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| さて、今回は九六式艦上戦闘機について解説しましょう。
| 『日本海軍の初期艦上戦闘機』講義の最後らへんで解説したように、七試艦上戦闘機は大失敗。
| そこに、救世主のように現れた優良戦闘機が九六式艦上戦闘機でした。
| 常に外国の背を追い続けた日本の航空機が、一気にその隣にまで並んだ先鋭的な機体。
| そして、零戦の技術的前身のような存在――それが、九六式艦上戦闘機なんです。
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    | 零戦の祖先みたいな存在なのか。
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         | 九六式艦上戦闘機の正統進化型が、零戦といっても良い。
         | 設計者は同じだし、機体特性やコンセプトは極めて似ているんだ。
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| さて……『日本海軍の初期艦上戦闘機』の講義で解説したように、七試艦上戦闘機は失敗に終わります。
| 中島試作機も三菱試作機も不採用、後継機が存在しないという海軍涙目の事態に。
| 仕方なく、繋ぎ的に九〇式艦上戦闘機を改良して九五式艦上戦闘機として採用。
| この九五式艦上戦闘機も悪い機体ではなかったのですが、やはり複葉ではなく単葉の機体が欲しいところ。
| 時代は複葉機から単葉機への過渡期であり、これを実現することが一流国の証明と考えていたのかも。
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    | 複葉機だと、性能に限界があったんだよな。
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         | 翼面積が大きくなるから、速度性能はもはや頭打ちなんだ。
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| そして1934年、悲惨な計画で終わった七試艦上戦闘機のリバイバルとも言える計画が始まります。
| それが、九試単座戦闘機計画――やはり求める機体は、全金属製単葉の戦闘機でした。
| ただし前回失敗した反省も込め、要求項目をシンプルにしました。
| そして、前と同じように三菱と中島に試作機の競作を命じたんです。
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    | 九試単座戦闘機……「艦上」が取れてるな。
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         | この九試単座戦闘機は、空母への離着艦機能は要求性能に入っていないんだ。
         | とにかく、戦闘機として優れたものを欲しがったという事実が如実に表れている。
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| さて……三菱は七試艦上戦闘機の際、先進的な機体を用意したものの大失敗に終わりました。
| この際に主任を務めた堀越二郎氏が今回も主任となり、前回の失敗を踏まえつつ開発を進めます。
| とにかく軽量にして運動性を考慮、全金属で単葉という最先端航空機技術を導入――
| 海外で主流になりつつあった引き込み脚は、この機の場合サイズが小さく空気抵抗も少ないということで未搭載。
| さらに堀越氏はメンツを捨て、ライバル会社である中島の『寿』五型エンジンを搭載することにしました。
| このエンジンはまだ事実上の試作品だったんですか、自社製にこだわるよりも良いと判断したんです。
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    | より良い戦闘機を造るためには、メーカーの壁も越えたんだな。
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         | ライバル会社のエンジンを使用するという判断には、上司や社長の理解もあった。
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| こうして完成した三菱九試単座戦闘機は、海軍関係者の目玉が飛び出すほど凄まじい性能になりました。
| 最高速度は時速450キロと、これまでの日本艦上戦闘機を陵駕、世界水準でもトップ。
| 運動性も極めて高く、安定性も航続性能も文句ない水準。堀越氏の予想を超えた優良機が完成したんです。
| これには、ライバルだった中島九試単座戦闘機は及ぶべくもありませんでした。
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 ・三菱 九試単座戦闘機
  1934年に出された次期艦上戦闘機開発計画に対し、三菱が完成させた機体。
  堀越二郎氏が主任として着手し、極めて性能の高い戦闘機として完成する。
