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| さて、今回は日本海軍の初期艦上戦闘機を解説しましょう。
| この一連の開発の歩みは、日本の航空機技術が海外依存から自立していく過程でもありました。
| イギリスやフランス等の航空先進国に二歩も三歩も遅れていた日本が、いかにして追い付いたか――
| 日本艦上戦闘機の歩みは、その発展を如実に示してくれているのです。
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    | かの有名な、
零戦に至るまでに発展だな。
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         | なお艦船上で航空機を扱う試みから、日本初の航空母艦「鳳翔」の登場までは……
         | 「黎明期の航空母艦」「若宮」「鳳翔」の順に参照のこと。
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| 日本初の航空母艦「鳳翔」が完成したのは1922年ですが、その1年前の話……
| 大正十年(1921年)、この新艦種で扱う三種類の航空機の開発が検討され始めました。
| 最初に開発が決定したのが、艦上戦闘機、艦上雷撃機、艦上偵察機の三種。
| 当然ながら艦上機など日本海軍にとっては未知の領域の上、まだ航空技術は未成熟。
| そこでイギリスから実績ある技師のハーバート・スミス他8名を招待し、この三種の機体を設計させたんです。
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 陸上機:陸上飛行場からの離着陸を想定した航空機。言わば、特に制限の無いフツーの飛行機。
 艦上機:航空母艦での運用を想定した航空機。様々な専用の機構が必要なため、制限が多い。
 艦載機:戦艦や巡洋艦などに載せられる水上機。
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    | 航空母艦専用の戦闘機、雷撃機、偵察機か……必要なのばっかりだな。
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         | 当然ながら、これらは日本海軍初の試み。実験的要素も色濃い。
         | この三種は、大正十年に開発が始まったので「十年式」という名前が付けられた。
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| この十年式三種のうち、十年式艦上雷撃機と十年式艦上偵察機はまた別の機会に解説します。
| そして10月2日には、十年式艦上戦闘機の1号機が完成しました。
| しかし母艦の方の整備に手間取り、十年式艦上戦闘機の採用は2年後の11月にまで伸びるという結果に。
| ともかくこれで、国産初の艦上戦闘機が登場したわけですね。
| 後の1927年には一〇式艦上戦闘機と改名されたため、以降はこの名で呼ぶこととします。
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 ・一〇式艦上戦闘機
  1921年に完成した国産初の艦上戦闘機で、イギリス技師ハーバート・スミスの設計。
  航空母艦「鳳翔」の完成に合わせて造られた三種の艦上機の一つで、実験的色彩も濃い。
  着艦テストなどを繰り返し、艦上戦闘機開発・運用の基礎を築く。
  最初は十年式艦上戦闘機と呼ばれていたが、1927年に「一〇式艦上戦闘機」と改名。

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    | 国産初……? 日本初の艦上戦闘機じゃないのか?
