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| 受験用日本史やら世界史ってのは、史学じゃありません。単なるクイズです。
| 生きた歴史… 現代において、世界を見つめるのに役立つ世界史を学びたいものですね。
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    | まあ史学系の学部の場合は、最低水準の知識を備えているか試す意図もあるから…
    | でも、稀にとんでもない悪問もあるモナね。
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         | 難関私学のマニアックな設問見て楽しめるようになったら病気だな。
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| さて… プロイセン王国が周囲の地域を統一し、ドイツ帝国となった事は以前に講義しました。
| そこで、統一に至るまでの細かい経緯からやっていきましょう。
| ここら辺の流れから、第一次世界大戦へと結びついていきますからね。
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    | 『第一次世界大戦に至るまでのヨーロッパ史』の、最後の部分モナね。
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         | そこから見ていくわけだな。
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| フリードリッヒ1世とフリードリッヒ大王(2世)がプロイセンを軍事国家へと変貌させた事は、以前講義しました。
| しかしヨーロッパ最強を誇ったはずの軍隊は、1806年にナポレオン率いるフランス軍にボコボコにされます。
| こりゃマズいと思ったシャルンホルストは、ただちにプロイセンの軍制改革を断行しました。
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 ・シャルンホルストの軍制改革
   1.義務兵役制の導入。
   2.身分にとらわれない、将校の選抜と育成。
   3.陸軍大学を設置。
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    | ほう… で、効果はあったのか? ん?
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         | 結論を言うと、大成功だ。
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| まず、義務兵役制の導入。
| それまでのプロイセン… というかヨーロッパのほとんどは、傭兵を戦争に使っていました。
| 傭兵というものに間違ったイメージを持っている人が多いかもしれませんが…
| 彼等は、しょせんは雇われ兵です。ヤバくなったらとっとと逃げます。
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  農奴も兵役に就いていたが、無理やり徴兵された為に士気は低い。
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    | そうモナか。傭兵って、戦争のエキスパートだと思ってたモナ。
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         | 現代の傭兵は、一流どころもいるがな。
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| それに対し、ナポレオン戦争時のフランス軍は国民皆兵がモットーでした。
| 愛国心で一致団結してくる兵達。士気の高さは、傭兵や農奴とは比べ物になりません。
| そこでシャルンホルストは農奴を廃止し、都市部の愛国心に燃えてるような連中を徴兵しました。
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    | なるほど。フランスをお手本にしたモナね。
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         | 都市部には、愛国意識を持っているが軍隊には入れないような連中がゴロゴロしてたからな。
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| 次に、身分にとらわれない将校の選抜と育成。これは見たままですね。
| 当時のプロイセンの将校はユンカーに独占されていましたが…
| 名前ばかりの連中よりも、実際に能力のある奴を優遇するという当然の話です。
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 ・ユンカー
   プロイセンにおける貴族のようなもの。
   軍に限らず、国家の要職はユンカー出身者で占められていた。
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    | まあ、能力のある奴が偉くなるのは当然モナね。
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         | ユンカーは、姓名にフォンという呼称が付くんだ。
         | ハンス・フォン・ゼークトや、エーリヒ・フォン・マンシュタイン…
         | 第二次世界大戦の時代でも、ユンカー出身だった連中はバンバン出てくるぞ。
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| 最後に、陸軍大学を設置。近代的な軍事の専門家を育成しようという事ですね。
| その結果、あのドイツ参謀本部が組織されます。
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    | ドイツ参謀本部…?
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         | 史上初めて、軍事というものを知的に扱った機関だ。
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| シャルンホルストによる軍制改革の結果は、すぐに示されました。
| ロシアに敗れた後のフランス軍をライプツィヒの戦いでボコボコにしてしまいます。
| またこの戦いで、プロイセンは史上初めての『参謀』というシステムを導入しました。
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 ・ライプツィヒの戦い(1813年)
   ドイツ西部のライプツィヒで行われた、フランスとヨーロッパ連合軍の戦い。
   激戦の末、連合軍側が勝利。
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    | 参謀…?