  後の生産型とは違い、試作段階では逆ガル翼を採用していた。
  この試作機に改良を加えた機体が、九六式艦上戦闘機として制式採用されることに。

 ・中島 九試単座戦闘機
  1934年に出された次期艦上戦闘機開発計画に対し、中島が完成させた機体。
  日本陸軍向けの戦闘機キ11を海軍向けに改修した機体だが、その性能は三菱製に遠く及ばず不採用に。
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    | 
七試艦上戦闘機の時は涙目となった日本海軍も、今回は目玉が飛び出したのか……
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         | あまりに高い測定数値に、海軍側は計器の故障を疑ったほど。
         | 実際に軍のパイロットを乗せてテストするまで、その性能を信じなかったんだ。
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| しかし圧倒的な性能を有した三菱九試単座戦闘機ですが、致命的な弱点がありました。
| 先も言った通り、試作一号機には中島製の『寿』五型が搭載されていたんですが、これは事実上の試作品。
| 様々な欠陥があり、実用品とはなり得ないことが判明してしまったんです。
| そこでエンジンを換装し、中島『寿』三型、中島『光』一型、三菱試作A-9型などを片っ端から試しました。
| 「エンジンの空中テスト」と揶揄される事態で、どのエンジンも満足な性能を示すことはなかったんです。
| この思わぬトラブルに、堀越技師さえ途方に暮れてしまうという危機的状況に陥りました。
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    | なんと! せっかくの超優良機が、エンジンのせいで量産に移れないのか。
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         | さらに時代は、中国との緊迫度が高まっているという不穏な情勢。
         | 一刻も早く、優れた戦闘機を揃えたいところだったんだ。
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| そこで海軍は、明らかにパワーが劣るものの信頼性が高い『寿』二型改一の搭載を命じます。
| 性能が劣るのを承知の上で、とにかく実用機の数を揃えるのを優先したんですね。
| こうして1936年12月、旧式エンジンを搭載しつつ九六式艦上戦闘機初期型の生産が開始されます。
| この最初期型は九六式一号艦上戦闘機と呼ばれ、ゆっくり生産が進むんですが――
| 当機がデビューするのとほぼ同時、1937年7月に日中戦争が勃発してしまいました。
| その時点で、九六艦戦は18機しか存在していなかったんです。
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 ・九六式艦上戦闘機(A5M)
  日本初の全金属製戦闘機で、艦上戦闘機で初めて単葉を採用した機体。
  当初はエンジン開発に苦労したものの、問題が解決した後は抜群の空戦能力を誇った。
  日中戦争で大活躍した傑作戦闘機で、零戦の前進的存在である。

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    | エンジンが旧式ってことは、試作一号機ほどの性能は出せないってことか……
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         | それでも、実戦は待ってはくれない。
         | また主脚の耐久性も貧弱で、これも大きな問題となった。
         | 着陸の際に脚が折れたり、機が逆立ちしてしまったりといったトラブルも見られたんだ。
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| この九六艦戦18機が空母「加賀」に搭載され、中国へと赴きます。
| そして9月4日、上海地区において中国軍のカーチス・ホーク6機が来襲。
| これを出迎えたのが「加賀」から発進した九六艦戦2機でした。
| 2対6という劣勢にもかかわらず、敵機3機を撃墜し、こちらには損害無しという快挙を為しえたんです。
| 九六艦戦のデビュー戦は、非常に華やかなものとなりました。
| 試作型より性能の劣る九六式一号艦上戦闘機でさえ、圧倒的な空戦能力を見せ付けたんです。
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 九六式艦上戦闘機(四号)
 ・全長:7.50m  ・全幅:11.00m  ・全高:3.23m  ・全備自重:1,671kg
 ・最大速度:435km/h  ・航続距離:1,200km  ・乗員:1名
 ・エンジン:中島『寿』四型 空冷星型9気筒(785hp)×1
 ・武装:7.7mm機銃×2
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    | おお、すげぇ!
