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| ここでは、海軍の未完成戦闘機について見ていきましょう。
| 見果てぬ夢、夢のままで終わった夢、なにわのことも夢のまた夢――
| そんな、計画や試作のみで終わった戦闘機について講義します。
| 今回は、夢轍スペシャルな講義ですよ!!
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    | 夢放つ遠き宇宙(そら)に〜君の春は散った〜♪
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         | 最果てのこの地に〜響き渡った〜♪
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| まずは、1942年6月に三菱へ開発が命じられた局地戦闘機「閃電」なんですが……
| これは、いかなる事情が計画の発端となったのか極めて不明瞭。
| 海軍の指示から一年ほど前より三菱で開発が進んでいたようであり、分からない事も多いです。
| どうも、三菱のとある技師が発案した奇抜な機体が、海軍の目に留まったような感じですね。
| その戦闘機案というのは、従来の航空機スタイルを超越した極めて特異な形状をしていたんですよ。
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    | 1942年6月というと、
雷電の開発が難航していた頃の話だな。
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         | ミッドウェイ海戦があったのと同じ月だ。
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| この機はプロペラを後方に搭載する双胴推進式であり、P-38と震電(後に解説)が合体したような形状。
| その斬新なスタイルにより、最高速度は時速700キロ以上。本当にできたら凄いです。
| この計画機は閃電と名付けられ、苦心しながらも開発が進められたんですが……
| 当時の三菱は零戦の改良と後継機開発、さらに雷電開発に追われている状況。
| このようなビックリ戦闘機にまで手が回らずに、開発はひたすら難航。
| さらに震電の完成がかなり現実味を帯びてきたので、1944年7月には計画の中止が決定してしまいました。
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 ・十七試局地戦闘機「閃電」(J4M)
  双胴推進式という斬新(奇抜)な方式を採用した試作局地戦闘機。
  結果的に、未完成のまま計画は中止されている。
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    | 天(そら)泳ぐその目に〜映る輪廻達〜♪
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         | 行方知れぬ明日を〜何処へ運ぶのか〜♪
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| さて、少し遡って1943年。B-29の存在をキャッチした日本軍は、その対抗策に追われていました。
| このB-29の存在が、いくつもの試作局地戦闘機を産み出すことになるんです。
| 1943年1月には、中島に大型爆撃機キラーの高性能迎撃機を開発するよう指示が下りました。
| 双発で単座、B-29を相手にする以上は速力と攻撃力、そして防御力も必須。
| そうした要求の元で開発されたのが天雷で、『誉』エンジンを二つ搭載した加速力と上昇力が最大のウリ。
| しかも双発機ながら機体のサイズは軽量で、小柄なボディをハイパワーでぶん回すタイプの機体でした。
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    | 今までの日本機でも、あんまりないタイプだな。
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         | しかし、『誉』エンジンは幾多もの前科を持つ問題児だ……
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| 天雷は操縦席や燃料タンクにも防弾が施してあり、防御にもこだわった機体なのですが……
| 
紫電など多くの海軍機を苦しめた『誉』エンジンの不具合は、この試作機でも健在。
| 機体振動問題に苦しめられた上に、結局は重量が過大になって速度性能は低下してしまいます。
| かなり期待していた海軍ですが、1944年6月に完成した試作機は試験において散々な成績に終わりました。
| そういうわけで、試作機6機が完成していた1944年10月には開発中止が宣告されています。
| 試作機をいじって夜間戦闘機にしようという計画もあったんですが、ゴタゴタしているうちに終戦となりました。
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 ・十八試局地戦闘機「天雷」(J5N)
  B-29の迎撃を主眼に試作された、双発単座の局地戦闘機。
  しかし試作機の性能は非常に低く、計画は打ち切られてしまう。

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    | 鈍色に〜光る海を渡って〜♪
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         | 吹く風に〜揺れる小船達よ〜♪
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| さらに高々度戦闘機として開発されていた十八試甲戦闘機「陣風」は、20mm機銃を6挺も備えた機体。