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         | 戦争計画や作戦の遂行を担当する者… 近代戦には不可欠な存在だ。
         | 逆に言うと、この時より以前は参謀がいなかったんだよ。
         | 軍師みたいなのは昔からいるが、参謀は明らかに重みが違う。
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| その後は… プロイセンは、停滞期に入りますね。
| 50年ほどは、特に大きな動きはありません。
| それが一変するのは、ヴィルヘルム1世が君主の座に就いてからでした。
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    | ヴィルヘルム1世…?
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         | ヴィルヘルム1世と、宰相ビスマルク。そして参謀総長モルトケ。
         | この3人がいなければ、ドイツ統一は不可能だったかも。
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| さて、時代は19世紀後半… 産業革命の流入により、ドイツ地方での焦燥感は高まりました。
| 小国が乱立していた状態であるドイツ地方は、ヨーロッパの発展から取り残される恐れがあったんです。
| そこで、ドイツ民族の国家を統一してしまおうという動きが起こったんですが…
| オーストリアをドイツに含めるか含めないかで、大きな対立が起こりました。
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 ・大ドイツ主義:ドイツに、オーストリアを含める。
 ・小ドイツ主義:ドイツに、オーストリアを含めない。
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    | ドイツ地方ってのは、ド田舎だったモナね…
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         | プロイセンの軍隊は滅茶苦茶に強力だったが、それでも小国である事に変わりは無かった。
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| なぜオーストリアを含めるか含めないかでモメていたかというと、以下の問題があったからです。
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 ・オーストリアはドイツ民族中心であるものの、多民族国家。
    →統一ドイツに、ドイツ以外の民族を入れるわけにはいかない。
 ・オーストリアは領土が広大で、力も強かった。
    →オーストリアを含めてしまうと、統一ドイツの中でオーストリア勢に逆らえなくなってしまう。
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    | つまり… オーストリアを仲間に入れると、主導権が持っていかれる恐れがあったモナね。
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         | ドイツにオーストリアを含めるという大ドイツ主義は、オーストリアが主張していた。
         | その理由は、板書の下の理由を見れば自明だな。
         | 一方、ドイツにオーストリアを含めないという小ドイツ主義は、プロイセンが中心だ。
         | プロイセンは小国ながら強力な軍隊を保有していたから、オーストリアに従いたくなかったんだ。
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| そういう訳で、プロイセンとオーストリアの対立は激化していきました。
| そんな1862年、プロイセン皇帝ヴィルヘルム1世はビスマルクを外相&首相に任命します。
| ビスマルクの選んだ道は、ヨーロッパ各国との協調路線でした。
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  この時期のビスマルクの政策
   ・イタリア・ロシアへの接近
   ・オーストリアとの同盟
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    | 仲の悪かったオーストリアとも、手を組んだモナね。
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         | ところが、これはビスマルクのワナだったんだがな…
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| そしてプロイセンはオーストリアと連合し、デンマークに戦争を挑みました。
| その戦争に軽く勝利し、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州をブン取ってしまいます。
| プロイセンとオーストリアは、獲得した地方を共同管理しようという事で話をまとめたんですが…
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 ・第二次シュレスヴィッヒ戦争(1864年)
   プロイセン・オーストリア連合と、デンマークとの戦争。
   政治のビスマルクと軍事のモルトケのコンビが始めて活躍した戦争でもある。
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    | 軍事のモルトケ…?
