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| さて、第一次大戦に至るまでの日本の歴史をサラリとやりましょう。
| といっても考古学の講義では無いので、縄文時代や弥生時代は省略します。
| 時代は3世紀、邪馬台国から。
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| なんたら遺跡とかは、流石にパスモナね。
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| 弥生時代は省略… と言っても、邪馬台国の時代は弥生時代晩期なんだけどな。
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| 邪馬台国の事が記述されているのは『魏志倭人伝』というのは周知なんですが…
| おそらく、日本史の授業とかで『魏志倭人伝』という言葉をひとかたまりで暗記したと思います。
| 実はこれ、『三国志』の中の『魏志』、その中の倭国について記された『倭人伝』という章の事なんですよ。
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・『三国志』
晋が中国を統一した後、陳寿によって書かれた歴史書。
『魏書』三十巻、『呉書』二十巻、『蜀書』十五巻で構成される。
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| 『魏志倭人伝』って、『三国志』の一部だったモナか…
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| つまりは、『三国志』の時代と邪馬台国の時代はだいたい同じ。
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| その記述に寄れば、卑弥呼という女王が邪馬台国を治めていたようです。
| 邪馬台国と言うのは小国の連合国家。統一を進め、大和朝廷の前身となった説が有力ですね。
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・邪馬台国
3世紀頃に存在した、倭人(日本人)の連合国家。
女王である卑弥呼が鬼道(占い)によって国を治め、卑弥呼が死んだ後は大いに荒れたようだ。
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| 占いで、政治をしてたモナか…
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| 実際のところ、解釈は学者によって様々なんだけどな。
| あと実際は、彼女の弟が国政をやってたそうだ。
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| みなさん知っての通り、邪馬台国がどこにあったかは確定していません。
| 方角と距離は記されてあるものの、そこを正確に辿れば海のド真ん中。
| 方角が間違ってるなら近畿地方、距離が間違ってるなら北九州になるんですね。
| 他にも様々な説がありますが、詳細は不明です。
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・邪馬台国比定地一覧
ttp://inoues.net/waj.html
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| どさくさに紛れて、とんでもない事言ってる人もいるモナね…
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| 邪馬台国は2つあった!!
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| あと『卑弥呼』とは当時の中国が付けた蔑称で、彼女が日本側の資料の誰にあたるかも謎です。
| 天照説や神功皇后説、倭迹々日百襲姫説が代表的ですね。
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日本側の資料…『古事記』、『日本書紀』
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| 卑弥呼って、蔑称モナか…?
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| 『卑』なんて漢字、普通は人名にあてないだろ?
| まあ、いろいろ異説もあるんだがな。
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| あと、当時の中国の外交政策についても知っておいて下さい。
| 中国の皇帝が一番偉く、周りの小国などと主従関係を結ぶと言うシステムですね。
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・冊封体制
中国皇帝が周囲の小国の王と主従関係を結ぶという体制。
各地の王は中国に認められ、その地域の支配を認められる。
朝貢とは、ご主人様である中国に貢物を持って行く事。
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| 中国の皇帝を、ご主人様と崇めるモナか…
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| 実際は、形式に過ぎない場合が多かったがな。
| 小国の王の方も、中国と言う強大なバックがついて権威がアップ。
| 朝貢の場合も、中国からのお返しは貢物より高価な場合が多い。
| つまり、利害が一致していたケースが多いんだ。
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| で、卑弥呼亡き後の邪馬台国は荒れた結果、壹与(いよ)たん(13さい)が王位に就きます。
| それ以後、邪馬台国がどうなったかは不明。俗に『空白の四世紀』と言われてますね。
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| 『空白の四世紀』モナか…
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| この期間は資料が残ってないから、何がどうなったのか良く分からないんだよ。
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| そして、古墳時代。この頃になると、国家の体制が本格的に築かれ始めたようですね。
| 大和朝廷の元で、大王(天皇)が国を治めていました。その下で、多くの有力者一族が現れます。
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・当時の有力者…物部氏・蘇我氏・大伴氏 etc.
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| こんな頃から、天皇っていたモナね…
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| 現在まで続く、最古の皇帝の血筋だからな。
| 現代において世界的にエンペラーと認められている人は、日本の天皇しかいないんだよ。
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| さて、時代は流れて538年。
| 今の朝鮮半島にあった百済という国の王が、日本に経典とか仏像とかをプレゼントしてくれました。
| そして蘇我稲目という有力者が、寺を作ったりして仏教に尽くします。
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・仏教伝来(538年)
欽明天皇の時代、百済の聖明王が日本に仏教を伝える。
この仏教は、後に政争の道具に。
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| 蘇我稲目… 蘇我氏は、仏教を信仰するようになったモナね。
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| それが、後のモメ事のきっかけになるんだがな。
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| しかし日本には、神道というものがありました。当時の… ってか今の天皇も、神道の神々の末裔。
| 「仏教なんて邪道だッ!」と、蘇我稲目に食って掛かった人がいます。
| 彼の名は物部尾輿。蘇我稲目と共に、権力の中枢にいた人でした。
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| 確か、天皇の下に位置する二大権力者だったモナね。
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| そもそも、二者の政治的対立の意味合いが強いんだ。
| 仏教うんぬんは、口実に過ぎないといったところだろうな。
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| そして時代は流れる、世代は交代する!
