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| 陸上攻撃機とは、陸上基地から発進して敵艦に魚雷をブチ込む中型〜大型の攻撃機のこと。
| 中型といいましても、艦上爆撃機などよりは一回り以上も大きいサイズですね。
| 艦上爆撃機と違ってエンジンを二つ(一部は四つ)備え、その航続距離や武装搭載量も極めて高いもの。
| その代償として機体は大型化し、空母での離着艦は不可能となっております。
| これは海軍機としては極めて特異な機種であり、系統立てて開発していたのは日本海軍ぐらい。
| では、なぜ日本海軍がそのような機種を必要としたのか――そこを踏まえながら、講義していきましょう。
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| 陸上を攻撃するんじゃなくて、陸上から飛び立って攻撃するっていう意味なんだな。
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| 基本的には、大型魚雷で敵艦に攻撃するのが主任務なんだ。
| もっとも、その長大な航続力を活かして地上爆撃任務にも転用されたがな。
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| そして日本初の海軍陸上攻撃機とは、九三式陸上攻撃機ということになるんですが……
| この九三陸攻は、後の陸上攻撃機とは異なった経緯で開発された機体。
| 後の陸攻とは、全く別の系譜に存在する機体――そう思ってもらって構いません。
| 九三陸攻開発のきっかけは、大型空母「赤城」や「加賀」の登場でした。
| 日本空母第一号の「鳳翔」よりも、第二号の「赤城」ははるかに巨大で格納庫にも余裕があったんです。
| そこで艦上攻撃機も、今までより大型のものを開発して運用してみようということになったんですよ。
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| なんと。
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| そもそも九三陸攻は、艦上攻撃機として開発されたんだ。
| 「空母がデカくなったんだから、艦上攻撃機もデカくしてみようぜ!」ってノリの思いつきだな。
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| こうして1932年に1号機が完成したんですが……
| エンジンを二つ備えた機体はあまりに巨大で、操縦性も安定性も非常に悪いというもの。
| 空母での運用も難しく、ほとんど失敗作同然のモノとなってしまいました。
| そういうわけで、空母での運用は放棄。九三式陸上攻撃機という名を与え、陸上基地の専用機とすることに。
| ……ここまででも不遇ですが、さらに不遇な事態が九三陸攻の上にのしかかります。
| この時期に開発が進んでいた九六式陸上攻撃機(後に解説)が、とても優れた性能を示していたんですよ。
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| 優秀な後輩が、後に控えていたということは――
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| なんとか九三陸攻を使い物にする際の改修で、思ったよりも時間を食ってしまった。
| その間にも、全く別の経緯で九六式陸上攻撃機の開発計画が進んでいたんだよ。
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| 審査中の九六陸攻の方がはるかに優れているに及んで、欠陥機同然の九三陸攻などもはや不要。
| その生産もわずか11機で中止されてしまい、完成したごく僅かな機体だけが陸上基地に送られていきました。
| そんな11機の九三陸攻も訓練機として用いられ、実戦に使われることはなかったんです。
| この九三陸攻もろともに、大型の艦上攻撃機(双発艦攻)という計画も頓挫。
| 以後の双発攻撃機は、空母ではなく陸上基地から運用されることとなったんですよ。
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・九三式陸上攻撃機(G1M)
1932年に初飛行した、日本海軍初の陸上攻撃機。
本来は艦上双発攻撃機として計画されたが、完成機の不安定さゆえに陸上機に。
結局はごく少数しか生産されず、訓練機として用いられた。
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| 実際のところ、わずかながら生産しまった失敗作を訓練機としてリサイクルしたに過ぎないんだな。
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| 空母で扱えないから、地上基地に回され……
| そこでも後輩に追いやられ、とにかく不遇な生涯だったな。
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| さて、ここで話の時系列が前後しますが……1922年、日本の軍事戦略を一変させる条約が締結されます。
| それがワシントン軍縮条約であり、日本海軍は新造戦艦が建造できなくなりました。
| そういうわけで、仮想敵国であるアメリカの大艦隊を数に劣る艦隊で戦わなければならなくなったんです。
| そのために編み出されたのが漸減作戦、この講義ではもはやすっかりお馴染みになりましたね。
| この2にあたる手段として、魚雷を備えた攻撃機も重要な一要素とされたんです。
| 空母機のみならず、近隣の島にある陸上基地からも大型攻撃機が敵に殺到――ってのが理想的とされました。
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1.アメリカ艦隊が攻めてきた! いよいよ決戦だ!!
2.潜水艦や航空機などの補助的手段で、アメリカの艦を減らせるだけ減らす(漸減)。
3.敵艦隊が弱ってきたところに、日本の主力部隊(戦艦)が突撃!
日本の戦艦は少数だが非常に強力なので、2の時点で弱っているアメリカ艦隊を一網打尽!
4.大日本帝国万歳!!