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         | ヘルムート・カール・モルトケ。プロイセンの参謀総長だ。
         | 政治のビスマルクと軍事のモルトケの2枚看板で、この時期のプロイセンは動いていた。
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| とは言っても、モルトケの方は当時まったくの無名だったんですけどね。
| 話を戻しましょう。プロイセンは共同管理するはずだったシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州に過剰介入。
| その行為はオーストリアを激怒させ、両国の戦争にまで発展します。
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 ・普墺戦争(1866年)
   シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の領有権問題から発展した、プロイセンとオーストリアの戦争。
   たった7週間でプロイセンが勝利を収めた為、7週間戦争とも呼ばれる。
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    | やっぱり、こうなるモナか。
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         | そもそもシュレスヴィヒ・ホルシュタインを共同管理にした事自体が、ビスマルクの罠だったんだ。
         | 最初から、こうなる事は見越されてたんだよ。
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| 両国の兵力は互角。その勝敗を決したのは、たった1人の天才戦術家の存在でした。
| それが、ヘルムート・カール・モルトケ… 後世にその名を輝かせる、ドイツ参謀本部の参謀総長です。
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 ケーニヒグレーツにてオーストリア軍は大敗北。
 決戦を予期して大軍を固めていたオーストリア軍に対し、プロイセン軍は迅速な進撃で包囲。
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    | ほう… モルトケってのは、それほどの大人物モナか。
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         | ビスマルクやモルトケは、敵国(オーストリア)の研究にも余念が無かった。
         | それに対し、オーストリアはプロイセンをナメきっていた。
         | この時点で、オーストリアの敗北は決まってたんだ。
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| そんなプロイセンの快進撃に待ったをかけたのは、フランスのナポレオン3世。
| 彼の介入もあって、普墺戦争はプロイセン有利のままに休戦します。
| そしてオーストリアはプロイセンに幾つかの領地を差し出し、統一ドイツからも排除されました。
| その1年後、オーストリア帝国はオーストリア・ハンガリー帝国にカタチを変えます。
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 ・オーストリア・ハンガリー帝国
   そもそもオーストリアは多民族国家であり、帝国内人口の25%のドイツ人が政治を動かしていた。
   しかし普墺戦争の事実上の敗北により、帝国におけるドイツ人の支配権が失墜。
   帝国内人口の20%を占めるハンガリー人と手を組み、帝国を運営せざるを得なくなった。
   ここに、オーストリア帝国とハンガリー帝国の国家共同管理というシステムが完成した。
   国号も、オーストリア・ハンガリー二重帝国と改名する。
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    | オーストリア・ハンガリー二重帝国…
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         | このオーストリア帝国とハンガリー帝国、軍事と外交は共同して行うんだが…
         | それ以外の政治は、それぞれ別個に行ったんだ。
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 一方、普墺戦争に勝利したプロイセンはドイツの中心的存在となります。
| そして、プロイセンの強大化に危機感をつのらせていたのはフランス。
| 両者の対立は明確になり、例によって戦争に発展します。
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 ・普仏戦争(1870年〜1871年)
   プロイセンとフランスの戦い。
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    | プロイセン、戦争に継ぐ戦争モナね…
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         | 忙しい事だな。
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| 戦争になった直接のきっかけは、またしてもビスマルクの策略。いわゆるエムス電報事件です。
| 結構誤解されてるのですが、改竄された電報は、ナポレオン3世→ヴィルヘルム1世のものではなく、
| ヴィルヘルム1世→ビスマルクのものです。
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 ・エムス電報事件
   1870年に起こったスペイン王位継承問題に対し、フランスとプロイセンはそれぞれ候補者を推薦。
   フランスのナポレオン3世は、プロイセンのヴィルヘルム1世に対して候補者辞退を要求した。
   その経緯をヴィルヘルム1世からの電報で知ったビスマルクは、その電報内容を改竄。
   両国の敵愾心を煽るような内容にして、マスコミに発表。結果的に、両国の対立は決定的に。
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    | ビスマルク、やってくれる…!