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         | 実は一〇式艦戦完成と同年の1921年、イギリスから艦上戦闘機を試験的に輸入していた。
         | スパローホーク艦上戦闘機を50機、一〇式艦戦以前に保有していたんだよ。
         | 空母「鳳翔」では運用されず、僅かな例外を除いて地上での訓練用途だったがな。
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| この一〇式艦戦は、1920年代の開発なので複葉機の木製布張り。
| 初期生産型は、冷却器の位置が悪くパイロットの視界が大幅に制限されるという欠点がありました。
| そこで冷却器の位置を変更し、実用性を大幅にアップさせます。
| 改修前の初期生産型を一〇式一号艦上戦闘機、改良型を一〇式二号艦上戦闘機と呼んでいますね。
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 一〇式艦上戦闘機(二号タイプ)
 ・全長:6.90m  ・全幅:8.50m  ・全高:3.10m  ・全備自重:1,280kg
 ・最大速度:215km/h  ・航続時間:2.5時間  ・乗員:1名
 ・エンジン:三菱ヒ式(イスパノスイザ)液冷V型8気筒(300hp)×1
 ・武装:7.7mm機銃×2
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    | なんと。
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         | なおエンジンは、フランスのイスパノスイザ社製エンジンを三菱が生産したもの。
         | 要はエンジンも、まだまだ外国品のコピーだったわけだ。
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| この一〇式艦上戦闘機は設計者がイギリス人だけあって、非常にイギリス色が濃い機体でした。
| 国産初といっても、技術そのものはイギリスから拝借してきたようなものですね。
| それでも機体性能はなかなか高く、同時期のイギリス主力戦闘機ソッピーズ・スナイプにも匹敵するほど。
| 設計はイギリス技師に委ねたので、厳密に言えば半国産の艦上戦闘機といたっところですか。
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    | まだまだ、日本独力での航空機開発は夢のまた夢だったんだな。
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         | なお当機の設計者であるスミス技師は、ソッピーズ社の出身だ。
         | この会社の技術が、一〇式艦戦に色濃く反映されていると言えるな。
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| 一〇式艦上戦闘機の完成少し遅れて1922年、日本初の空母「鳳翔」も完成します。
| こうしてさっそく、この初空母で初艦上戦闘機の運用を始めるわけですが――
| 何から何まで、初めて尽くし。中でも最も困難と思われたのは、空母への着艦でした。
| 初めての艦上戦闘機を、初めての空母に着艦させる――せめて試験パイロットは、経験者に任せたいところ。
| そこで海軍が目を付けたのが、三菱の客員テストパイロットだったイギリス人ジョルダン。
| 元軍人の彼は空軍大尉時代、艦船に着艦した経験があったんです。
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    | 流石に、日本人パイロットにやらせる訳にはいかなかったのか。
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         | 当時、日本人パイロットに着艦経験者は一人もいなかった。
         | 前にも触れたが、空母への着艦はメチャクチャ難しい。
         | 当時や戦争中はもちろん現在でも、着艦時ってのは事故が相次ぐ瞬間なんだ。
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| 一〇式艦戦を造った三菱はというと、「着艦できた方には賞金をプレゼント!」とジョルダンを釣ります。
| そして1923年2月、ジョルダンは一〇式艦戦を駆って「鳳翔」への着艦試験に挑戦。
| 危ない局面も見せたものの、なんとか着艦に成功。彼は現在価値で約一千万円の賞金をゲットしました。
| こうして初の着艦試験も成功し、次は日本人パイロットが着艦試験に赴くということになります。
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    | おお、最初は外国人パイロットの手で成功したのか。
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         | ジョルダンによる着艦試験は、非公式の事前確認みたいな色彩が濃かった。
         | 日本人パイロットが上手くやって、初めて成功という雰囲気だったな。
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| ジョルダンが着艦に成功した翌月の1923年2月、この試験に赴いたのは名パイロットの吉良俊一大尉。
| 海軍のお偉いさんが「鳳翔」に詰めかける中、吉良大尉の乗った一〇式艦戦が飛行甲板に迫る――
| ――と思いきや、なんと失敗。飛行甲板で機体を停めることができず、そのまま海面へと落下してしまいました。
| 飛行甲板から海面までは十五メートル、海面にプカプカ漂う戦闘機。そして、緊迫した雰囲気――
| そんな中、操縦席から無事に這い出した吉良大尉は、主翼の上に乗っかって手旗信号で指示を出しました。
| その内容は、「我、異常なし。予備機を用意せよ」――なんと、もう一度チャレンジする気だったんです。
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    | まさに不屈……!