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| そうやって、アメリカの大艦隊を弱らせるわけだな。
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| この漸減作戦を軸に、日本海軍は軍備を整えていくんだ。
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| ただ注意点は、必ずしも初期の陸上攻撃機が漸減作戦専用に開発されたのではないということ。
| むしろ陸攻の発展に従い、優秀な陸攻も漸減作戦に使えるという観点が定まっていったという一面も。
| 漸減作戦における陸攻の重要性と陸攻の開発は、相互依存的に増大していったとも言えますね。
| ともかく1932年、どんな悪天候でも哨戒(パトロール)・攻撃任務が可能な大型機という構想が浮上。
| この機体は、これまで哨戒任務を担当してきた飛行艇の延長線上にあたるスタンスです。
| 航空技術本部の責任者である山本五十六が構想したこの試作機は、さっそく開発へと進みました。
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| ふむ、そもそもは偵察・哨戒機だったのか。
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| 飛行艇は悪天候に弱いから、大型機でその代用ができないか……ってことだな。
| 当然ながら空母からの離発着は不可能なので、陸上基地での運用が前提とされた。
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| こうして完成した試作機は、総重量11トンという巨体。当時の日本海軍における最重量機となりました。
| エンジンを二つ搭載していたのですが、この巨大機を飛ばすにはまだまだパワー不足。
| 一応は九五式陸上攻撃機として採用されたのですが、生産数は8機でストップ。
| この時期に形になり始めていた九六式陸上攻撃機が優秀そうなので、やはり生産が打ち切られたんです。
| 間もなく日中戦争が始まると、6機の九五式陸上攻撃機が大陸に赴いたんですが、そこで思わぬ悲劇が。
| 1機は墜落事故で失われ、残る5機は基地での爆発事故で吹っ飛び――活躍もできぬまま、悲惨なリタイア。
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・九五式陸上攻撃機(G2H)
飛行艇の発展型として開発された超大型の陸上攻撃機。
しかし未成熟な航空技術ゆえに様々な問題が発生、生産は8機で中止。
後の日中戦争で実戦投入されたが、事故によって全機を喪失してしまう。
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| なんて悲しすぎる最期だ……
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| こうして九五式陸上攻撃機は、実戦で用いられることはほとんどなかった。
| その真価も不明だが、馬力不足は明らかである以上、大した活躍もできなかったろう。
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| こういうわけで、九五式陸上攻撃機は見事な失敗作となったのですが――
| その肥大化の原因は、あれもこれもと性能を欲張ったということにありました。
| そこで海軍は航続距離を重視するという方針を定め、三菱に哨戒・攻撃用途の大型陸上機開発を命じます。
| これは1機のみの発注であり、生産を前提としない研究機的な計画でした。
| そして翌年の1934年に仕上がった八試特別偵察機は、かなり優良な性能を秘めた機体。
| 速度性能も安定性にも優れ、航続距離は4,400kmと抜群。この機は成功作とみなし、海軍は大喜びします。
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・八試特別偵察機
三菱に1機のみ発注された研究機的な大型陸上機で、1934年2月には八試中型攻撃機と改名されている。
後の九六式陸上攻撃機のベースとなった機体であり、海軍も満足な性能を示した。
日中戦争では連絡機として用いられるも、事故により五島沖に不時着して失われてしまう。
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| 生産されない一品のみの研究機とはいえ、素晴らしいな。
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| この辺から、日本の航空技術は外国ベッタリから脱却し始めていたんだ。
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| この時期と前後して、日本海軍では「沿岸用攻撃機」という構想を抱き始めていました。
| これは漸減作戦で解説した、陸上基地から飛び立って敵艦を攻撃する機体のことです。
| そういう構想も融合させながら、海軍は三菱に八試特別偵察機の発展型開発を命令。
| こうして1934年には、九試中型陸上攻撃機の開発が三菱にて始まったんです。
| これが後の九六式陸上攻撃機、太平洋戦争緒戦において猛威を振るった機体でした。
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| 大成功した八試特別偵察機の発展型、今度は量産も前提だな。
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| 九五陸攻は大型なので「大攻」と呼ばれていたのに対し、この中型機は「中攻」と呼ばれていた。
| まあ、艦上攻撃機に比べれば中攻とて巨大だがな。
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| 三菱はこの中攻の開発に及び、さまざまな新技術を取り入れます。
| 特に重要視されていたのは航続距離、陸上飛行場から敵艦のいるところまで飛ばなければいけませんからね。
| 例によって機械的解説は省略しますが……1935年6月、苦難の末に試作1号機が完成。
| 速度や航続距離は八試特別偵察機よりも向上し、まさに世界にも通用する傑作機の誕生でした。
| 座席配置でモメたものの、1936年6月には九六式陸上攻撃機として採用が決定されたんです。
| なお、急降下爆撃ができない機体は「攻撃機」に区分されるとい命名規則に従っていますね。
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・九六式陸上攻撃機(G3M)
1935年に完成した陸上攻撃機で、日中戦争や太平洋戦祖初期に活躍。
当時としては極めて優れた速度と航続力を誇り、緒戦の快勝に大きく貢献する。