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         | そして、例によってビスマルクはフランス戦を周到に準備していた。
         | 一方、フランス側は成り行き的に戦争突入…
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| そして、プロイセンはフランスに圧勝。ナポレオン3世は戦場でプロイセン軍の捕虜になるというダメっぷり。
| プロイセン軍はパリへ侵攻し、フランスに完全勝利しました。
| この戦勝はフランス人に、パリ蹂躙の屈辱を味わせます。
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    | プロイセン、やっぱり強いモナね。
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         | この戦争でも、モルトケの働きは大きかった。
         | 余談だが、モルトケには同姓同名の甥がいたんだ。
         | 彼も後に歴史の表舞台に出てくるため、甥を小モルトケと呼んで区別する。
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| そしてプロイセンが中心となり、ドイツ統一が実現しました。
| 普仏戦争で攻め込んだ先のヴェルサイユ宮殿で、ドイツ帝国成立を宣言。
| こうして1871年にドイツ帝国が発足し、ビスマルクはドイツ帝国宰相となります。
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    | ヴェルサイユ宮殿… 敵地の、一番立派なところまで乗り込んでやっちゃったモナね。
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         | ナチス政権下のドイツはドイツ第三帝国と言われるが…
         | ドイツ第一帝国は神聖ローマ帝国、ドイツ第二帝国はこのドイツ帝国だ。
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| デンマークもオーストリアもフランスも、ドイツの参謀本部と同様の組織が存在しなかったんですよ。
| それどころか、当時は『下らん事考えてるヒマがあるなら、とにかく突撃しろ!』っていう風潮でした。
| 軍人が学を持つ必要は無い… むしろ、持つべきではないと考えられていた時代です。
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   「余の軍に、教養のある将校などいらぬ」
              オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ
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    | だからこそ、ドイツの参謀の存在が際立ったモナね。
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         | そして、普墺戦争敗北後にオーストリア軍総監ベネデックは言った。
         | 「負ける運命だった。我々は何も学んでいなかったのに比べ、彼等は知的に取り組んでいた」
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| 軍事の中心は、もはやパリではなくベルリン。
| ドイツ軍が新たなシステムを取り入れたと耳にすれば、各国軍がこぞって真似をするというほどでした。
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  ・ドイツ参謀本部
    モルトケが参謀総長を務めた、世界最初の軍令組織。
    まるで機械を操縦するように軍隊を動かし、一連の戦勝に大いに貢献する。
    無名であったその名はもはや世界中に響き、ドイツ国内から優秀な人間が結集するようになった。
    しかし、この組織の能力がドイツ軍内で神格化しはじめ…
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    | やや。何か雲行きが怪しいモナね。
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         | モルトケは、参謀本部の限界を知っていた。
         | しかし彼の魔術のような手腕を見ていた後継者達は、しだいにモルトケ率いる参謀本部の力を…
         | そして、今では自分達が率いる参謀本部の力を、過剰に盲信するようになったんだ。
         \________________________________________


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| まあ、そのへんは後の話。ドイツ統一後に視点を戻しましょう。
| ビスマルクは、さらに未来への手を打ちました。
| 復讐に燃えるフランスを、外交的に孤立させようという計略です。
| こうして、微妙な膠着関係の元でヨーロッパは安定しました。
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 ・三国同盟(1882年)
   ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの三国が結んだ秘密軍事協定。
   これにより、フランスは国際的に孤立する。
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    | 三国同盟って確か、第一次世界大戦の時に…
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         | こういった錯綜した同盟関係が、各国を第一次大戦に引きずり込むんだ。
         | 単なる民族紛争が、腐れ縁で参戦してきた大国連中のおかげで未曾有の大戦争に発展した。
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| しかし、ドイツで思わぬ事態が発生しました。
| 1890年、皇帝のヴィルヘルム2世がビスマルクを解任したんです。
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    | なんで、そんな事をしたモナか…?
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         | ヴィルヘルム2世の短慮だったとしか言いようがないな。
         | 彼は派手好きで、植民地とか帝国主義が大好きだったんだ。
         | だから、ビスマルクによる外交の重要性が理解できなかった。
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| そういう訳で、ヴィルヘルム2世は愚直なまでに前時代的な領土獲得を画策します。
| その結果、ロシアとイギリスの仲が悪くなり、さらにロシアはフランスに接近。
| ビスマルクが維持してきた外交関係は、完全に無茶苦茶になってしまいました。
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 ・露仏同盟(1894年)
   ロシアとフランスの結んだ軍事同盟。
   その背景には、勢力を広げつつあったドイツへの抵抗がある。
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    | ひどいモナね。
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         | 同年、極東では日清戦争が勃発している。
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| ロシアとフランスの二大国と、同時に戦う可能性が出てきた…
| そこでドイツ参謀本部は、大規模な戦争計画を完成させます。
| これが後の第一次世界大戦時に発動する、悪名高き『シュリーフェン・プラン』でした…
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 ・シュリーフェン・プラン
   当時の参謀総長シュリーフェンが作成した、ロシアとフランスの同時攻略プラン。
   まず、中立国のベルギーを通ってフランスに全力攻撃を食らわせ、そのままパリを包囲。
   フランスを屈服させた後に、ロシアを攻めようというもの。
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    | 中立国を軍隊が通るって、非常にマズいんじゃないモナか…?