| 両者の争いは、それぞれの子供の世代まで持ち越されます。
| 蘇我馬子と物部守屋の戦い… 物部守屋が暗殺された事により、蘇我氏に軍配が上がりました。
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| 政争って、いつの時代にもあったモナね。
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| この時、かの聖徳太子は蘇我氏に味方してるぞ。
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| 対立する相手がいなくなった蘇我氏は、例によってデカいツラをするようになります。
| そして、自分の言う事を聞かない天皇を暗殺するに及びました。
| かつて蘇我氏の味方だった聖徳太子はそれを見かね、天皇の権力を強化しようとします。
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・聖徳太子の政策
十七条憲法:政治家や役人は悪事をせず、国に奉仕しろ。
冠位十二階:有能な者は、身分が低くても偉くなれる。
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| いっその事、蘇我氏を滅ぼしちゃえば良かったのに…
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| 聖徳太子自体、蘇我氏の親戚なんだよ。そこまでは出来なかった。
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| また聖徳太子は、外交でもとんでもない事をやっちゃいました。
| 当時の中国に対して、「オマエなんかご主人様じゃねー!!」って手紙を送ったんです。
| つまり、日本と中国(隋)は国家として対等である事を主張したんですね。
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「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」
訳)太陽の昇る国の王から、太陽の沈む国の王へ手紙を送ります。うふ。
→日が昇る国(日の本の国):日本という国号のきっかけに。
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| 中国の皇帝、キレなかったモナか…?
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| そりゃもう、メチャクチャに怒った。だが、直後に隋そのものが潰れちまったんだよ。
| 結局、うやむやになったんだ。
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| 蘇我氏の専横は、聖徳太子が生きている間は収まりました。
| しかし聖徳太子が死んじゃうと、もう駄目。
| 聖徳太子の息子、山背大兄王も自殺に追い込まれて、蘇我氏はやりたい放題。
| しかしその栄華も長くは続きません。とうとう、天皇家の人間が立ち上がりました。
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・乙巳の変(645年)
中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿を誅殺した事件。
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| あれ… 大化の改新じゃないモナか?
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| 大化の改新ってのは、蘇我氏亡き後の一連の政策。
| 蘇我氏を殺した事件は、乙巳の変と呼んで区別されてる。
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| 場所は宮中、女帝である皇極天皇の眼前。
| 蘇我入鹿に対して、若き皇子である中大兄皇子が剣で一閃。
| 「なにをするきさまらー」とばかりにひるむ蘇我入鹿。そこへ、弓矢を手にして現れる中臣鎌足。
| そのまま、よってたかって蘇我入鹿を殺してしまいました。
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その後、入鹿の父の蘇我蝦夷も自殺 → 蘇我家滅亡。
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| 皇極天皇って、確か中大兄皇子の母親モナね。
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| もし、最初に蘇我入鹿に斬りつけるのを失敗していたら、
| 踏み込んできた中臣鎌足は、誰に向かって矢を射掛けてたんだろうな…
| やっぱ、宮中で陰謀をめぐらす奴はスゲェぜ!
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| 新たに即位した孝徳天皇、そして次の天智天皇(中大兄皇子)は天皇中心の国作りに励みます。
| これが、大化の改新ですね。
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・大化の改新(645年〜)
天皇に権力を集中させる為の政治改革。
『公地公民の制』や『班田収授法』、新しい税制度など。
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| 政策とか、細かい事はやらないモナか…
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| 萌えないから、省略。
| 要は、天皇が一番エラい事を確立させていく政策だ。
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| そして天智天皇が即位するちょっと前の時代、海外で異変が起きます。
| 新羅(朝鮮半島にあった国)と唐(当時の中国)が、百済を攻めたんですよ。
| そこで百済は、お友達である日本に助けを求めます。
| 「よっしゃまってろ!」と日本は出兵しますが、新羅と唐の連合軍にボロボロにやられてしまいました。
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・白村江の戦い(663年)
朝鮮半島の白村江で起こった、日本と新羅・唐連合軍の海戦。
その結果、唐の水軍に返り討ちにされる。
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| なんで、わざわざ百済を助けようとしたモナ? 放っときゃ良かったのに…
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| 新羅と唐の連合軍を破った暁には、百済を属国化できるという約束があったとか…
| それと、正確には百済そのものは既に滅びてたんだよ。
| 日本に救援要請してきたのは、かつて百済の家臣だった連中だ。
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| このままでは、新羅・唐連合軍が日本にも攻めてくる!
