.南方資源が敵に渡るのを防ぐ。
 8.ドイツを対アメリカに参戦させ、ソ連の参戦は防ぐ。
 9.ドイツ・イタリアと共にイギリスを屈服させ、アメリカの戦意を削ぐ。
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    | 実際、アメリカを叩き潰すことは不可能と認めてるんだな。
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         | アメリカ国内世論の非戦論が高まる事に賭けたんだ。
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| 大体の方針は、石油などの資源がザクザク採れる南方(インドネシア等)への進出ですね。
| しかしアメリカはもちろん、そこら辺を支配しているイギリスやオランダがブチ切れるのは確実。
| 南方進出で自給自足の体制が整ったら、奮戦してアメリカの戦意を削ぐ。
| なんとか日本優勢のままで講和、その講和条件として対日経済封鎖を解いてもらう……
| これが、日本側の戦争ヴィジョンだったんです。
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 長期戦になると日本に絶対に勝ち目はなく、短期戦でも危ないのは日本側の誰もが分かっていた。
 結局は、有利な条件で早期講和するのが目的で開戦したといえる。
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    | とにかく第一は、石油と資源の確保なんだな。
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         | でも結局は、日本が最も恐れていた長期戦に……
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| そして1941年11月26日、南雲忠一率いる機動部隊は択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾から出港しました。
| 目的地はハワイ真珠湾。その任務は、港湾奇襲によるアメリカ艦隊の撃滅――
| 攻撃決行予定日の12月8日までに和平交渉が成立すれば、ただちに反転帰国する命を受けていたんです。
| 陸軍も仏印や南シナ、台湾や奄美大島い分散して侵攻準備を整えました。
| 来たるべきは、開戦予定の12月8日――
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    | 12月8日……真珠湾攻撃か。
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         | まさに、運命の日だな。
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| 一方、野村吉三郎や来栖三郎はなおも日米交渉を続行。
| しかし東京からアメリカ大使館にいる彼等への電報は、全て解読されていました。
| 「日本は戦争準備を進めており、その時間稼ぎに外交を利用している――」
| そんな風に受け止められ、アメリカ側は日本の期限を11月29日と見定めました。
| この日を超えれば、日本側は戦争を仕掛けてくる――アメリカはそう解釈していたんです。
| そんなハル国務長官の元に、「それは早い! なんとか引き伸ばせ!」というアメリカ軍部からの要請が。
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    | 双方の意図が、グチャグチャに絡み合ってるんだな。
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         | それも、誤解を内包してな。
         | 日本の外交意図は、戦争準備のための単なる引き延ばしと受け止められていた。
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| ハルは交渉の引き伸ばしに務めつつ、ルーズベルト大統領に意見を尋ねました。
| もはや大統領は日本との和解に興味を見せず、日米開戦は避けられないと確信していた様子。
| こうして26日、ハルは日本との和解を諦めます。彼は、スチムソン陸軍長官に言いました。
| 「私の仕事は終わった。これからは、君達の仕事だ」。
| その直後に、ハルは野村吉三郎に「ハル・ノート」を手渡します。
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 ・「ハル・ノート」
  コーデル・ハル国務長官した対日外交案で、1941年11月27日に通告。
  いくつかの条件が認められない限り、石油の解禁は認めないというもの。
  その内容の是非やアメリカの意図に関しては、現在でも議論となる。
  「試案」を意味する一文がいつしか抜け落ちるなど、問題も多い。
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    | な、なんと……!
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         | しかしここらへんの経過は、そう単純なものじゃない。
         | 時間が許せば、ハル・ノートの講義も作りたいな。
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| かの有名な「ハル・ノート」、日米交渉開始以来、もっとも厳しい条件の提示です。
| これを見た瞬間、開戦回避主義の東郷茂徳外相でも「万事休した」と思ったとか。
| 日本にとって絶対に飲めない条件、それが並んでいました。
| これを見て、日本はいよいよ開戦を決意することに。
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・中国(China)・インドシナからの完全撤兵
・日独伊三国軍事同盟の破棄
・中国(China)における傀儡政権の放棄
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    | なんと。
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         | ……………………
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| しかしこのハル・ノート、あくまで交渉案に過ぎなかったという見解もありますね。
| アメリカが示した第一の案で、ここから日本と話し合って互いに妥協していく……
| しかしこれを目にした瞬間に日本はブチ切れ、交渉のテーブルを蹴ってしまった――
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    | 「試案」ってのが抜け落ちた……?
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         | 「ハル・ノート」はあくまで「試案」で、ここから交渉を練っていくはずだったが……
         | どういういきさつか、日本側はこれを「最後通牒」と受け取ったってことだな。
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| さらに言うなら、ハル・ノート原文の「China」という言葉を巡っての誤解が生じています。
| アメリカは、満州はChinaに含まないという譲歩をカードの一つとして備えていたんですよ。
| しかし日本は、もうハル・ノート全文を目にした段階で思考ストップ。
| この早合点は明らかに失策でした。
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・中国(China)・インドシナからの完全撤兵
・日独伊三国軍事同盟の破棄
・中国(China)における傀儡政権の放棄
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    | 満州はChinaに入らない……? そうだとしたら、かなり話が変わってこないか?
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         | 最低限、日本の名目は保てるカタチでもあるからな。
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| とにかく実際に「最後通牒」だったかどうかはともかく、12月1日には対米開戦が正式に決定します。
| 外交暗号はすでにアメリカに解読されていたため、アメリカは日本が開戦を決意したことを知っていました。
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「我々は第一撃を加えない。我々は平和で民主的な人間だ」
                   ルーズベルト(アメリカ大統領)
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    | なんか、本当に泥沼だなぁ……
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         | とりあえず、外交がマズ過ぎたんだよな。
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| 太平洋戦争とは、結局は石油で始まった戦争、日本が貧乏であるが故の戦争なんです。
| また、ドイツがイギリスに勝つという仮定の元に成り立っていた戦略でした。
| ヨーロッパで快進撃を続けていたドイツの勢いが衰えるのは、皮肉にも真珠湾攻撃と同時期なんです。
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 「石油は米英と妥協すれば、いくらでも輸入できる。
  石油の為に、一国の運命を賭して戦争する馬鹿がどこにいるか!」
                           石原莞爾(満州事変の首謀者)
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    | 石原莞爾って、日中戦争の火種を撒いた張本人じゃないか……
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         | 困ったもんだ。
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| またアメリカ側にも、大陸利権の決着を付けるという他にも思惑があったと言われています。
| アメリカ大統領ルーズベルトは、ヨーロッパで起こっている第二次世界大戦に介入したかったんですが……
| アメリカは基本的に中立主義であり、またルーズベルトは以下の公約を掲げて当選したんです。
| これを覆す訳にいきません。そんな折に目を付けたのが、日独伊軍事同盟でした。
| …っていう説も根強いですが、ここではその真否は問いません。
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「あなたがたの子供たちは、海外のいかなる戦争に送り込まれることもない」
                            ルーズベルトの当選前の演説
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    | 日本と戦争すれば、同盟国であるドイツとも戦争できる……
    | そうなれば、ヨーロッパにも介入できるって訳か。
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         | いろいろ、ツッコミどころの多い話だからなぁ。ヨーロッパ介入のダシのされた説も。
         | あんまり鵜呑みにできる話でもないが。
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| こうして、日米交渉は完全に瓦解。
| そして1941年12月8日、対日本基地と化していたハワイが南雲機動部隊の奇襲を受けることに。
| ……と、日露戦争の終結から太平洋戦争に至るまでの講義はここまでにしておきましょう。
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    | おおお……
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         | 次は、いつのことか。
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