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         | 当然、非常にマズい。
         | ただ近年になって、一般的に知られているシュリーフェン・プランと、
         | 本来のシュリーフェン・プランは異なったものじゃないか?という説も出ているがな。
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| このシュリーフェン・プランも、実像がかなり見えなくなってるものなんですが…
| とりあえず、これをドイツは第一次世界大戦でやってしまったんですよね。
| この計画は『軍事』という一面だけでしか物事を見ない、極めて杜撰なものでした。
| ドイツ参謀本部は増長してしまい、全てが軍事で解決できると信じてしまったんですよ。
| クラウゼヴィッツの『戦争は政治の延長である』という言葉は、ドイツ参謀本部は見失っていたんです。
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  シュリーフェン・プランの問題点
   ・中立国ベルギーへの侵犯行為による国際的批判を考慮していない。
      →第一次世界大戦では、イギリスが参戦してくる結果に。
   ・ロシアの進軍速度、またロシア軍そのものを甘く見ている。
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    | 外交が、軍事に縛られちゃったモナね…
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         | ドイツ参謀本部は、作戦万能主義に陥っていた。
         | 軍事的な必要性があるなら、政治的な問題は排しても良いとまで考えていたんだ。
         | ベルギーへの侵犯によって、イギリスがどんな行動に出るかすら考えようともしなかった。
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| こんな無茶苦茶な戦争計画を、ドイツの要人達は無批判に受け入れました。
| なんせ、あのドイツ参謀本部の立案した計画。不備があるなどと思いもしません。
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    | また、これもひどい話モナ…
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         | 本当言うと、反対した人もごく僅かだがいたんだがな。
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| この時期、ドイツが唱えたのが3B政策。つまりは西アジア進出計画です。
| これは、イギリスの3C政策と真っ向から対立しました。
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 ・3B政策
   ドイツが計画した、西アジア進出プラン。
   3Bとは、バグダッド・ビザンティウム・ベルリンの頭文字を指す。

 ・3C政策
   イギリスが実行していた、世界規模での植民地政策。
   3Cとは、カイロ・ケープタウン・カルカッタの頭文字を指す。
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    | ドイツ、だんだん調子コイてるモナね…
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         | イギリスは、ロシアとも対立していた。
         | クリミア戦争の敗北以来、ロシアの目はヨーロッパから離れて極東に向いてたんだが…
         | 極東にも、イギリスの植民地はあったからな。
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| 流石のイギリスでも、ドイツとロシアの2国を同時に相手をするのは不可能。
| そういう訳で、イギリスは『栄光ある孤立』を捨て、軍事同盟の締結を決断します。
| そしてイギリスが対ロシアのパートナーに選んだのは、極東の小国である日本でした…!
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 ・日英同盟(1902)
   日本とイギリスとの間に結ばれた軍事同盟。
   第一次世界大戦終結後、1921年まで同盟は続く。
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    | イギリスも、随分と思い切ったモナね…
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         | 日清戦争の直前、ほとんどの国々は清が勝利するだろうと口々に囁いてた。
         | そんな中でイギリスだけは、「いや、日本が勝つさ…」と確信していたという。
         | イギリスの連中は、日本の実力を認めてたんだろうな。
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| さらに日露戦争が始まったのと同年の1904年、イギリスはフランスとも協商関係を結びます。
| これは、対ドイツを意識したものですね。
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 ・英仏協商(1904年)
   長年のライバルであったイギリスとフランスが締結した同盟。
   対ドイツが主目的である。
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    | だんだん、同盟関係が錯綜してきたモナね…
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         | 『協商』ってのは協力関係って意味だ。『同盟』の少し弱まったバージョンだな。
         | とは言っても、この講義では慣習的に同盟扱いするが。
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| そんな中、イギリスにとっても意外な事態が起こります。なんと日本が、ロシアに勝利してしまいました。
| ロシアは極東進出を諦め、再びヨーロッパ方面に顔を出してきます。
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    | もう、情勢はややこしくなる一方。
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         | しかし、前の講義でも述べた通り…
         | ここへ来て、イギリス・ロシア・日本が急速に親密化するんだが。
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| 日本はヨーロッパから遠く離れてるんで、ヨーロッパ情勢に影響はありませんが…
| ロシアとイギリスが仲良くなったのは、ドイツにとって致命的でした。
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 ・英露協商(1907年)
   イギリスとロシアの結んだ同盟。
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    | ドイツは、イギリス・フランス・ロシアに囲まれたカタチになったモナね。
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         | この対ドイツの輪には、日本も参加している。
         | 当時の日本は、イギリス・フランス・ロシアとの仲が非常に良好だったんだ。
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| こうして、露仏同盟・英露協商・英仏協商のトライアングルが完成しました。
| これを総称し、三国協商と呼びます。その性格は、対ドイツ包囲網と言ってもよいものでした。
| ドイツは、たちまちのうちにマズい局面を迎えます。
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 ・三国協商
   イギリス、フランス、ロシアの三国間の相互協力体制。
   ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの三国同盟と対立する…?