| …そう思った中大兄皇子は、国内での戦争準備を推し進めます。
| 防人を配置したり、九州に城を作ったり、都を防衛しやすい地に移動させたり…
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| で、結局は攻めてこなかったモナね…
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| この天智天皇の行った急激な戦争準備による負担は、豪族達の不満を招く事になる。
| それが、後の壬申の乱が拡大した原因にもなってるんだ。
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| さて、天智天皇の次に天皇になるのは、彼の弟である大海人皇子の予定でした。
| ところが天智天皇、自分の息子である大友皇子を天皇にしたくなりました。
| こういう態度が争いの種になるのは世の常ですね。
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・大海人皇子:天智天皇の弟 → 出家して、寺に引きこもる。
天皇になる意思を見せれば、天智天皇に暗殺される危険性があった。
・大友皇子:天智天皇の息子 → 皇太子となる。
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| で、例によって天智天皇が死んだ後で大騒動に…
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| 騒動どころか、内乱にまで発展しちまったんだ。それが、壬申の乱だな。
| ちなみに天智天皇の死因、行方不明説や暗殺説もあって、何かと胡散臭い。
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| 元々、天智天皇と大海人皇子の兄弟は不仲でしたからね。
| 大海人皇子の妻であった額田王を、天智天皇は自分の妻にしてしまいましたし。
| 額田王からすれば、兄弟どんぶりですね。
| さらに天智天皇との結婚後も、大海人皇子との関係は続いていたというから、もう…
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・二人の詠んだ和歌(万葉集より)
あかねさす紫草野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)
訳) おい! こっち見て手を振るな! バ レ る だ ろ !
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我恋ひめやも(大海人皇子)
訳) 人妻ハァハァ
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| うは! 女絡みのトラブル!!
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| しぃ助教授、コメントが下品過ぎ。
| ちなみに額田王ってのは、当時でトップクラスの美女だったらしいぞ。
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| そんな遺恨が関係あったのか、無かったのか…
| とにかく天智天皇亡き後、大友皇子が弘文天皇を名乗ります。
| 弘文天皇が邪魔になった大海人皇子を滅ぼそうとしたとか、大海人皇子の方から挙兵したとか…
| ここら辺の経緯は様々な説が入り乱れてますが、とにかくこの両者が激突します。
| この皇族が真っ二つに分かれて争った内乱を、壬申の乱といいます。
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・壬申の乱(672年)
弘文天皇と大海人皇子の内乱。
大海人皇子は東国の豪族を味方につけ、勝利を収めた。
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| 東国の豪族は、なんで大海人皇子に味方したモナか?
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| 天智天皇のやり方が嫌だったから、彼が強引に推した弘文天皇に敵対した。
| さっき言った通り、白村江の戦い後の急激な戦争準備が負担だったんだよ。
| 中央の政治からも遠ざけられてたしな。それらの鬱憤が爆発したんだ。
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| 非常に微妙な戦いだったんですが、最後に弘文天皇は自殺。
| 勝利した大海人皇子は、天武天皇として即位します。
| この人、槍の名手で天文学や占星術に通じ、さらに日本最初の忍者だったらしい妙な人です。
| 兄に女を奪われたかと思ったらちゃっかり通じてたり、何かと滅茶苦茶な人ですね。
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| 天武天皇… 良く分からない人モナね。
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| 実際、歴代の天皇の中でもトップクラスに謎が多い人らしい。
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| …とにかく天武天皇は、さらに天皇に権力が集中するような政策を取りました。
| そして彼は、天智天皇の娘を4人ほどまとめて嫁にします。
| そのうちの1人が天武天皇の死後に即位し、持統天皇になる訳ですね。
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| あれ…? 天智天皇と天武天皇って、兄弟…
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| 気にするな。あの当時じゃ、全然フツー。
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| 天武天皇の息子達は、どいつもこいつも非業の死を迎えます。
| 結局は彼の奥さんが即位、彼女が有名な持統天皇ですね。
| 藤原京に遷都して、孫を天皇(文武天皇)にして引退…
| と思いきや、上皇という位について政治を裏から操ります。
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| 上皇…?
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| 元天皇って事だ。彼女は日本初の上皇なんだよ。
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| さて… この持統上皇と共に、政治を操っている男がいました。
| 彼の名は藤原不比等。あの中臣鎌足の息子です。
| 彼はかなりのヤリ手で、文武天皇や後の元明天皇の下でも政治を動かしました。
| 法制を整えたり、通貨を造ってみたり、710年に平城京へ都を移したり…
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| 藤原一族って、後に権力を振るうモナね。
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| この時代から、既に不比等は女を皇族に嫁がせている。
| 天皇家と婚姻関係にあり、権力の基礎は磐石…
| そんな中、藤原不比等は病死してしまうんだが。
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| 藤原不比等の死後、権力を握った長屋王はスキャンダルが原因で自殺させられます。
| 長屋王を自殺に追い込んだ不比等の息子達4人も、天然痘という病気に次々とやられます。
| 次に権力を握ったのが橘諸兄… と言っても、上位陣が次々に潰し合った結果ですからね。
| 聖武天皇を補佐する事となった彼自身がビックリして、あんまり無茶な事はしてません。
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橘諸兄は、学者の吉備真備と僧の玄ムを重用して天皇を補佐。
→九州で、吉備真備・玄ム排斥を目的とした『藤原広嗣の乱』が起きる。
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| 藤原広嗣… 権力が、学者や坊主に渡るのが許せなかったモナね。
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| この吉備真備、陰陽道の祖と言われてる人物だ。
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| 藤原広嗣の乱は、サクッと鎮圧したんですが…
| 相次ぐ疫病や災害、そしてこの反乱にビビった聖武天皇は宗教に走ってしまいます。
| 彼は寺をあちこちに建てまくり、さらに大仏を建立。この時代に仏教は足元を固めました。
| さらに都を移動しまくり、財政が大ピンチに。そこで、こんな法律を作ります。
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・墾田永年私財法(743年)
開墾した田んぼを、開墾した人間のものと認める法律。
全ての土地は天皇のものであるという公地公民制の原則を破った。
good:みんな張り切って田んぼを増やす。
→そこから上がる税収もアップ!