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         | 当然、この場にいた海軍のお偉いさん達は、試験が中止になると思っていた。
         | しかし吉良大尉が示した試験続行の意志に、みな度肝を抜かれた思いがしたそうだ。
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| そして吉良大尉は救難艇に拾われた後、予備機を使って再び着艦試験を開始。
| 二度目は見事に着艦することができ、一連の着艦実験は成功したんです。
| この後も、一〇式艦戦「鳳翔」はひたすらに実験や訓練を繰り返すことになりました。
| 1928年までに128機が生産され、実戦経験こそないものの艦上戦闘機運用の確立に貢献したんです。
| 華々しい活躍こそありませんでしたが、日本海軍にとっての貢献は大いに深い機体なんですよ。
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    | なるほど……戦場で活躍するばかりが華ってわけじゃないんだな。
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         | うむ。
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| さて、そんな一〇式艦戦の登場から5年後の1926年。そろそろ後継機の必要が生じてきます。
| そこで日本海軍は、三菱、中島、愛知の三大日本航空機メーカーに後継機の競作を命じました。
| 前作の一〇式艦戦を開発した三菱は、今回は外国人設計者の手を借りることなく独力設計。
| 中島は後述、愛知はというとドイツのハインケル社に製作を依頼します。
| しかし日本海軍から提示された次期艦上戦闘機の要求性能の中に、非常に厄介な一文がありました。
| それが、「海面に不時着した場合、七時間以上浮いていること――」なんです。
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    | 七時間浮いているのは、技術的に困難なのか?
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         | 不時着時に機体が壊れたら元も子もないから、海面との激突による衝撃を軽減する必要がある。
         | 他にも、色々と専用の設備を機体に備えると――当然、重量が重くなるわけだ。
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| 三菱と愛知は、この不時着水装備の搭載に頭を抱えます。
| いかに工夫を凝らしても重量の増加は抑えきれず、結果的に両社の試作機とも鈍重になってしまいました。
| こうして、三菱の鷹型戦闘機、愛知のH式艦上戦闘機ともに不採用となったんです。
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 ・三菱 鷹型戦闘機
  一〇式艦上戦闘機の後継機として、三菱が製作した競作試作機。
  外国人設計士の手を借りず独力で設計された機体だったが、不時着水装備のせいで鈍重に。
  結果的に中島の試作機が採用され、当機は不採用となってしまう。

 ・愛知 H式艦上戦闘機
  一〇式艦上戦闘機の後継機として、愛知航空機が製作した競作試作機。
  ドイツのハインケル社に製作を依頼したが、不時着水装備のせいで鈍重に。
  結果的に中島の試作機が採用され、当機は不採用となってしまう。
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    | なるほど、不時着水装備が足を引っ張りまくったんだな。
    | すると勝者の中島製試作機は、どんな風にしてこの難題を乗り切ったんだ?
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         | ちなみに三菱は、これ以降ライバルの中島に主力艦上戦闘機を独占され続けることに。
         | ……三菱会心の傑作、
九六式艦上戦闘機の登場まではな。
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| では、中島の「用意」した試作機はというと……なんと、海軍の提示した不時着水装備を簡略化、ってか無視。
| 本当に浮くのかどうかも分からない、「海上浮揚装置」なるものを機体に取り付けただけでお茶を濁したんです。
| さらにこの試作機は、イギリス製の優良艦上戦闘機ガムベットに中島が小改良を施したもの。
| しかし元のガムベットが非常に優れていただけあり、この中島製試作機の性能も優秀でした。
| 不時着水装備が要求より簡略なのにもかかわらず、日本海軍は当機の採用を決定。
| こうして1929年、中島製の試作機が三式艦上戦闘機として採用、約150機が生産されています。
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 ・三式艦上戦闘機(A1N)
  一〇式艦戦の後継機で、イギリス艦上戦闘機ガンベットを基にした中島製機体。
  初期型の三式一号艦上戦闘機(A1N1)と、エンジン改修型の三式二号艦上戦闘機(A1N2)が存在する。
  ガンベットの性能を継承し、堅実かつ優れた航空性能を誇った。
  1932年の上海事変において、日本海軍の戦闘機で初めて撃墜記録を達成。
  しかし後継機である九〇艦戦の登場が早く、生産期間は1930年〜32年と短い。

 写真
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    | まさに、正直者が馬鹿を見た、ってやつだな。
    | そこら辺を律儀にやって落とされた三菱や愛知は、文句言わなかったのか?