| こちらはなかなか順調だったのですが、やはり開発の長期化は否めませんでした。
| 1944年にもなると日本は追い詰められ、あれもこれもと色々手出しできる状態ではなくなってしまいます。
| いくら優良機とはいえ、2年も3年も完成を気長に待てるような情勢ではなくなってしまったんですね。
| 高々度での戦闘は
紫電改の改造版に任せるということで、陣風の開発も中止。
| この陣風の完成はなかなか現実味を帯びていただけに、残念でもありますね。
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 ・十八試甲戦闘機「陣風」(J6K1)
  高々度戦闘機として開発された機体で、高い攻撃力と迎撃性能を併せ持つ。
  しかし戦況の逼迫により、開発は中止されてしまった。
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    | 果て無き夢轍〜照らす紅さだね〜♪
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         | 燃え尽きること知らず〜何処に向かうのか〜♪
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| そして、日本軍が開発した奇抜な航空機の決定版が局地戦闘機「震電」
| なぜ、そんな奇妙な航空機の開発が始まったのか――それには、レシプロ機の物理的限界が関わってきます。
| 従来の航空機スタイル(プロペラ、主翼の配置)では、時速700kmあたりが限界だと目されていました。
| さらなる性能向上を狙うには、機体形状を抜本的に改革しなければならない――
| そういう認識が、戦前から世界中に広がりつつあったんです。
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    | そうなの?
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         | 実際のところ、レシプロ機の性能には物理的な制約の問題で限界がある。
         | 現実にはレシプロに代わるジェット技術が登場し、航空技術に大変革をもたらしたがな。
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| そういうわけで、様々な新スタイルが模索されたのですが……
| その中でも特に期待されたのが、エンテ型(前翼型)という形状でした。
| プロペラを機体の尾に、主翼を後ろに備え付ける――ちょうど、従来の飛行機を逆にしたようなスタイルですね。
| しかしアメリカのXP-55を初め、この方式には成功例がない状態でした。
| そんな前翼型という形式に目を付けた技術者が、日本海軍の中にもいたんです。
| 彼の名は、鶴野正敬大尉という軍人技師でした。
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    | なんと。
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         | シンイチ……
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| 1943年に鶴野大尉は前翼型の試作機を開発して研究を進め、このスタイルの基礎を固めます。
| そして1944年5月には、この前翼型を用いた局地戦闘機の開発が上層部より認められました。
| 海軍としても、B-29に対向できる戦闘機が欲しくて欲しくてたまらない、そんな情勢だったんです。
| もしこの機体が完成すれば時速740km超えも可能、B-29相手に大きな力を振るうでしょう。
| この十八試局地戦闘機は「震電」と名付けられ、鶴野大尉をチーフに開発が始まります。
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    | B-29迎撃の切り札として期待されたんだな。
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         | それくらい、日本側の危機感は相当なものだった。
         | 太刀打ちできそうな機体がなかったんだからな。
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| 鶴野大尉は海軍出身の技術者なので、九州飛行機という会社に出向する形で震電の開発を進めます。
| なお九州飛行機は陸上哨戒機「東海」を開発した会社で、小さいながら確かな実力を備えたところでした。
| 技師達は次世代の防空を担うかもしれない戦闘機の開発に取り組み、苦闘します。
| しかし当然ながら、全く未知の領域だけに開発は凄まじく難航。
| 1945年6月には試作機が完成し、8月6日には飛行試験に成功したのですが……
| この試験ではほとんどスピードを出さず、飛べることのみを確認した程度でした。
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 ・十八試局地戦闘機「震電」(J7W)
  前翼型を採用した試作局地戦闘機で、B-29撃墜の切り札とされていた。
  しかし開発は間に合わず、試作機1機が完成した時点で終戦。幻の戦闘機に終わる。

 
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    | 8月6日……広島で原爆が落ちた日だな。
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         | なんとも印象的な日だ。