bad:土地の私有を認める事によって、いっぱい土地を持つ実力者が現れるかも。
→天皇の権威が…
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| 税収アップの替わりに、有力者が各地に現れる可能性があったモナね。
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| 結局、荘園というシステムの原因になるんだがな。
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| そんな中、やけに影の薄い橘諸兄がひっそりと失脚して隠居。
| と言うか、メキメキ力をつけていた藤原仲麻呂に権力を譲ったとも言えますね。
| 無益な抗争を避けたという意味では、英断かもしれません。
| …とにかく、この藤原仲麻呂。孝謙天皇という女帝の元で権力を振るうのかと思いきや…
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| 次から次と、移り変わる権力。
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| まあ、そんなもんだ。
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| 道鏡という僧が、孝謙天皇の病気を祈祷で治してしまいます。
| そして、女帝の孝謙天皇と道鏡は恋仲に。道鏡はアレが大きく、テクニックも凄かったようです。
| メロメロになった孝謙天皇は、道鏡の政治的台頭を許してしまいました。
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| …マジで?
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| まあ、色々あるんだよ。道鏡巨根説自体、偏見に満ちているとして否定している学者も多いしな。
| 女帝であった事とか、天武天皇の系列であった事とかがあって、
| 孝謙天皇の評価は不当に貶められてるフシがあるんだ。
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| ちょっと話が逸れますが、今ギコ君の言った天武天皇の系列ってのは…
| 彼女の死によって、天武天皇の血筋は断絶してしまうんですよ。
| そして後の天皇は、天智天皇の血筋から即位する事になります。
| 故に天武天皇の血筋の者は、天皇家として傍系になっちゃうんですね。
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| 壬申の乱の影響が、こんな時代まで…
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| 壬申の乱の存在自体、明治〜昭和初期の間は伏せられていた。
| 皇族の血筋の者同士が争うなんて、あってはならない事だからな。
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| さて、話を戻します。道鏡の台頭、そしてそれに反発する恵美押勝(藤原仲麻呂)。
| 恵美押勝はとうとう反乱を起こそうとしますが、中央にチクった奴がいて見事に返り討ち。
| 彼は処刑され、道鏡の権力は揺るぎないものとなります。
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| 恵美押勝…?
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| 藤原仲麻呂が中国カブレで、改名したんだよ。
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| そして、権力を極める道鏡と称徳天皇(孝謙天皇と同一人物。2度帝位についたため)のコンビ。
| しかし、称徳天皇に子供はいません。このままだと、天皇家の直系が途絶えてしまう…!
| そんな中、九州の宇佐八幡神社で、「道鏡を天皇にするとハッピー」というお告げが下ったと言う噂が流れます。
| そこで、噂が本当か確かめる為、称徳天皇は和気清麻呂という人物を九州に派遣しました。
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| また、そんな都合の良い時期に都合の良いウワサが…
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| 称徳天皇は、道鏡を天皇にする気マンマンだったんだよ。
| この噂の発生自体、何かの陰謀だったのかもしれないな。
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| そして、九州から帰ってきた和気清麻呂の報告は… 「噂はウソでした」。
| 称徳天皇はブチ切れ、『和気清麻呂』を『別部穢麻呂』と無理やり改名させ、島流しにしてしまいます。
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和気清麻呂(わけのきよまろ)
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別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)
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| うわぁ… すげぇ八つ当たり…
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| 彼が在命中に、きっちり名誉回復してるけどな。
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| しかし、この事件の1年後に称徳天皇は死んでしまいます。
| 後ろ盾の無くなった道鏡は、とっとと追放されてしまいました。
| 天武天皇系の血筋はこれで断絶したため、天智天皇の孫の光仁天皇が即位します。
| 今までとは打って変わり、天智天皇系が正統、天武天皇系が傍系となった訳ですね。
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| なるほど。後ろ盾が無くなると、惨めなものモナね。
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| それでも、命があっただけ良かったのかもしれないが。
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| 光仁天皇は即位した時には60代という老齢の為、とっとと亡くなります。
| 跡を継いだ桓武天皇は、坊主が政治に口出ししてくる事を非常に嫌がりました。
| そこで仏教のメッカである奈良を出て、784年に都を長岡京に移します。
| しかし長岡京で不幸が続発。縁起が悪いという事で、今度は京都に都を移しました。
| これが、かの有名な平安京です。
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| 鳴くよ(794)うぐいす平安京モナね。
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| 本当に泣いたのは、坊主だったんだがな。
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| まあ、そんな中で藤原氏の台頭も本格化してくる訳で…
| 藤原氏は天皇家に次々と女を送り込み、婚姻関係を結んでいきます。
| 敵対した菅原道真は流されて、藤原氏が調子をこき、天皇の権威は薄れ…
| 平安時代は余り萌えないので、サクッと飛ばしましょう。
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| うわー 平安時代が凄まじい速度で流れていくー
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| この頃になると、荘園と呼ばれる土地を持った有力者が各地に現れる。
| 墾田永年私財法の弊害が、いよいよ本格化してきたんだ。
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| そして地方政治は乱れ、中央では相次ぐ政変で貴族が地方に流れ…
| そういう連中が、地方の有力者と接触し…
| そんなゴタゴタの中で、各地で出現した武装集団が『武士』です。
| 彼等は軍事のエキスパートとして、反乱の鎮圧や犯罪者の取り締まりに活躍しました。
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| ようやく、武士が出現したモナね。
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| 黎明期の武士は、いろんな要素が混じり合って複雑なんだ。
| 単純に、地方有力者が集めた私兵団とは言い切れないんだよ。
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| そんな中、平将門の乱が起きます。彼は成り行き上反乱を起こし、関東一帯を支配しました。
| しかし新皇を名乗った彼も、平貞盛と藤原秀郷に討たれます。
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・平将門の乱(939年〜940年)
関東地方で起きた内乱。
同時期の『藤原純友の乱』とセットで、『承平天慶の乱』と呼ばれる。
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| 成り行き上…?