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         | そりゃ、ガンガン不満や抗議が出たって話だが……まあ、そう言うこともあるさ。
         | 初期の一号型は、イギリス製エンジンを中島がコピーした「ジュピター6」を使用していた。
         | しかし1930年には発展型の「ジュピター7」が搭載され、僅かに出力がアップ。
         | このエンジン改修型を、三式二号艦上戦闘機と呼んでいる。
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| 1932年に勃発した上海事変では日本海軍も動き、空母「加賀」「鳳翔」を投入。
| 2月5日には、「鳳翔」から飛び立った三式艦戦3機と偵察機2機が上海上空を偵察します。
| そして、地上からの対空砲火に気を取られた際――なんと、中国機が雲の合間から奇襲してきたんです。
| 相手はコルセア戦闘機3機、三式艦戦もただちに応戦しますが――遠距離から放った射撃は外れ。
| 向こうの攻撃もこちらには当たらず、そのまま敵機は雲に紛れて逃げ去ってしまいました。
| これは三式艦戦のみならず、日本海軍が初めて体験した実戦における空戦だったわけです。
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 三式艦上戦闘機(A1N1)
 ・全長:6.490m  ・全幅:9.678m  ・全高:3.1255m  ・全備自重:1450kg
 ・最大速度:240.7km/h  ・航続時間:2.5時間  ・乗員:1名
 ・エンジン:中島ジュピター6 空冷星型9気筒(520hp)×1
 ・武装:7.7mm機銃×2
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    | なんともぱっとしない初実戦だな。
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         | この日は雲が多く、敵味方共に視界が限定されていた。
         | あと、中国空軍側も初実戦。チェリー同士で、スマートに事は運ばなかったってことだ。
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| さらに2月19日、「鳳翔」から飛び立った三式艦戦3機は単機の中国軍戦闘機ボーイングP-12に遭遇します。
| 後で分かったことなんですが、この機のパイロットはアメリカ人義勇兵ロバート・ショート。
| ショート機は出会い頭に射撃してきて、こちらの一機に少しばかり損傷を与えます。
| その後は多勢で不利と悟ったのか、敵機は逃げていき――三式艦戦は、追い付くことができませんでした。
| この一件で、日本海軍は自軍主力機が速度性能でまだまだ欧米機に及ばないと痛感します。
| そして、そんな欧米機を中国空軍が所持している――この事実は、重い衝撃となったんですよ。
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    | まだまだ、航空先進国の技術には追い付けなかったんだな。
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         | この屈辱の経験が、後には日本側のさらなる技術力アップに繋がるわけだが。
         | なお、この時の敵機は正確にはボーイング218。米国で採用された名戦闘機P-12の試作型だ。
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| また3日後の2月22日には、またしても日本軍機の前にこのロバート・ショート機が立ち塞がりました。
| 三式艦戦3機と一三式艦上攻撃機3機の6機編隊に対し、ショート機は単機で挑んできたんです。
| 6対1という圧倒的状況にも関わらず、一三式艦攻に乗っていた指揮官が戦死(海軍初の空戦による戦死)。
| 敵機はなんとか討ち取ったものの(海軍初の撃墜記録)、この不覚を海軍は重く見ました。
| こちらの主力である三式艦戦の性能を優に超える敵戦闘機――まだまだ、海外の壁は厚かったんです。
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    | なんでロバート・ショートというパイロットは、6機を相手に1機で挑んだんだ?