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| そして初飛行から9日後、太平洋戦争は終結。震電の開発もストップし、未完成の機体となってしまいます。
| いちおう飛べることは確認したものの、その高速性能を試す機会さえないままに終わったんですよ。
| 「あと一年くらい改良を続けないと使い物にならなかった」という関係者の証言もあり、その出来は微妙。
| ギリギリで間に合わなかったとは、決して言えなかった状態のようですね。
| なお唯一完成していた一号機はアメリカに領収され、組み立て途中だった二号機と三号機は処分されました。
| こうして震電一号機は今も、アメリカ国立航空宇宙博物館の倉庫に眠っているのです。
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 十八試局地戦闘機「震電」(計画値)
 ・全長:9.66m  ・全幅:11.11m  ・全高:3.55m  ・全備重量:4,928kg
 ・最大速度:746km/h  ・航続距離:2.5時間  ・乗員:1名
 ・エンジン:三菱『ハ四三』四二型 空冷星形18気筒(2,130hp)×1
 ・武装:30mm機銃×4、60kg爆弾×4
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    | 当て所なく〜彷徨える愛しさよ〜♪
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         | この胸を〜射抜く光となれ〜♪
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| さて……最後に解説するのは、日本海軍唯一のロケット戦闘機である秋水
| 震電のところでも述べた通り、レシプロ機の性能的限界はいつか訪れるとされていたんです。
| そこで、レシプロに代わる新動力としてロケットやジェットの開発を進めていた国がありました。
| 世界一ィィィなドイツは、ロケット戦闘機はMe163、ジェット戦闘機はMe262として実用化させていたんです。
| そしてドイツは日本の同盟国、この二種の航空機の技術を教えて貰うことになりました。
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    | なんと! やはり、良い友は持つべきだな!
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         | それはギャグで言っているのか。
         | ともかく1944年ともなると連合国の目が光り、ドイツと連絡を取るのが難しくなっていた。
         | 両国の連絡には潜水艦を用いていたんだが、それも厳しい状態だったんだ。
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| そして1944年4月、日本の伊二九潜水艦はは極秘裏にドイツから数々の極秘物品を持ち帰ろうとします。
| ロケット戦闘機Me163とジェット戦闘機Me262の資料、対空射撃レーダー本体、エニグマ暗号機本体など。
| その潜水艦に同乗したのが、海軍航空本部の巖谷英一中佐でした。
| 伊二九潜水艦は、帰国の途中に日本占領下のシンガポールで燃料補給。
| その際に巖谷中佐は潜水艦から降り、資料の一部を持って一足早く輸送機で日本に帰ったんです。
| それからシンガポールを出た伊二九潜水艦は、帰国の途中にアメリカ潜水艦によって撃沈されてしまいました。
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    | すると……潜水艦に積み込んでいた資料や物品も、全部海のもずくになってしまったってことか?
    | 日本に渡ったのは、巖谷中佐が事前に持ち出した資料の一部だけ?
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         | ああ、そういうことだ。
         | おまけに資料の内容も不完全で、設計図というよりも巖谷中佐のメモ書き。
         | 機体の外見図は三面図のみという有様で、「これでどうしろと……?」と技術者達も頭を抱えた。
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| ともかく資料の一部は存在するので、それを参考に日本でもロケット機とジェット機を開発することに。
| こうしてロケット機は局地戦闘機「秋水」、ジェット機は特殊攻撃機「橘花」として開発が始まるんですが――
| 橘花はまた別の機会にして、ここではロケット戦闘機秋水について見ていきましょう。
| 1944年8月7日に海軍は秋水の開発を決定、なんと敵である日本陸軍とも手を組みました。
| 海軍が機体を、陸軍はエンジンを、という風に分担してロケット戦闘機の研究開発を進めたんです。
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    | なんと。
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         | 完成すれば、B-29迎撃の切り札になるというわけだな。
         | B-29の爆撃はあまりにも凄まじく、陸軍も海軍も八方に手を尽くして対策に取り組んでいたんだ。
         | そのために、B-29をターゲットにした試作機計画が複数乱立することになった。
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| 当然ながら開発は難航し、資料を参考に自主開発を行っているも同然。
| 戦闘機としての開発云々より、とにかくロケット機の実用化から始めなければいけない状態でした。
| それでも機体は1944年12月に完成、一号機のお目見えになったのですが……