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| 平将門は、関東地方の頼れる親分的存在だった。
| そこへ、税を滞納して役人に追われていた藤原玄明という男が「匿ってくれ!」と言ってくる。
| 彼を匿ったのは良いものの、当然朝廷とモメ事になった。
| それがどんどん拡大していって、ついには武力衝突になっちまったんだ。
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| 同時期、瀬戸内海でも騒乱がありました。
| 藤原純友という地方有力者が、海賊を率いて乱を起こしたんです。
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| やっぱり、すぐに鎮圧されたモナね。
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| 平将門の乱も、藤原純友の乱も、鎮圧したのは武士の力だった。
| こうして、武士が台頭していくんだが…
| この頃は、まだまだ貴族の力も強かったんだ。
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| その頃中央では藤原氏が暴れ回っていますが、萌えないので省略。
| ひたすら権力争いの日々… 藤原道長や、その息子頼通ですね。
| そんな中、刀伊の入寇という事件が起きます。
| 中国史の講義で出てきた女真族(満州族)が北九州に攻めて来たんですよ。
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・刀伊の入寇(1019年)
女真族が、九州を襲撃してきた事件。
藤原隆家が、武士を率いて撃退した。
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| プチ元寇みたいなものモナね。
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| 必死こいて戦った藤原隆家に対して、朝廷は褒美も何も無し。
| 全国の武士達に、中央に対する強い不信感が根付くんだ。
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| そして、中央に対して反乱を起こしたのは関東の平忠常。
| この『平忠常の乱』は、源頼信によって鎮圧されました。
| こうして、関東では源氏が力を持つようになります。
| さらに前九年の役を経て、東国で源氏は一大権力を築きます。
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・前九年の役
源氏が、東北で反乱を起こした安倍氏を滅亡させるまでの戦い。
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| いよいよ、武士の時代になってきたモナね。
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| こうして、武士はメキメキと力をつけていく。
| 一方朝廷では、貴族同士が権力争いに終始してたんだ。
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| そんな折、朝廷では後三条天皇が即位します。彼は、藤原氏とは血縁関係の薄い人でした。
| そこで後三条天皇は藤原氏を叩く為、東国で評判の良い源氏を優遇します。
| ただでさえ弱っていた藤原氏の勢いは衰え、武士が政権進出を果たしました。
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| 藤原氏、いよいよピンチ…!
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| これ以後、藤原氏が時代の中心に咲く事は無い。
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| しかし、武士が本格的に権力を握るのはまだ後。
| 藤原氏に代わって権力を握るようになったのは、上皇…つまり、前代の天皇でした。
| 白河天皇が息子に譲位し、引退すると思いきや…
| なんと白河上皇は、天皇を裏からコントロールし始めたんです。
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| これが、院政モナね。
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| そして、対立する天皇と上皇。その対立に絡む、武士団同士の反目…
| ますます時代は混迷していく訳だ。
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| 白河上皇は、何かと名声の轟いている源氏が気に入りませんでした。
| そこで、源氏の棟梁だった源義家に数々の嫌がらせ政策を実行します。
| それにブチ切れて九州で乱を起こしたのは、義家の息子である源義親。
| その討伐を任されるはずだった義家は病死してしまい、反乱を鎮圧したのは平正盛という男でした。
| 彼は白河上皇に気に入られ、平氏が栄えるきっかけとなります。
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| 源氏から平氏へ。
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| 源義家ってのは、源氏の中でも特に英雄視されているんだ。
| 『天下第一武勇の士』と呼ばれ、後の世では武士の見本とされた。
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| で、白河上皇の死後は、鳥羽上皇に実権が移ります。
| 自分の天皇時代は、白河上皇にいいようにされていました。
| 「これからは俺の時代だー!」と言わんばかりに、権力を振るったんですね。
| この後は天皇もコロコロ変わり、上皇も同時期にゴロゴロ現れます。
| そんな中、とある天皇と上皇の間に確執が起こり、それは内乱にまで発展しました。
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・保元の乱(1156年)
崇徳上皇と後白河天皇の対立が元で発生した内乱。
源氏や平氏の武士達が天皇側と上皇側に入り乱れ、京都の町中で激しいバトルが繰り広げられる。
源義朝、平清盛が味方した後白河天皇側が勝利し、崇徳上皇は流罪、ゆかいな仲間達は処刑。
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| 源義朝に、平清盛… 源義朝って言ったら、鎌倉幕府を作った頼朝の父親モナね。