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         | 怪我人や避難民が満載されている列車を、日本軍機が爆撃してくると思ったんだよ。
         | だから、圧倒的不利な状況を覚悟の上で挑んできた。か、漢だ……
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| こんな風に三式艦戦はいくつかのはじめて記録を持った機体なんですが、実は活躍期間は長くありません。
| 後継の九〇式艦上戦闘機の登場が早く、生産期間は1930年から32年とかなり短かかったんです。
| それでも旋回性能に優れた三式艦戦が、日本海軍に与えた影響は極めて大きかったと言えるでしょう。
| 旋回性能が高い戦闘機が「優れた戦闘機」とみなされ、鈍重な機は嫌われる――そんな傾向の第一歩。
| 後の「軽戦闘機至上主義」の一歩目を踏み出した機体が、この三式艦戦と言えますね。
| それでも、この時期はそれで全然問題なかったんですが――思想が時代に合わなくなる日もいつか来るもの。
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    | 「軽戦闘機至上主義」自体が問題なんじゃなく、それが時代に合わなくなった時期になっても、
    | 後生大事に持ち続けたことが問題なんだな。
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         | 後継である九〇式艦上戦闘機の普及と共に、三式艦戦は前線から姿を消していく。
         | それ以後しばらくは、例によって訓練機として用いられたんだ。
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| さて……こうして自社の航空機が制式艦上戦闘機として採用された中島飛行機。
| この三式艦戦の後継機も自社から出すべく、次期艦上戦闘機の独自開発を始めます。
| まずイギリスから「ブルドッグ」という艦上戦闘機を輸入し、試作機を製作。
| さらにアメリカの優良艦上戦闘機ボーイング100Dの設計を大いに真似、「吉田ブルドッグ」なる試作機が完成。
| しかしこれは「ブルドッグ」とほとんど変わらない性能で、日本海軍からもボツを食らってしまいます。
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    | イギリスに加えて、アメリカの航空技術も導入したんだな。
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         | この吉田ブルドッグは、名前に反してブルドッグよりもボーイング100Dの影響が大きかった。
         | むしろ、ボーイング100Dのコピーに近いとも言えるな。
         | このボーイング100Dはアメリカ陸軍ではP-12、アメリカ海軍ではF4Bとして採用される名戦闘機だ。
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| 1930年に完成した吉田ブルドッグは中島社内ではNYと呼ばれましたが、不採用を食らってしまいました。
| そこで設計変更を施すと共に、国産エンジンである「寿」を搭載するという改良を行います。
| こうして完成したNY改を日本海軍に審査してもらったのが、1932年1月なんですが……
| その結果、現役主力艦戦である三式艦戦よりも性能が大いに高いという評価を貰えました。
| こうして同年の4月、NY改は九〇式艦上戦闘機として採用が決定します。
| ちょうど上海事変の起きた年、中国での雲行きが怪しくなっている時期の量産決定でした。
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 ・九〇式艦上戦闘機(A2N)
  三式艦上戦闘機の後継となった中島製艦上戦闘機で、1932年4月に採用が決定。
  ボーイング100Dのコピー要素は色濃いものの、事実上は日本初の純国産艦上戦闘機である。
  運動性に優れ、日中戦争初期において主力を務めた。

 
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    | おお、一応は日本初の完全国産艦上戦闘機なのか!