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    | そういう訳で、第一次世界大戦は三国同盟と三国協商の戦いモナね。
    | でも、何故に板書にクェスチョン・マークが?
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         | イタリアが、三国協商側に微妙に接近してきたから。
         | ドイツが思いっきり目を付けられている為、手を組んでいるのは危険だと判断したんだろう…
         | とにかく、1902年にはフランスと仏伊協商を結んでいる。
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| とは言ってもね… ヨーロッパも、度重なる戦争にくたびれてたんですよ。
| 時代はもはや20世紀。科学の発展は、必ずや人間を幸福にしてくれるだろう。
| こんな輝かしい時代に、戦争なんて馬鹿らしい。そんな思いが、当時の人々の心を支配してたんですよ…
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 ・ドイツはライン川の観光事業を発展、多くの外国人が訪れた。
 ・フランスでは首相の妻が殺人事件を起こし、スキャンダラスな話題が世論を埋めた。
 ・ドイツの投資家がイギリスに大量投資、共同会社の設立を発表。
   →軍事同盟というのは、相手を威圧して戦争を防ぐ為のもので、ある種の抑止力。
     実際の戦争の影は、ヨーロッパのどこにも見られなかった。
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    | 緊迫してるように見えて、物凄くマターリムードモナね。
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         | さらに、当時のヨーロッパには国境紛争が皆無。
         | 情勢は微妙だが、戦争には発展しない… 為政者までもが、そう楽観視していた。
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| そんな1908年にトルコで革命が起き…
| オーストリアはどさくさに紛れてバルカン半島のボスニア・ヘルツェコビナを自国に併合してしまいます。
| このボスニア・ヘルツェコビナは、幾多の民族や宗教が密集している複雑な地域でした。
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 ・セルビア人:セルビア王国への帰属を望む。
 ・カトリック:オーストリアに好意的。
 ・イスラム教徒:オスマン帝国への帰属を望む。
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    | オーストリアが、余計な事をしちゃったモナね。
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         | 結局、カトリック以外の人々はオーストリアの行為を侵略とみなした。
         | そして2度に渡るバルカン戦争で、バルカン半島は大混乱に陥るんだ。
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| いつしか、バルカン半島は『ヨーロッパの火薬庫』と呼ばれ…
| オーストリアによる統治の下で、板書したような思想が渦巻いていました。
| 日露戦争の敗北で極東侵攻を諦めたロシアは、バルカン半島に目を付けたんですよ。
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 ・汎スラヴ主義
   全てのスラヴ民族が共通の政治理念の元で連帯していこうという考え。
   ロシアが糸を引いていて、汎ゲルマン主義と対立している。

 ・汎ゲルマン主義
   全てのゲルマン民族を共通の政治理念の元で統一し、世界の覇権を握ろうという考え。
   ドイツが糸を引いていて、汎スラヴ主義と対立している。

 ・大セルビア主義
   ボスニア・ヘルツェコビナを、セルビア人の手で解放しようという考え。
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    | なんか、凄い事になってるモナね。
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         | 『ヨーロッパの火薬庫』って名前はダテじゃない!!