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| そして源義朝も平清盛も、後白河天皇(後に上皇)に褒美を貰ったんだが…
| 平清盛に比べ、源義朝に与えられた地位は低いものだった。
| それで不満が溜まった義朝は…
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| …とうとう、乱を起こしてしまうんです。
| 平清盛の留守中に、後白河上皇をとっ捕まえ、御所を制圧してしまいました。
| ですが平清盛の頭脳プレイもあり、源氏側は結果的に敗北してしまいます。
| 源義朝は敗走中に死亡、息子の頼朝は流罪にされます。
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・平治の乱(1159年)
保元の乱の戦後処理に不満を持った源義朝が起こした乱。
言わば、源氏と平氏の前哨戦とも言える…と言うのが、従来の見方。
最近の研究では、これも宮中のゴタゴタがメインで、武士は副次的役割を果たしただけのようだ。
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| そして頼朝は、平氏への復讐を誓うモナね…
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| まあ、それはおいといて…
| この乱をきっかけに、いよいよ平氏の力が強くなってくる。
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| そして平清盛は、天皇の奥さんとして自分の娘を送り込みます。かつての藤原氏と同じやり方ですね。
| 後白河上皇は、当然おもしろくありません。
| 平氏を叩き出す計画を練ったんですが、未然に発覚して監禁されてしまいます。
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・鹿ケ谷の陰謀(1177年)
藤原成親・西光達が平氏打倒を企てるが、計画途中に発覚。
首謀者は処刑され、後白河上皇の立場も危うくなる。
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| もう、平氏はやりたい放題モナね…
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| この頃になると、平氏は貴族化してたんだよ。宮中に染まりすぎて。
| その事も、他の武士達の反感を買った一因なんだ。
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| 後白河上皇が平氏によって監禁… この事態に立ち上がった人がいました。
| 後白河上皇の息子、以仁王です。彼は全国の武士に、『平氏を打ち倒せ!』と命令を出しました。
| さらに自分も武器を持って戦うんですが、敗北して戦死します。
| 平清盛は全国に伝わった『平氏を打ち倒せ!』の命令にビビり、都を変えました。
| 新しい都の福原京は、平安京よりも遥かに防御に適してるんですよ。
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| いよいよ、反・平氏運動が起こるモナね。
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| そう。平氏に恨みを持つアイツが戻ってくるんだ。
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| そして、『平氏を打ち倒せ!』の命令に立ち上がったのが、源頼朝。
| 挙兵して平氏に攻撃を仕掛けたんですが… ボロ負けします。
| 源頼朝自身は、何とか命を落とさずにすみましたが。
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・石橋山の戦い(1180年)
相模国石橋山で行われた、源頼朝と大庭景親の戦い。
10倍以上もの兵力差があり、頼朝は敗退する。
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| …即効で負けたモナか。
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| そして頼朝は安房国に落ち延び、徐々に勢力を増大させていくんだ。
| さらに、全国から反・平氏を掲げる武士達が続々と…
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| 頼朝は軍勢を集め、再度リベンジ。富士川の戦いで、平維盛を破ります。
| 思った以上に大軍になっていた源氏にビビり、平氏側のやる気は低かったようです。
| この戦いの際、平氏側は水鳥の一斉に飛び立つ音に驚いて逃げたという話までありますね。
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・富士川の戦い(1180年)
源頼朝と、彼を追討するために派遣された平維盛の戦い。
源氏の勢い、そして遠征による疲弊で平氏側の兵の士気は低く、
大きな激突も無いままに平氏側が敗走した。
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|こうして、源氏と平氏のぶつかり合いが本格化してきたモナね。
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| 実際は、平氏VS各国武士連合って感じなんだけどな。
| しかも、源氏が他の全ての武士を束ねてた訳でもない。
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| 一方、都でも平清盛が病死。平氏マズいよムードが漂ってきました。
| そこへ、源氏側の木曽義仲が京に攻め上ってきます。
| 彼は源頼朝の親戚であり、頼朝にライバル心を持っていたようですね。
| 平氏は京都を捨て、西国へ逃れました。
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| 平氏、逃げちゃったモナか。
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| ところが木曽義仲の軍、京都で略奪の限りを尽くすんだ。
| 滅茶苦茶ガラの悪い連中みたいだったようだな。
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| さらに木曽義仲は西国に逃げた平氏を追おうとしましたが、ここで妙な事態が!
| なぜか、木曽義仲の率いていた兵士が激減!