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         | まあ、機体設計はかなり海外の機体をパクってはいるけどな。
         | 国産エンジンの「寿」も、この時期はまだイギリス製であるジュピターのコピー同然。
         | とは言え日本流に改良されているところも多く、純粋なパクりとは言い切れない。
         | この九〇艦戦は、激化していく中国との戦いに投入されていくことになる。
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| この九〇艦戦には、細かい改修が行われ三タイプが存在。
| また当機を複座(二人乗り)に改造した九〇式艦上練習戦闘機も登場します。
| 1932年から1936年にかけて、100機ほどが生産されていますね。
| 日中戦争初期には、空母「加賀」「龍驤」から発進した当機が大いに活躍。
| 当時のイギリスやアメリカの主力戦闘機に劣らない性能を見せ付けました。
| 当機の後継機開発に苦労したこともあり、それなりの期間を戦い抜いていますね。
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 九〇式艦上戦闘機(A2N)
 ・全長:6.183m  ・全幅:9.40m  ・全高:3.025m  ・全備自重:1550kg
 ・最大速度:287km/h  ・航続時間:3時間  ・乗員:1名
 ・エンジン:中島「寿」二型改 空冷星型9気筒(580hp)×1
 ・武装:7.7mm機銃×2
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    | ほほう、悪い機体じゃなかったんだな。
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         | またこの機体は、源田サーカスで扱われた航空機としても有名。
         | 源田実大尉と二人の仲間が当機で曲芸飛行を行い、日本中で有名になったんだ。
         | この源田実が、後の日本航空業界に大きな影響を及ぼしていく。
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| さて……ここで、少し別の艦上戦闘機を見てみましょう。
| ここまで紹介してきたのは一人乗りの艦上戦闘機でしたが、二人乗り戦闘機が検討され始めたんです。
| なぜそんなものが必要とされたかというと、弾着観測の用途にありました。
| 当時の海戦は、当然ながら遠距離での砲戦が主体。
| こちらの砲弾が相手に当たったのか、もし外れたならば、どの程度狙いを修正すればいいのか――
| 敵の近くを飛んで、それを見張る航空機――つまり観測機が必要とされていたんです。
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    | でも、そんなのが海戦中に頭上を飛んでたら敵戦闘機が襲ってくるよな。
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         | だからこそ、襲い来る敵戦闘機を自力で撃退できる空戦能力が必要になってくる。
         | そこで日本海軍は、戦闘機に観測能力を持たせるか、偵察機に空戦能力を持たせるか悩んだ。
         | この複座(二人乗り)戦闘機は前者、操縦手に加えて観測員を乗せた戦闘機と思って貰って良い。
         | 観測員は航法や弾着観測を担当し、また後席旋回機銃をブッ放したりもできる。
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| それ以外にも爆撃能力を備え、戦闘爆撃機みたいな運用も可能という優れもの。
| それが複座戦闘機で、フランスを中心とした航空先進国はその開発を進めていました。
| 日本海軍でもその可能性を探るため、複座の艦上戦闘機開発を中島飛行機に指示したんです。
| 九〇式艦上戦闘機が採用されたのと同年の1932年夏、この六試複座戦闘機が完成したのですが……
| テスト中に問題が多発したあげく不時着事故まで起きる始末、採用どころではありませんでした。
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 ・六試複座戦闘機
  中島が1932年に完成させた複座の艦上戦闘機。
  不具合が頻発し、不採用に終わる。
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    | なんと、ダメだったのか。
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         | どうしても機体が重くなるため、運動性に問題が出てくるんだよ。
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| 六試複座戦闘機が失敗した翌年の1933年、日本海軍は三菱と中島にまたも複座艦上戦闘機の開発を指示。
| こうして両社は三菱八試複座戦闘機中島八試複座戦闘機を開発、海軍の審査に臨んだのですが――
| 両試作機とも、審査中に事故を起こしてしまうという始末。
| 当然ながら両方とも不採用に終わり、それ以後は複座艦上戦闘機の検討はなされなくなりました。
| 日本海軍の複座艦上戦闘機は、結局のところ試作機のみで終わったんですよ。
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 ・三菱 八試複座戦闘機
  1933年の発注において三菱が開発した試作型の複座艦上戦闘機。
  中島製に比べて軽量な分だけ強度に問題があり、審査中に空中分解事故を起こしてしまう。
  結果的に、中島の試作機とともに不採用に終わる。

 ・中島 八試複座戦闘機
  1933年の発注において中島が開発した試作型の複座艦上戦闘機。
  六試複座戦闘機の失敗を踏まえて開発されたものの、そう優れた機体ではなかった。
  結果的に、三菱の試作機とともに不採用に終わる。
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    | 結局、複座艦上戦闘機そのものがボツったのか。
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         | 可能性を検討した結果、良いもんじゃないことが判明したってことだ。