その一方で後継の一式陸上攻撃機にも通じる脆さを見せていた。
太平洋戦争初期から旧式化の兆しを見せ、一式陸攻に任を譲って前線から退いていく。
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| さすがに空母では使わない機体だけあって、ゴツいな……
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| この九六陸攻は九六式艦上戦闘機と並び、世界水準に追い付いた記念すべき機体なんだ。
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| そして採用が決定してから約1年後、生産が順調に進んでいた時期――1937年7月、日中戦争が勃発します。
| 九六陸攻はただちに九州や台湾の陸上航空基地に配備され、そこから中国大陸へと長距離爆撃を敢行。
| この日本海上を往復した爆撃は「渡洋爆撃」と呼ばれ、世界を驚かせました。
| 翌年になると国民党政府は奥地に引っ込んでしまったため、九六陸攻は大陸に進出。
| そこから山奥へと爆撃を実施したのですが、その長大な航続力の前に護衛の九六艦戦は同行できません。
| それゆえに九六陸攻は多大な被害を出すこととなり、そこへ零戦がデビューすることになるんですね。
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九六式陸上攻撃機
・全長:16.45m ・全幅:25.0m ・全高:3.68m ・全備自重:7,642kg
・最大速度:348km/h ・航続距離:4,400km ・乗員:5名
・エンジン:三菱『金星』三型 空冷星形14気筒(910hp)×2
・武装:7.7mm機銃×3、魚雷×1 or 爆弾800kg
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| ここら辺の経緯は、零戦の講義でも見たな。
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| この渡洋爆撃は、こちらの中攻にもかなり多くの犠牲を出してしまった。
| いかに優れた性能を持つとはいえ、戦闘機の護衛がない攻撃・爆撃機は多大な被害を受ける――
| これは、非常に重要な航空戦術上の戦訓となったんだ。
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| 太平洋戦争が始まると、九六陸攻は台湾基地から飛び立ってフィリピンにおけるアメリカ基地を爆撃。
| 南方での作戦において邪魔になるアメリカの航空戦力を、ほとんど壊滅まで追いやるという活躍を見せます。
| さらに12月10日には、九六陸攻(+後継の一式陸攻)は世界を仰天させる戦果を成し遂げました。
| マレー沖にて、陸攻部隊がイギリス戦艦「POW」と巡洋戦艦「レパルス」を葬ってしまったんですよ。
| 真珠湾攻撃のように港内で奇襲したのとは違い、イギリス艦隊は戦闘状態。
| 航行中(臨戦状態)の戦艦を航空攻撃のみで沈めるというのは、海戦史上初の快挙だったんです。
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| おお、すげぇ! ところで、イギリス戦艦「POW」って何の略?
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| 「プリンス・オブ・ウェールズ」という艦名だが、長いから略したんだ。
| もう少し、狭い講義スペースに優しい名前を付けてもらたいもんだ。
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| 「プリンス・オブ・ウェールズ」とは、英皇太子の戴く素晴らしい称号なのだぞ。
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| そんなマレー沖海戦を境に、九六陸攻は後継の一式陸攻に譲って前線を退いていきます。
| この九六陸攻も九六艦戦と同じく、後輩に譲って円満に引退していった機体と言えるでしょう。
| そして後継の一式陸攻は、満足な後継に恵まれず悲惨なことになります……これも、零戦と似ていますね。
| そんな九六陸攻の総生産数は1048機、型式は板書の通り。
| ごく初期の一一型、日中戦争時の二一型、太平洋戦争時の二三型といった風になりますね。
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・一一型:初期生産型で、エンジンは『金星』三型(790hp)。
・二一型:エンジンを『金星』四一型もしくは四二型(1,080hp)に換装し、プロペラなどを改良したタイプ。
・二二型:二一型の後方銃座を20mm旋回砲とし、胴体に7.7mm旋回銃2挺を搭載した武装強化型。
・二三型:二二型のエンジンを『金星』五一型(1,200hp)に換装した最終生産型。
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| やはり、優れた後輩がいるというのは嬉しいことだな……って、後ろに誰かいなかったか?
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| そして後輩の一式陸攻はというと、後継がいつまで待っても現われず……
| いざ出て来ても、その生産ペースは遅く……結局、いつまで経っても引退できないことになるんだ。
| ……おや? 後ろにフィッシュアンドチップスが?
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| 以後の九六陸攻はせいぜい輸送任務を担当するくらいで、ほとんど実戦運用はありませんでした。
| 終戦間際、沖縄での航空戦において引っ張り出された九六陸攻もありましたが――
| これは窮余のあまりに明らかな旧式機を引きずり出しただけで、まともな運用とは言えないでしょう。
| そういうわけで九六陸攻は、特に悲惨なイメージもないままに表舞台から退場していきました。
| ただ意外と見過ごされていますが、この九六陸攻の時代から被撃墜数は結構な数字を出しています。
| 後の一式陸攻が体験した地獄の芽は、この時期からすでに出ていた……ってことで、講義を終わりましょう。
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| 優秀機なのに、それなりに落とされていたってことか。
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| 特に、渡洋爆撃の時などはひどかった。
| こうした陸上攻撃機という機種そのものにのしかかる暗部は、一式陸攻に持ち越されるんだ。
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