| 中身であるロケットエンジンの開発に手間取り、1945年6月末まで完成はずれ込みます。
| その頃には、海軍向けの一号機と陸軍向けの二号機が完成。エンジン待ちの状態でした。
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    | ロケットエンジンなんて未知の領域だから、さぞかし大変だっただろうな……
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         | 例の資料はエンジンに関しても簡潔で、やはり参考程度にしかならなかった。
         | 秋水はMe163のコピーなんて声もあるが、とんでもない。
         | 資料が頼りにならなかったせいで、秋水は自主開発品も同然なんだ。
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| そしてエンジンも届いた1945年7月7日、秋水の一号機は初飛行を行います。
| 関係者の見守る中、機体は離陸。高度400メートルあたりまで上昇したんですが――
| その直後に奇妙な破裂音が響き、突然のエンジンストップ。
| そのまま秋水は滑走路近くにあった倉庫の屋根に翼を接触してしまい、墜落同然の不時着。
| この事故によって一号機は大破、テストパイロットである犬塚大尉が殉職してしまったんです。
| 事故原因は、燃料タンクの不備にありました。
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    | 試作機に事故は付き物だが……やっぱ哀しい話だな。
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         | 哀しい話だ。
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| そして燃料タンクに改良が施され、陸軍向けの二号機(陸軍名称はキ-200だが、同じ機体)が試験を待ちます。
| 海軍も三号機を手にし、エンジン待ちの状態だったんですが……ここで、終戦。
| 試作機3機が完成、うち1機は大破した状態で秋水の開発は終わりました。
| この3機はアメリカに領収され、そのうちの1機は現在もプレーンズ オブ フェイム航空博物館に飾られています。
| 結果的に日本軍は、ロケット戦闘機をモノにすることが出来なかったんですよ。
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 ・局地戦闘機「秋水」(J8M)
  ドイツからもたらされたMe163の資料を元に、日本で開発されたロケット戦闘機。
  初の飛行試験でテストパイロット死亡事故を起こし、その直後に終戦。
  戦争には間に合わず、幻の戦闘機となる。

 
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    | 夢放つ遠き宇宙(そら)に〜君の春は散った〜♪
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         | 最果てのこの地に〜響き渡った〜♪
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| ……とは言え、ドイツのMe163でさえも色々と欠点がありました。
| 最高速度は凄まじいですが、それだけの速力を出せるのは極めて短い時間。
| ロケットでぶっ放した後、ふんわり飛んでいるところを襲われて撃墜されるケースがほとんどだったんです。
| 同じスタンスで開発された秋水とて、仮に間に合ったとしてもMe163と同じ運命を辿っていたでしょう。
| それに1946年3月までに3,600機という日本側の秋水量産計画も、明らかに実行不可能。
| 夢の上に成り立っていたような機体であり、完成したとて戦局に貢献できるものではなかったんです。
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 局地戦闘機「秋水」(計画値)
 ・全長:5.95m  ・全幅:9.5m  ・全高:2.7m  ・全備重量:3,870kg
 ・最大速度:888km/h  ・航続距離:3分31秒  ・乗員:1名
 ・エンジン:三菱『特呂二号』(推定1,500hp)×1
 ・武装:30mm機銃×2
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    | 悲しみの地図なら〜数多(あまた)風に散って〜♪
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         | 故なき日々の傷も〜瞬く彼方よ〜♪
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| 結局のところ量産なんて不可能だったってのは、全ての試作機に言えることです。
| 頑張って工場を建てても、次の日にはB-29に吹き飛ばされてしまうという末期的な状態。
| そんな状況では、もはや何をしようが、どうしようもなかったんですね。
| しかし……どうしようもないからと言って、何もしないというわけにもいきません。
| 技術者に戦争の遂行を左右する力などない以上、少しでも役立つ兵器を造る他にないんですよ。
| そんなジレンマの中で幾多の試作機機が検討され、そして泡沫の夢へと消えていったわけですね。
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    | 終わらぬ夢轍に〜君の影揺れた〜♪.
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         | 哀しい話だ。
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