| 京都で略奪をした兵達のほとんどは、奪うもん奪って、とっとと消えたらしいです。
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| なんちゅう連中だ…
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| 後白河法皇は木曽義仲に、とっとと京都を出て平氏を追撃してくれと要請したんだ。
| 仕方ないから小勢で行った木曽義仲は、水島の戦いで平氏に敗北。
| こっぴどくやられながら、京都に逃げ帰ってくるんだよ。
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| いい加減に木曽義仲がウザくなった後白河法皇は、東国にいる源頼朝に接触します。
| 「京都から、木曽義仲を追っ払ってくれ」ってね。源頼朝は東国の支配権を要求し、商談成立。
| 頼朝の弟、範頼と義経が京都に攻め込み、木曽義仲は討たれてしまいます。
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| 何やってんだ、義仲…
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| この内輪揉めの隙に、平氏はちょっとだけ体勢を立て直してるぞ。
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| そのまま範頼と義経は平氏達を追討、一ノ谷の戦いで勝利を収めます。
| この時の源義経が行った、崖を駆け下りての奇襲は有名ですが、実際にやったかどうかは不明のようですね。
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・一ノ谷の戦い(1184年)
摂津で行われた源氏と平氏の戦い。
義経の奇襲の結果、平氏は敗走。瀬戸内海まで追い込んだ。
この勝利により、義経の名は京都中に轟く。
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| 平氏も、いよいよヤバいモナね…
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| ところが、ここで問題発生だ。戦いの舞台は瀬戸内海に移るんだが…
| 平氏は強力な水軍を持っていたのに対し、源氏は水軍を持ってないんだ。
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| そういう事情で、源氏は水軍編制の為に戦いの手を止めます。
| 戦力を再編したい平氏も休戦に乗り、しばしの平和。
| 義経は京都に、範頼は源氏本拠地の鎌倉に戻るんですが…
| この時、範頼一行は頼朝に対して虚偽報告をするんです。
| 手柄を全部自分達のものにして、義経の存在は無かった事にしたんですよ。
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| うわッ! なんてヒドい事を…
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| 褒美がもらえないでションボリする義経の肩に、ポンと置かれた優しい手。
| 後白河法皇は、義経に『左衛門尉検非違使』という位をあげるんだ。
| この事が頼朝を激怒させ、後に義経の人生を狂わせる事に…
| ちなみに後白河法皇、単なる親切じゃなくて確信犯的行動だったようだ。
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| そういう訳で、頼朝は義経を平氏討伐のメンバーから外してしまいました。
| そして、義経抜きで平氏との戦いが再開されるんですが… どうも、負けてばっかり。
| いよいよヤバくなった源氏がピンチヒッターとして登場させたのは、やっぱり義経。
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| 源氏、カッコ悪ッ!!
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| 義経は、戦いがメチャクチャ上手かったんだよ。
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| 戦線に復帰した義経が向かったのは、平氏の本拠地である屋島。ここは、船が無いと行けない場所でした。
| 暴風と凄まじい雨が乱れる日に、義経は少数の船で屋島に突っ込みます。
| 油断していた平氏は仰天し、激戦の末に敗走しました。いよいよ平氏には後が無くなります。
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・屋島の戦い(1185年)
義経による屋島攻撃をきっかけとした戦い。
那須与一が、平氏の船に掲げられた扇を射抜いた逸話は有名。
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| 与一の弓モナね。
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| FFで御馴染みだな。
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| そして山口県の壇ノ浦で、源平最後の海戦が行われました。
| 当初は平氏が有利だったんですが、義経は敵船の漕ぎ手を射るよう命令します。
| 戦況は源氏側有利に傾き、敗戦を悟った平氏の武将は次々に海中に身を投げていきました。
| こうして、源氏が一連の戦いの勝利を収めます。
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・壇ノ浦の戦い(1185年)
源氏と平氏、最後の決戦。
この戦いにより、平氏によって即位させられた幼い安徳天皇も水死。
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| これで、一連の源平合戦も終わったモナね。
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| おごる平氏も久しからずだな。
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| この時代から既に、日本刀は戦争の道具として役に立たない事は言われていました。
| 源平合戦や鎌倉時代のメインウェポンは、弓と槍ですね。
| これは以後の時代も続き、戦国時代辺りになると少しだけ事情が変わってきます。
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| 日本刀、使えないモナか…?
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| 合戦の時にはな。槍や弓矢に比べ、欠点が多すぎる。
| 日本刀がメインウェポンだったのは江戸時代…
| 強力な武器を持つ必要が無い(持っていると捕まる)平和な時代なんだよ。
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| 平氏を壊滅させた源氏の棟梁である源頼朝は、武士政権を樹立、その頂点に立ちます。
| 邪魔者であった弟の義経も殺し(間接的に殺害)、彼の邪魔をする者はどこにもいない。
| 武士の、武士による、武士の為の政治… 鎌倉幕府のスタートです。
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| いい国(1192)作ろう鎌倉幕府モナね。
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| 鎌倉幕府の成立が1192年と言うのは、ほとんどの学者が支持しない考え方だ。
| 守護と地頭のシステムが確立された1185年を鎌倉幕府誕生と考えるのが、一般的かな。
| 1192年とは、頼朝が征夷大将軍になった年号に過ぎないんだ。
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| しかし、頼朝は幕府成立の7年後にあっけなく死んでしまいます。
| 彼の死くらいでは、もはや鎌倉幕府は揺るぎませんでしたがね。
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| 死んだモナか。
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| 落馬が原因と言われてるが、バリバリの武士であった頼朝が、そんな死に方するのはなぁ…
| 歴史書でも、この辺の経緯はお茶を濁しまくっている。
| どうも、北条氏による暗殺だったようだ…
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| 頼朝の死後に実権を握ったのは、頼朝の妻だった北条政子と、その父親である北条時政。
| 彼等は頼朝の重臣を粛清し、2代将軍の頼家も死に追いやります。
| 3代将軍の実朝も北条に殺られ(間接的に殺害)、北条パワー全開。
| 北条氏は以後、執権という地位に就いて鎌倉幕府を支配します。
| 頼朝の死をきっかけに、鎌倉幕府はすっかり北条氏に乗っ取られちゃったんですよ。
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| その頼朝の死すら、北条氏に仕組まれたという疑いがある…
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| ちなみに以後も形式上の将軍は存在するんだが、凄まじく影が薄いんだ。
| 学校の授業とかで、実朝以後の将軍なんて習った事ないだろ?