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| そして… とうとう、あの事件が起きてしまいます。
| オーストリア・ハンガリーの皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻…
| 2人がボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボを視察中に、セルビア人青年に暗殺されてしまいました。
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 ・サラエボ事件(1914年6月28日)
   サラエボで、フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人ガブリロ・プリンチップによって暗殺。
   第一次世界大戦の引き金となる。
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    | こうして、大公夫婦は殺されてしまうモナか…
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         | 結局は、民族紛争が直接の原因なんだ。
         | そしてこの地方、21世紀の現代でもモメている。
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| このサラエボ事件の経緯について説明しましょう。
| 大セルビア主義を唱える者達は、オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合を侵略と捉えていました。
| そして一部のセルビア人過激派は、『黒い手』という暗殺団を組織します。
| 後に大公を暗殺したプリンチップも、この組織に名を連ねていました。
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    | 暗殺団…
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         | 『黒い手』は、『ブラックハンド』とも言われるな… まあ、訳の問題なんだが。
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| 大公の通る道に、爆弾や銃を手にした『黒い手』の6人のメンバーが配置されます。
| そして市役所前にて、刺客の1人チャブリノビッチが無防備な大公のオープンカーに目掛けて投げつけた爆弾…
| それは大公妃の首に命中、爆発せずにそのまま路上に転がります。
| そして、次の車が通った瞬間に爆発。無関係な人たちをブッ飛ばしてしまいました。
| 予定が狂いまくり、プリンチップ達暗殺者は大公暗殺を諦めてしまいます。
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    | おいおい… なんてハタ迷惑な。
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         | 肝心の大公夫妻には、カスリ傷ひとつなかった。
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| しかし大公は、暗殺未遂事件があったにもかかわらず不用意な行動を取ってしまいました。
| 先の爆発で入院した人を見舞いに、オープンカーで病院に向かったんです。
| しかし道を間違えて、路上に往生。そこへ偶然に通りかかったのが、暗殺を諦めていたはずのプリンチップ。
| 彼は、たまたまサンドィッチを買いに外へ出ていたのです。
| プリンチプはすかさず大公の車に向かって極めて正確に発砲。大公夫妻の暗殺に成功しました。
| サラエボ事件というのは、こんな運命の悪戯に満ちているんですよ…
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 大公の最期の言葉:「ゾフィー(妻の名前)、子供たちのために生きてくれ」
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    | なんと。
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         | プリンチプは19歳で未成年だった為、死刑は適用されなかった。
         | 第一次世界大戦も末期の1918年、獄中で結核にかかり死亡した…というのが公式発表。
         | 実際のところは、どうなったか分からないがな。
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| そういう訳でオーストリアは激怒、セルビア政府に宣戦布告します。
| それに対し、汎スラヴ主義を推し進めるロシアはセルビアを支援して総動員令を発令。
| 突然の自体に驚きつつも、オーストリアと同盟を結んでいるドイツはロシアに宣戦布告。
| そうなると、イギリス・フランスも三国同盟に対して宣戦布告。
| まさに、バルカン半島大爆発。
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 ・第一次世界大戦(1914年〜1918年)
   サラエボ事件をきっかけに始まった、ヨーロッパの大国を巻き込む大戦争。
   基本的には、三国同盟(ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリア?)と
   三国協商(イギリス、フランス、ロシア)の戦い。
   どの国も、戦争は短期間で終結すると予測していたが…
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    | 日本やアメリカ、イタリアは…?
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         | 日本は、日英同盟のしがらみと領土的野心から三国協商側として参戦。
         | 極東におけるドイツの植民地、南洋諸島に出兵した。
         | アメリカは、欧州情勢には不介入の方針を続けていた。
         | あくまで、第一次世界大戦開戦当初の話だがな…
         | イタリアは、三国同盟側にもかかわらず中立宣言を発した。
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| そういう訳で、いよいよ始まった第1次世界大戦。
| なんか泥沼にはまっていくドイツ! うんざりしつつも戦争に介入していく欧米諸国!
| 中立が信条のアメリカはどうなるのか!? そして、我等が日本の取った道は…!?
| ここで、『第1次世界大戦前夜』は終わり。次回から第1次世界大戦に入ると言いたいとこですが…
| それ以前に、日露戦争以後から第1次世界大戦前までの各国の兵器の発展について講義しましょう。
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    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/)/)/)/) スルスルスル…
    | たった10年で、兵器って発展するモナか?
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         | この時期は、特に新技術のてんこもりだ。
         | 潜水艦や航空機は、第1次世界大戦で本格的デビューなんだ。
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| あと… 1912年に清が滅び、中華民国となりました。
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スルスル… 孫文の辛亥革命モナね。
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         | 何も、こんなところで補足しなくても…
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