         | 戦闘機に観測能力を持たせるか、偵察機に空戦能力を持たせるか――こうして前者は失敗した。
         | それゆえこれ以降は、偵察機に若干の空戦能力を持たせるという路線が採用されるんだよ。
         | こうして後継路線とも言える水上観測機が産まれるんだが、これはまた別の話だ。
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| さて、ここで純粋な艦上戦闘機の話に戻りましょう。
| 1931年、あの山本五十六が海軍航空本部技術部長に就任します。
| アメリカに留学経験があり、非常に先進的な考えを持つ彼の元で一つの機運が盛り上がり始めました。
| 今まで外国航空機のコピーや、その改良型、外国人設計士の機体ばかりを日本は扱ってきました。
| ここで技術的に自立するためにも、今後は完全国産で仕上げていこう――というわけです。
| この「航空技術自立計画」は、1932年(昭和7年)から実施されることが決まりました。
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    | なんと、あの山本五十六が……
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         | 当然ながら、彼一人が推し進めた訳じゃない。
         | 日本の航空技術も確実に熟成し、そろそろ完全国産を――という機運は広がっていたんだ。
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| そんな1932年、先にも言った通り上海事変において海軍航空機が実戦に初参加します。
| 2月22日には、三式艦戦3機と一三式艦攻3機の6機編隊に対し、1機の敵機が挑んできました。
| 数の上では圧倒的優勢だったにもかかわらず、敵機の性能の高さゆえこちらの指揮官が戦死。
| この不覚と技術差を、海軍は非常に重く受け止めたということは前述の通り。
| 次期艦上戦闘機は、優良なものに仕上げなければならない――そう決意したんです。
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    | この一件は、三式艦戦が主力戦闘機の時に起きたんだよな?
    | その時期に九〇艦戦の後継機を計画してるって、時系列がおかしくないか?
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         | 最新型の九〇艦戦は生産体制に入り始めたが、前線に出てるのはまだ三式艦戦
         | そして、最新型が形になった頃には、その後継機のプランを固め始めないと間に合わない。
         | 航空機に限らず、兵器の開発ってのは相当の時間が掛かるものなんだよ。
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| こうして1932年(昭和7年)、「航空技術自立計画」の第一弾として七試計画がスタートしました。
| 艦上戦闘機、艦上攻撃機、双発艦上攻撃機、陸上攻撃機、三座水上偵察機の五種発注という派手な計画。
| その五種の一つである艦上戦闘機は、三菱と中島に競作を命じました。
| しかしこの際、海軍側は能力要求に加えて厄介な二つの注文を付けます。
| まず、航空技術自立というテーマに沿って完全国産であること。
| そして性能に限界のある複葉機ではなく、近代的な単葉機であること――この二つを課したんです。
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    | こりゃまた、厄介な無理難題を突き付けたもんだな。
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         | 海軍も、この計画に相当気合いを入れていたんだ。
         | しかしその気合いは、虚しく空回りすることになってしまう……
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| こうして、九〇式艦上戦闘機の後継機開発がスタートしたんですが――
| 海軍から突き付けられた難題に、両社とも頭を抱えてしまいました。
| 中島は陸軍に採用されていた九一式戦闘機をベースに開発。
| エンジンには試験型である「寿」五型を搭載して同年秋に完成するも、要求性能は満たせませんでした。
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 ・中島 七試艦上戦闘機
  1932年に出された次期艦上戦闘機開発計画に対し、中島が完成させた機体。
  九一式戦闘機を艦上機として改良した機体だが、色々と無理が多かった。
  結果的に要求された性能を満たすことができず、不採用となる。
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    | 中島の試作機がボツったということは、三菱製試作機が勝ったってことか。
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         | ところが、なぁ……
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| それに対して三菱が開発した試作機は、中島のパラソル翼ではなく先進的な低翼を採用していました。
| この試作機の責任者は堀越二郎――後の
九六艦戦、そして零戦の生みの親となる名技士です。
| しかし技術的に無理があり、完成した二機ともが事故で失われてしまいました。
| 当然ながら不採用となり、なんと中島、三菱の両試作機ともにボツになるという悪夢のような結果に。
| この事態に、日本海軍は頭を抱えてしまう事になりました。
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 ・三菱 七試艦上戦闘機
  1932年に出された次期艦上戦闘機開発計画に対し、三菱が完成させた機体。
  先進的な低翼を採用していたが操縦性は劣悪で、試作機は二機とも墜落事故で失われてしまう。
  結果的に不採用となったが、次作への踏み台という意味でその意義は大きい。
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    | 後継機が……ない!