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| そして、力を増していく武士政権を苦々しく思う者がいました。
| 後鳥羽上皇… 名前で分かる通り、朝廷の最高権力者です。
| 彼は、当時の執権である『北条義時を討て!』と命令しました。
| その命令に、鎌倉幕府の家臣達は動揺します。
| 後鳥羽上皇の勅旨は、『鎌倉幕府を裏切れ』じゃなく、『北条義時を討て』なんですよ。
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| それだと、鎌倉幕府の家臣は困惑するモナか?
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| 彼等は鎌倉幕府に忠誠を誓っているものの、北条氏に仕えてる訳じゃないからな。
| 実際はイコールでも、形式上の意味は全然違う。
| 武士達は大いに困惑したんだが…
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| そこで北条政子は、御家人達を集めて演説しました。
| 「諸君、私は戦争が好きだ」ってね。
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この北条政子の演説に、御家人達はいたく感動。結束を固める。
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| ウソつくなよ、おい。
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| 実際の演説の内容は、どの日本史の教科書にでも載ってる。
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| そして武士達は京都に攻め込み、朝廷側をケチョンケチョンにします。
| 後鳥羽上皇は島流しにされ、一件落着。一連の騒動を、承久の乱と呼びます。
| 以後、北条氏は様々な政策で足元を固め、権力を揺るぎないものにしていきました。
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・承久の乱(1221年)
後鳥羽上皇の放った北条泰時の追討令と、その後の騒乱。
関係者はことごとく処刑か島流しで、鎌倉幕府の権力が強まる結果に終わった。
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| 結局、朝廷側にとって裏目に出たモナね…
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| 以後、鎌倉幕府は京都に六波羅探題という機関を設置、朝廷を見張る。
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| そして、北条一族の独裁が続いていくのですが…
| 八代執権である北条時宗の時代、鎌倉幕府を揺るがし、そして崩壊のきっかけとなった事態が発生します。
| 中国大陸の方から、『属国になれ』という手紙が送られてきたんですよ。
| この手紙、結構丁寧なものだったらしいんですが、鎌倉幕府は返事を送りませんでした。
| 北条時宗は、読まずに食べちゃったんです。
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| ヤギか…
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| 何度も送った手紙をことごとく無視られ、元の皇帝は激怒。
| 日本を攻める軍備を整えるんだ。
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| そして、3万人の軍勢が九州に攻めてきました。
| それを迎え撃つのは、鎌倉幕府率いる武士軍団。
| 圧倒的な武力を振るう元軍に対し、日本軍は夜襲で対抗します。
| そしてある日、元の軍船が一夜にして姿を消してしまいました。
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・文永の役(1274年)
元が率いる水軍と、日本軍の戦い。
唐突に元が撤退した事により、日本側の勝ちとなる。
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| …あれ? 神風が吹いたんじゃないモナか?
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| 最近の研究では、文永の役で台風の影響は無かったというのが一般的だ。
| もともと元は様子見程度の進軍で、長期戦の準備はしてなかったんだよ。
| 矢も、最初の一日で使い果たしたようだ。
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| そして、再び元から手紙が…
| 「どうだ参ったか! 今度こそ属国になれ!」という内容でした。
| さすがにブチ切れた北条時宗は、手紙を持ってきた使者を斬り殺してしまいます。
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| 『参ったか』って、お前等負けてるじゃん…
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| 当然ながら、元の皇帝はまたキレる。
| 今度は、本格的に日本を征服できるだけの軍を繰り出してくるんだ。
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| そして九州に訪れた、元の大軍14万人。
| 今回は日本の武士達も、元軍の戦い方を熟知していた為、そう簡単にはやられません。
| 激しい戦いの末に、台風が到来。元の水軍は大ダメージを受けて、日本側の勝利となります。
| 生きて元に帰り着いた兵員は、たった2万人程だったとか…
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・弘安の役(1281年)
元が率いる水軍と、日本軍の2度目の戦い。
いわゆる神風によって勝ったように語られる事が多いが、
前回の戦いを踏まえた日本軍の新戦術も、大きく勝利に貢献している。
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| 日本軍の新戦術…?
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| あらかじめ防塁を築き、なおかつ狭い場所(船内)での戦いに引きずり込んだりしたんだよ。
| 狭所での白兵戦では、日本側が圧倒的に強かったんだ。
| 元軍の軍船に次々と飛び移り、船内で刀を振り回して元兵士を薙ぎ倒す日本武士に萌えろ!!
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| 勝ったのは良いものの、これが鎌倉幕府滅亡のきっかけに…
| ああッ!?
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/)/)/)/) スルスルスル…
| まさか、鎌倉末期までしか進まないとは…
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| 今回で、日本の歴史を全部終わらせるつもりだったのに…
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| ‖ せっかく来たのに…
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| | < 無駄足でしたね。
| | | | \____ フフ・・・
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スルスル… わッ!? 誰…!?
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| 今回、出番が無かった特別講師2人。
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