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         | 色々設計に制限のある艦上戦闘機にもかかわらず、これら陸上機を圧倒したんだ。
         | 九六艦戦は、とにかく軽快で格闘戦能力が高い機体。
         | 当機の登場が、日本戦闘機の方向性を定めることになったとも言えるな。
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| 『寿』二型改一が搭載された九六式一号の生産は、29機が完成した時点で終了。
| それ以降は、『寿』二型改三を搭載した九六式二号一型の生産が始まります。
| これを39機生産した後、『寿』二型改三Aを搭載した九六式二号二型の生産が開始――エンジンたらい回し状態。
| しかし中島の努力により、一号機に搭載した『寿』五型と同等の性能を持つ『寿』四型エンジンが完成します。
| これを搭載した九六式四号艦上戦闘機が、やっと一号機と同等の性能を発揮できるようになりました。
| 完成型とも言えるこの四号は1938年から生産が始まり、1940年までに総計約1,000機が生産されています。
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    | ようやく、エンジン問題も落ち着いたのか。
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         | なお一号から二号一型二号二型から四号までの発展過程で細部にも変更が加えられているぞ。
         | また欠番になっている三号は、20mmモーターカノンを搭載した実験機的な存在だ。
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| これら九六艦戦は空母機としてより、むしろ中国における基地航空隊の乗機として活躍しています。
| その戦績は圧倒的で、中国軍の繰り出すホークやグラディエーター、I-15やI-16などの戦闘機を撃退。
| こちらの編隊より数の多い相手――時には二倍以上に相当する敵を次々と撃墜していきます。
| 1938年4月29日には日中戦争最大規模の空中戦が起き、九六艦戦27機と中国軍機78機が激突。
| その結果なんと51機を撃墜し、こちらの損害は2機という圧勝に終わりました。
| それからも九六艦戦は敵機を落とし続け、38年夏にはとうとう中国機の姿が見られなくなってしまいます。
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    | 圧倒的じゃないか。
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         | これ以降、九六艦戦の活動範囲内に中国軍機は現れなくなってしまう。
         | こうなると、派手な活躍はなくなってしまったんだ。
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| また1937年12月には、上海から南昌の敵航空基地へと侵攻作戦を行います。
| その際、参加した九六艦戦8機のうち樫村三空曹の機体が敵戦闘機ホークを撃墜。
| その直後に前方から迫ってきた別の敵機と激突、左主翼がモギ取られるという大ダメージを追います。
| それでも樫村三空曹は気合いで体勢を立て直し、なんとか片翼で基地に帰還するという神業を見せ付けました。
| 操縦性に優れた九六艦戦だからこそできた、奇蹟の帰還。
| この『片翼帰還の樫村機』はマスコミにも大きく扱われ、かなり有名になりました。
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  『片翼帰還の樫村機』の写真
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    | こんな状態で、よく基地まで帰還できたな……
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         | 他にも1938年2月、敵機1機を撃墜した後に猛射撃を食らい、重傷を負った曽根三空曹がいる。
         | 彼も気合いで基地に帰還し、その乗機は『血染めの曽根機』と呼ばれて讃えられた。
         | こんな風に、九六艦戦には有名になった個別の機体も多い。
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| 陸戦でも日本軍は快進撃を続け、中国軍は重慶などの奥地に引っ込んでしまいます。
| こうなると、艦上戦闘機という性質上、遠出のできない九六艦戦は困った事態に。
| 同年に採用された九六式陸上攻撃機が中国奥地に爆撃へ向かうんですが、その護衛として同伴できません。
| こうして護衛なしで爆撃に赴いた九六式陸上攻撃機は損害を被り、厄介な事態になりました。
| そこで脚光を浴びるのは、九六艦戦の後継機として試作段階にあった十二試艦戦(後の零戦)なんですが……
| それは、また別の話としておきましょう。
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    | やっぱ小型な分、航続距離には限界があったのか。
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         | なお九六艦戦は、世界で初めて胴体下部に取り付ける増槽(追加燃料タンク)を実用化させた機体。
         | この投下式増槽の存在は、当初は重大な機密とされていたんだ。
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| それでも、世界における航空機の発展は凄まじいもの。
| 登場当初は世界最速クラスであった九六艦戦ですが、その速度を上回る新鋭機が各国で次々登場。
| こうして九六艦戦も最新鋭機ではなくなり、1941年に入って後継の零戦が本格配備され始めると……
| 九六艦戦は徐々に前線から姿を消していき、その役割を終えて引退していきます。
| それでも太平洋戦争開戦時、小型空母や東南アジアの一部基地には九六艦戦の姿がありました。
| これらも零戦と交代する形で、前線から引退していくことになります。
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    | 優良な後輩のおかげで、円満に引退できた幸せ者なんだな。
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         | その後輩(零戦)は、さらなる後輩に恵まれず悲惨な事になったがな……
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| この九六艦戦零戦の生みの親である堀越技師は、九六艦戦こそ自身最大の傑作と語っています。
| 航空技術で自立し欧米に並ぶという計画は、この九六艦戦の登場で一気に結実。
| 並ぶどころか、一時的とは言え追い抜いてしまった――そんな、大傑作の艦上戦闘機。
| この九六艦戦が後の日本機に与えた影響は大きく、海軍機ばかりか陸軍機もこの路線を追随する事に。
| 零戦を含めた後の日本戦闘機全ての中に、九六艦戦が生きている――
| そんな、記念碑的な優良戦闘機の講義を終わりましょう。
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    | そして、零戦の講義に続くわけだな。
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         | こっちは、辛く悲しい講義だがな……
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