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         | とりあえず一時しのぎでもいいから、なんとかしなけりゃいけない状態に陥ったわけだ。
         | なお、この年に行われた七試計画の結果は総じてズタボロ、艦上攻撃機も陸上攻撃機も大失敗。
         | おまけに新機種である艦上爆撃機の開発は難航するわ、複座艦上戦闘機も失敗するわ――
         | この時期、日本海軍は涙目の事態だった。
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| さて、現役主力機の九〇艦戦を開発した中島は、かねてよりこの機の改良型開発を進めていました。
| それがここに来て、「とりあえず、後継機として九〇艦戦改が使えないか?」という話が持ち上がります。
| とは言え、こちらも開発に手間が掛かり、エンジンを「光」に換装して海軍に提出したのが1934年。
| この九〇艦戦改は単純な改良型ではなく、設計をし直した発展型でした。
| その性能も九〇艦戦より格段にアップしており、一時しのぎながらこの九〇艦戦改が採用されます。
| その名も九五式艦上戦闘機と改められ、九〇艦戦の後継となったんですよ。
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 ・九五式艦上戦闘機(A4N)
  九〇式艦上戦闘機の後を継ぎ、日中戦争の序盤に投入された艦上戦闘機。
  実質的には九〇式艦上戦闘機の改良版で、繋ぎ的な存在である。
  間もなく
九六式艦上戦闘機が完成したため、活躍期間は短かった。

 写真
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    | 繋ぎで乗り切るしかないのか……
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         | しかし新たに搭載された「光」は段違いの馬力を誇り、性能は抜本的にアップした。
         | 全体的なバランスも良く、決して悪い機体じゃない。
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| ミギー君の言った通り悪い機体ではありませんでしたが、技術的な新しさは皆無。
| この九五艦戦は、日本海軍最後の複葉艦上戦闘機となっていますね。
| あくまで、先進的な単葉を採用した次期艦上戦闘機が完成するまでの繋ぎ的な存在なんです。
| こうしてデビューした九五艦戦でしたが、後継である会心作の九六式艦上戦闘機が直後に完成。
| 活躍機関は短く、生産数は221機に留まりました。それでも九六艦戦が行き渡らない間、中国戦線で活躍。
| 中国機と何度も空戦を繰り広げ、決して影の薄い存在とは言えません。
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 九五式艦上戦闘機(A2N)
 ・全長:6.66m  ・全幅:10.00m  ・全高:3.07m  ・全備自重:2,051kg
 ・最大速度:352km/h  ・航続距離:846km  ・乗員:1名
 ・エンジン:中島「光」一型 空冷星型9気筒(730hp)×1
 ・武装:7.7mm機銃×2
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    | 決して駄作機じゃなかったんだな。
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         | スタンス的には新鋭機登場までの繋ぎだが、それでも決して性能は悪くなかった。
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| この九五式艦上戦闘機が登場したのと同年、九試単座戦闘機計画がスタートしました。
| 無惨な失敗に終わった七試艦上戦闘機のリバイバル戦に臨み、新戦闘機を提示する三菱と中島。
| ここで、日本海軍を驚愕させた超優良機が出現するのですが――そういうわけで、次回に続きます。
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    | 不遇の時代に、救世主が現れたんだな!
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         | とは言え、突然変異のような形で登場したわけでは決してない。
         | ここまで講義してきた下積みや失敗経験があって、その上で優良戦闘機の登場となったわけだ。
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